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「スキ」



アカネちゃんとホトリくん。
ふたりは付き合っていて、とても仲良し。
ふたりとも、世界で一番自分が大切だけど、
世界で二番目にお互いが大切。
お互いに二番目だから衝突もしないし、
ちょうどいい距離で付き合える。



アカネちゃんは昔々、五歳の頃はじめてホトリくんと出会い、その瞬間、恋に落ちた。


鉄棒で遊んでいたアカネちゃんの足元に、
サッカーボールが転がってきた。


持ち主に渡してあげよう、とキョロキョロしていた
アカネちゃんの所へ、持ち主が走ってきた。
ホトリくんだ。


「ごめんごめん、それ俺の!」


アカネちゃんが今でも、ホトリくんを好きな理由の中で一番大好きな、きらっきらの笑顔で、ボールを拾って、ホトリくんは去っていった。


アカネちゃんは、
これまでの人生でいちばんうつくしいものをみた衝撃で、しばらくぼうっと立ち尽くしていた。


これは幼稚園での出来事。
これがふたりのはじめまして。



それからふたりは、
同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校に通うことになった。アカネちゃんはずっとずっと、ホトリくんを好きだった。



だけど、幼稚園や小学校の頃は、恥ずかしくて照れくさくて、本人にはとても言えなかった。アカネちゃんはとても大人しい子供だった。



幼稚園の頃、アカネちゃんとホトリくんは
クラスが違った。

鉄棒のところで一度会っただけの、
名前も知らないあの素敵なひとが、どこにいるのか、
アカネちゃんには分からなかった。

幼稚園に通っていた頃、ふたりが会ったのは、
あの、はじめましての一度きりだった。



小学校に入ると、

アカネちゃんにとっての奇跡が起こった。

一年生のクラスが、ホトリくんと同じだったのだ。

これから一年間、ホトリくんが、同じ教室の空間の中にいる。それだけでアカネちゃんは、ものすごく嬉しくて幸せだった。



一学期のはじめの自己紹介のとき、少し話しただけだけれど、本当に満たされた気持ちになった。

幼稚園のはじめましてで名乗らなかったので、
ふたりはお互いの名前を、このとき初めて知った。



アカネちゃんは嬉しくて、ホトリくんの名前を呼ぶ妄想をしたり、ホトリくんの名前を綺麗に書く練習をたくさんしたりした。


でも肝心の会話や交流はというと、ホトリくんを見ているだけで、なんだか胸がいっぱいになってしまって、アカネちゃんは言葉が出なくなってしまうのだった。







二年生のクラスは違ったけれど、三年生でまた奇跡。
アカネちゃんはそれだけでも嬉しかったけれど、
もっと奇跡が起こった。


成長したホトリくんは以前より社交的になっていて、
一年生で同じクラスだったアカネちゃんの顔と名前を覚えていて、話しかけてくれたのだ。



ホトリ「アカネちゃん、前にも同じクラスだったよね、また一年よろしく。」

アカネ「あ、うん、同じクラスだった。よろしく。」

アカネちゃんは、ホトリくんが名前を呼んでくれて嬉しすぎたのと、ホトリくんの声が耳心地が良すぎてうっとり聴いてしまったのとで、うまく返事が出来なかった。あんなに妄想したホトリくんの名前を、呼ぶチャンスがやって来たのに、呼べなかった。


