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否定し合うことと馴れ合うこと~両方を超えていくには~

ツイッターでの議論を見ていると、議論になっておらず、イライラすることが多い。

何の定義を巡って議論しているのか。どこからどこの時間を焦点に議論しているのか。議論に例外はあるのか。具体的に何を持って自分の正しいと思うことを説明したいのか。こういった議論をする上で明確にしておいた方がいい事をほとんど明確にしないまま、ただただ自分の言いたいことを言い、言葉尻を捉え、敵/味方の判定を下す。

ある程度議論を追うと「この人は、こういう定義の範囲で、意見を述べているんだな」という事が薄っすらと分かってくるが、会ったことも無い、よくネット上で交流している訳でもない人同士の議論なので、早々ツイッターを閉じ、自分のしたい事に向かう。

多分議論もどきをし合っている人同士も、相手が「自分にとって赤の他人だけどムカつく」から否定し合っているだけなのだろう。しばらく経てばお互いを忘れているのかもしれない。

議論という感情を排して行うべき事柄は、矛盾しているかもしれないが、ある程度感情が通い合っている人同士でないと成り立たないのかもしれない。

いちいち相手が発した意見について耳を傾け、何を差しているのか質問し、自分の意見についても丁寧に説明していく……こういった作業は、親しさが全く無い相手とは無理だろう。

だから私は、そんなに趣味等が一致していなくても、そういった議論を深められるコミュニティを作りたいと考えているが、コミュニティはコミュニティで、空気の読み合いや、議論を深めるより馴れ合い優先になる、というリスクはある。オンラインサロンなどでも、内輪同士で迷惑行為などを追認してしまう、といったトラブルが起きていたりする。

コミュニティの成員の中にある大事な共通点と、大事な違い、両方を確認し合いながら、議論を恐れず、大事な共通点があるからには最低限の礼儀も大事で、相手自体を否定している訳ではない、という事が分かる繋がり。これが最重要だと思う。

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