映画「新聞記者」感想~苦しむ人が苦しんだ人に渡すバトン~

※極力ネタバレは控えますが、複数シーン紹介はします。(全くネタバレ無しというもの難しいかもしれません。ただほとんどはパンフや公式サイトの紹介に乗ってるレベルだと思います)

様々な圧力や障害に屈せず戦う新聞記者の、現在進行中の実話をベースにした映画。

不自然なアクセス集中による公式サイトダウン等、政治を扱うこの映画を取り巻く状態すらも政治的な感じがしてしまうが、政治の映画であるとともに、生活の、日常の映画でもある点が大切だと思う。

葛藤する記者や官僚の周りの家族など、人々の生活を丁寧に配置することで、こういった「時事系映画」が陥りがちな問題を、ほとんど回避できたのではないか。
問題というのは、現在進行中の政治的事件が物語のベースになっていることで、例えば現政権に批判的だったり、現在の政治状況に問題意識を持っている観客との間だけとのコミュニケーションに作品が閉じがちになり、「内輪」で「上から目線」の作品になってしまうということである。もちろん現政権に批判的意識を持ったり、政治に問題意識を持つことは非常に重要であるが。

人々の生活が、映画の尺の限界内とはいえ、できる限り描かれることで、逆に「人々の生活から離れた政治はありえない」と政治について考えるきっかけにもなり、葛藤し、苦しむ人々の物語として、一つの硬派なドラマとして、しっかり独立した作品として評価することができた。
それでも、一部シーンは、もう少し丁寧な説明や描写が必要ではないか、と思ったところもある。実話ベースのフィクションだからこそ。

官僚や公務員だけでなく、会社員の人や家族関係や様々な人間関係に葛藤する人も、この映画を観て、何かを持ち帰れるんじゃないか。そしてそういった政治的じゃない見方をすることで、逆に政治に対しても開かれ、関心も持つことができると思うのだ。

しかし、あくまでこの映画が描くのは容赦ない現実。官僚を取り巻く現実は生身の人間の関係を引き裂いてしまう。
キーパーソンの若手官僚は、妻の出産にも立ち会えない。「立ち会ってほしい」と、できる限りの意思表示はしてみるが、官僚である夫の状況をおもんばかって「大丈夫よ。あなたは国を守って」と笑顔で一人過酷な出産に耐える妻。
この妻の出産を取り巻く痛みや孤独、新たに生まれてくる命への祝福が描かれ、官僚の葛藤に勝るとも劣らない重厚な「生活」が伝わってくる。
そして若手官僚が妻の出産に立ち会えなかった理由は、昔一緒に仕事して、尊敬していた先輩官僚の死であった。

ダーティな部署内で先輩官僚の死への過程で、一人だけ情報の外に置かれ、電話越しにどんなに呼びかけても、最後は連絡が途切れ、結局死から救えない。
新たな生の現場にも、悲惨な死の現場からも疎外される若手官僚。ここらの場面の切り替わりというのは非常に見せるものがあった。
尊敬していた上司の死の直前連絡が途切れ、立ち尽くす若手官僚の前に広がる「空白の景色」と、場面が切り替わり、飛び降りんとする元上司の前に広がる「死への景色」の共振は本当に息を吞んだ。

そして政府の巨大な網の目組織に迫る異端記者。
色々な大物への出演オファーを断られたり、ここにも「政治的事情」とやらが見え隠れする中、韓国人のシム・ウンギョンの配役は大成功だったのではないか。
韓国人と日本人から生まれ米国で育ったという設定にすることで、彼女の過去を深く描くことができ、「外国人が日本語を喋ったときにどうしても、腹の底から声が出ている感じがしない」という問題も解決できた気がする。
(米国で育ったのだし、日本語が完璧じゃなくても仕方ないし却ってリアルだろう、的な)
もちろんシム・ウンギョンの日本語は決して下手ではなかったし、適格なときに適格な言葉をズバッと言う迫力には、日本語の豊かな表現力と、英語の鋭く対象を捉える明確さのハイブリッドを感じた。

「あなたはそんな理由で納得できるんですか?」

新聞記者は取材が仕事とはいえ、仕事以外で、もしかしたら仕事を通してさえ、官僚と直接相対し、ぶつかりあうのが難しい。
しかし立場を超え、シム演じる記者と若手官僚が繋がるが、それは結局、「仕事に相応しくない振る舞い」がきっかけになっている。
自分の過去や考えから来る、仕事に関係ない、下手すれば仕事に差し障る振る舞いが二人を決まった道から逸れさせ、出会わせ、結果として仕事も政治もクライマックスへ向かう。
そのまま目の前の仕事をしていたのでは、待っているのは破滅のみ。
まさに生活を描くことで政治もより鋭く描ける、ということの典型だと思う。