でもホトリくんは頷いて、にっこり笑って、手を振って去っていった。



アカネちゃんはその仕草にドキドキしながら、
なんとか手を振りかえして見送った。


振りかえしつつ、やっぱりホトリくんは礼儀正しくて素敵だなぁ、なんてぼんやり考えていた。


そのあとからふたりは少しずつ会話をするようになって、少しずつ時間をかけて仲良くなって、冗談なんかも言い合えるくらいの仲になった。



ホトリくんは今ではアカネちゃんのことを、アカネ、と呼び捨てで呼ぶ。仲良しの証のようで、アカネちゃんは呼ばれるたび嬉しい。



だけど少し悩んでもいた。実はアカネちゃんは、未だにホトリくんの名前を呼べたことがないのだ。


ホトリくんはもう呼び捨てで呼んでくれているけれど、いきなり私が呼び捨てで呼んだら失礼じゃないかな?とか、

相手が呼び捨てで呼んでくれてるのに、くん付けで呼び始めるのはよそよそしいかな?とか、

考えているとますます呼べなくて、

だから会話をするといっても、アカネちゃんから話しかけることはとても少なかった。

それでも、会話ができることは進展だったので、
アカネちゃんは幸せだった。






四年生でもふたりは同じクラスだった。
なんと二年連続だ。教室で顔を合わせたとき、ふたりとも思わずニヤニヤした。


反応が自分と同じだったことが嬉しくて、アカネちゃんはこっそり二倍ニヤニヤした。



その年頃になると女の子たちの間で、恋愛の話が流行りだしていた。なかでも人気の恋バナは、同じクラスの好みの男子を何人か選んで、ランキング形式で発表するというものだった。



アカネちゃんも、お友達と話しているときそういう話に誘われることが多かった。


女の子たちがどんな男の子が好きなのか聞くのは楽しかったし、どこが好きなのかを話すとき、恥ずかしそうに嬉しそうにするお友達は可愛かった。

秘密を共有することで、お友達とより仲良くなれることも、なんとなくわかっていた。

だけど、アカネちゃんにとって、この会話で一番大切なことは、可愛いお友達と仲良くなることではなかった。

ホトリくんが誰かのランキングに入ってしまっていないか、特に一位になってしまっていないか、注意深く情報を収集することだ。

そして入ってしまっていたら、冗談ぽく、やめときなよぉ〜!と唆すことだ。


もしくは、ランクインしてるほかの男子の良いところを教えて、相手の女の子の中で、ホトリくんより上位に持ってくる工作をする。


本人には言えないけれど、ほかの女の子とあまり仲良くして欲しくないのだ。




でも大変だ。ランキングを教えてもらったら、自分のランキングも教えるのが暗黙のルールだったけれど、アカネちゃんはそのルールを守れなかった。

アカネちゃんはホトリくんが好きなのだけど、
ランキング上位に入れると人気が出るかもしれない。

誰か社交的な女の子が、自分より上手に、
ホトリくんと仲良くなってしまうかもしれない。

それが怖くてアカネちゃんは、
う〜ん今ちょっと思いつかないな、とか、
〇〇ちゃんは?と聞き返してみたりとか、
人は決まったんだけど順位で悩んでるからまた今度、
といった具合にランキング発表を先延ばしにした。



あまりにアカネちゃんがランキングを発表しないので、女の子たちはますます気になってしまって、
そのうち、やけになって聞き出そうとした。



耳を貸してあげるから、耳打ちで私だけに教えて、
誰にも言わないから、というのが、

アカネちゃんが一番揺らいだ手口だった。

でもアカネちゃんの意志は固かった。

誰にも、ホトリくんが好きなことを言わなかったし、別の好きでも嫌いでもない男子を、好きだ、と嘘をつくこともなかった。


ここまで発表を引っ張ってしまうと、
ひとりにでも教えたら、秘密ね、と言っておいても、クラス中の女の子が知ることになるのも、わかっていた。

そんなアカネちゃんのランキングは、
このまま闇に葬り去られる、
と、アカネちゃんは思っていた。




そろそろ、みんなも、あきらめそうな気配だった。
ところが。




事件がやってきた。
ホトリくんが。あのホトリくんが聞いてきたのだ。
アカネちゃんに。
「好きな人いる?」と。
さすがホトリくん。聞き方もシンプル。


聞く時間も、女の子たちのように休み時間に聞くのではなかった。
さっきまで教室で使っていた絵の具セットを、
教室の前の水道で、アカネちゃんが洗っている最中。授業中。
つまり、用事があるからまたね、と逃げられないとき。しかも背後から。「アカネ。」振り返ったアカネちゃんにひとこと。「好きな人いる?」



アカネちゃんは一瞬黙った。

その一瞬で考えた。どうしよう困った。全然心の準備ができてない。しかも場所もロマンチックじゃ無い。

でも待ってこれはチャンス、ここで、いつものランキング形式ではなく、もう目の前のホトリくんひとりに、ホトリくんが好きだと伝えてしまえる。そうすれば、もしかしたら、ホトリくんは。

