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仲良しという文字が苦手だった頃

プリクラに落書きが出来るようになったのは、2000年が始まったばかりの頃だった。私が住んでいた所は田舎だったので、都会だともっと早かったのかもしれない。

落書きが出来るようになったのは嬉しかった。自分の書いた文字と、友達と写った写真がシールになるのはドキドキした。現在は落書きが二人で出来る仕様だが、当時はペンが一つしかない為、友達と交代でやっていた。中には「落書きは苦手だからよろしく」と任されることもあった。

落書きをするのは私は好きだったけど、丸投げされると、何を書けばいいんだろう、と戸惑うこともあった。「なかよし」とか書いて自分だけがそう思っていたらどうしよう、と思って書けなかったりした。

落書きの定番は名前を書いたり、その日の出来事や、見た映画、特に文字を書かずにスタンプだけというのもあった。人に見せることを前提で撮っているので、差し支えない文字や言葉を選んでいた。今のSNSの先駆けと言ってもいいと思う。

ペンが一個しかないので大人数で撮ってもみんなで一つの画面を見て、落書きをしていた。ペンを持ってる人がヤバイ言葉とか書いても、誰かがそのペンを持ってる人の手を握って修正したり、文字が読めないように塗り潰したりしていた。

2003年頃になるとペンが二つある機種が出てきて、落書きを分担出来るようになった。枚数もたくさん撮れるようになり、自分が落書きに夢中になっている間、隣で友達も落書きに夢中になっている。出来上がったシールを見て初めて、友達のした落書きを見て「こんな落書きしてたのか!」となる瞬間も楽しかった。

一方で、何人かのグループで撮ったプリクラに「一生友達」とか「ずっとトモダチ」と描かれた落書きを見て、本当に一生友達なんてあり得るのだろうか、とか落書きに対する疑問みたいなのが湧いたりした時期もあった。

その文字を見て、友達がそう書いた事実に安心しながらも、本当にこの先も皆と友達でいれるか、先が見えない感じがした。しかし、友達は遊びで書いただけでそんな重い気持ちで書いてはいないと思う。

軽い気持ちで「なかよし」という文字が書けなかった私は、相手が気持ちを表示してくれないと、自分の素直な気持ちが書けなかった。相手が「なかよし」と書いたら自分も次に撮った時にそう書ける。それ以外は当たり障りのない「アイス食べたよ」とか「映画見た」等、事実しか気軽に書けなかった。




最近のプリクラは落書きしていないものが多い。落書きしたプリクラもあるとは思うが、SNSに載せるのは落書きしていないプリクラが主流だ。

出てきたシールをプリ帳に貼って保存する時代から、今は高画質のプリクラ画像を保存出来る時代に変わった。1枚は無料でもらえて、あとは月に300円払うと撮ったプリクラが全て画像でもらえる。更に、もう200円払うと落書きなしのプリクラがもらえるようになっている。

インスタでよく見かけるのは、まっさらな落書きのないプリクラの下に、特殊文字でその日の出来事や、関連するタグを何個か付けて投稿するシンプルなスタイルが多い。SNS自体が記録帳になっている。

プリクラを撮って、プリ帳に創意工夫して貼っていた時代から、デジタルになった。昔だと友達の友達位までしか、そのプリクラを見る人はいなかった。しかし今は、SNSを通じて大勢の人に見せることを前提として載せているので、よりシンプルなものになるのかもしれない。

昔のようにプリクラを切り分けて配るときは、落書きはそのプリクラにとって大事な情報であり、個性だった。現在はプリクラをSNSに載せる為の作品の一つとして捉えてる人が多い。落書きすると統一感がなくなる為、あえてしない。また、SNSだと投稿時に文字情報が入力出来るので、それも落書きが減った要因だと思う。

落書きが全盛期のプリクラを撮っていた私としては、落書きをしないと言う選択肢が羨ましいと思う反面、ちょっと寂しい感じもする。

もっとふざけたプリクラとか、落書きのあるプリクラは鍵アカで投稿してるのではなかろうかと思っている。


ELIE

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