それにしても、若手官僚の妻の出産過程を描いたのもそうだが、この作品は本当に「余剰」をしっかり描いたと思う。いや、当事者からしたら余剰が全てになってしまうこともある。
愛する者を亡くした「先輩官僚」の妻や子が、その後どのような傷を背負って生きていくのか、どんな苦悶の表情で苦しみを強いられるのか、自然と涙が出て来て、映画を観ながら自分自身の胸をギュッと握ってしまうシーンがところどころにあった。

そして、現在進行形の政治的事件を追う記者にも、親にまつわる暗い過去があった。物語がクライマックスに進むにつれ、本当に「余剰」が重要なトリガーになる。

現在、愛する人を亡くして、悲しみと、自分は正しかったのかと苦しむ人。
過去に愛する人を亡くし、闇に包まれている現在を追い続ける人。

現在苦しんでいる人が、過去を背負い戦う人に、ヒントを、バトンを渡す。そして現在権力の中にあり真実と家族の生活を天秤にかけられ葛藤する人の、背中を押す。

映画の中で「個」を持つことについて、語られるシーンがあるが、誰かを失い、断絶された人同士が、出会うかで会わないかのギリギリの線で、互いを想像し、信じることで、「個」が築かれるのだ。

なんだか筆が熱くなってしまった。
クライマックスで得た情報を基に記事を書き、校閲が入り、やがて脱稿。大量印刷されて、各家庭に「衝撃の真実」が届く。
この一連の新聞製作の過程が描かれていたのは貴重だったし、大切な人を失った市井の人も含め、絞り出す思いで出された情報が、また、その市井の人にも配達され届くというのは、この映画の問いである「この国に“新聞記者”は必要なのか?」への一つの答えではないかと思った。

ただ、この映画のラストシーンに至るまでの流れは、緊迫感はある一方抽象度も感じられ、これまでの大展開から想像して文脈を読み取って、更に手に汗握る人もいれば、もう少し具体的に描いてくれよ、という人もいたのではないか。観客の中でも。
若手官僚の底知れぬ葛藤は伝わったし、映画が終わった後泣いている人も多かったので、描き方としては成功だったのかもしれないが。

また、ここも葛藤のあるところかもしれないが、悪役として描かれる官邸の偉い人役だが、この人の「悪」の描かれ方に少し物足りなさを感じた。
いや、演技は素晴らしかったのだ。ここは本当に難しいところで、役人が市井の人含め人々を引き裂き、追い詰めていくけど役人の中にも色々な過去や理由があって、という映画で「僕たちは希望という名の列車に乗った」があるが、この作品で描かれる、旧東独の役人の嫌らしさや狡猾さに比べて物足りなさを感じたのだ。
もちろん、旧東独の当時の役人は戦争や、ナチによる共産主義者への苛烈な弾圧を経験して、また東独で自分たちも人々を抑圧してしまっている、という話な訳で、戦争も弾圧も経験していない「新聞記者」の中の官僚とは訳が違うから、比較するのもおかしいのかもしれない。

ただ、両映画とも役人は「国を守りたい」訳で、守りたい「国」の「国」って時代や状況によるどう変わるのか、という考察はできるのではないか、と思ったのだ。

「真実かどうかを決めるのはお前じゃない。国民だ」

―じゃあその「国民」ってどこにいるんだ。SNS上の有象無象か?

本作でもSNSが出てきて、若手官僚や記者たちを取り込み時に傷つけるが、そういった一方向同士の「分断」を乗り越えるヒントも与えられた気がした。「罪を憎んで人を憎まず」みたいな。

最後に。

本作の主題歌。OAU「Where have you gone」が本当に素晴らしい。TOSHI-LOWの声も、サビで被さる細美武士のコーラスも、何か、この人たちは信頼していいな、と思わせる声だ。
細美武士を歌唱という面から注目したことはあまり無かったけど、人間と、人間を離れる一歩手前の狭間のような、自然から湧き出る声は凄い。
最後のサビが終わるところでの消えゆく彼等の声は本当に儚い。

YouTube公式で見れるPVもオススメ。映画の中の風景も混じりつつ映し出される街。夜の街。その中で「あなたは何処に行ってしまったの」という呼びかけは、どこか映画とも繋がっている。

しかし長い感想になったなあ。読む人いるのかこれ。

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