ああでも、ホトリくんは女の子にもお友達が多いから、誰かから、流行ってる恋バナの話を聞いたのかも。それだと、ノリを合わせてランキング形式で答えるのが良いのかも。

ホトリくんをランキングに入れて、もちろん一位にして答えれば、それとなく気持ちを伝えられるかもしれない。





そしてアカネちゃんはホトリくんに言った。

「耳かして、耳打ちで答えるから。」
至近距離で見るホトリくんの横顔にトキメキながら、
アカネちゃんはランキングを発表した。

だけどやっぱり好きすぎて苦しくて、ホトリくんのランキングは三位にしてしまった。
一位なのに。



ほかのふたりなんかいらないくらい、一位なのに。
「俺、入ってんのかよ〜。」
照れくさそうに笑うホトリくんを愛しいと思いつつ、
アカネちゃんは激しい後悔に襲われていた。



やっぱり一位って言えばよかった、
ランキング形式やめればよかった。
今からでも訂正しようか、あぁそれは勇気が出ない。
「教えてくれてありがと。」と言って、
ホトリくんは教室に戻ってしまった。
「うん。」と可愛らしく笑って返事をしたものの、
教室に背を向けて絵の具セットを洗うアカネちゃんは
きっとすごい形相をしていた。







六年生になって、ふたりはまた同じクラスになった。
小学校を卒業する特別な年に、同じクラス。
これまで、一年生、三年、四年、そして今年六年生、
六年中四年同じクラス。
アカネちゃんはすっかり恋愛脳になっていて、
運命だとしか思えなかった。


 六年生になるとアカネちゃんはよく、
休み時間に校庭に行った。
ホトリくんも、休み時間は校庭に行った。

ふたりの目的は全く違っていた。

ホトリくんは、運動場で、幼稚園のころからずっと続けているサッカーをするため。
アカネちゃんは、ジャングルジムに登るため。



アカネちゃんはインドアなので、休み時間は基本的に教室で読書。なのだけど、ときどき校庭にでるときもあった。去年まではブランコが好きだった。ブランコに乗っていて、揺られながらなんとなく運動場を眺めると、サッカーをしているホトリくんを視界に収めることができたから。




サッカーをしているホトリくんはカッコよかった。
足が速い。ボールを蹴る姿勢が綺麗。素敵。
そう、ホトリくんは足が速い。すごく。


そして今年、アカネちゃんは気がついた。
ジャングルジムのてっぺんに登ってそこに座ると、
安定した視界で、
サッカーするホトリくんを眺めていられることに。


ホトリくんを眺めながら、日差しを浴びて、考えごとをするのが、アカネちゃんは好きだった。

考えることは、やっぱりホトリくんのこと。

ホトリくんはほんとに足が速いなぁ。
マラソン大会も、毎年一位だもんな。
あ、いま点入れた。天才。

それにしても毎日毎日、こんな長い間続けられてすごいな。本当にサッカーが大好きなんだな。

きっと、ホトリくんがサッカーを好きなのと同じくらい、私はホトリくんのことが大好きだな。




それからほぼ毎日、アカネちゃんはジャングルジムに登った。ときどきは前のようにブランコをした。

雨の日は教室で読書をしながら、男友達と話すホトリくんの声に聞き惚れた。





そんな毎日を過ごしながら、ふたりは中学生になった。



中学校に上がると、ホトリくんのかっこよさや礼儀正しさを、周囲の人たちも理解できるようになった。

そう、ホトリくんは人気者になってしまったのだ。

アカネちゃんは、お勉強は出来たけれど、目立つタイプではなかったし、目立つことが好きでもなかった。

私とホトリくんは合わないのではないか?
想いを告げるのは、
ホトリくんにとって迷惑ではないか?
いろんな気持ちが頭をグルグルして、
やっぱり本人には、
好きで好きで、ときどき苦しいくらい大好きだって、伝えられないままなのだった。





中学一年生では、ふたりは違うクラスだった。
なのに、入学して早々に人気者になってしまった
ホトリくんのニュースは、おそらく学年中を回っていて、アカネちゃんのクラスにも回ってくるのだった。


ホトリくんの顔がカッコいいだとか、
礼儀正しいだとか、親切だとか、足が速いだとか、
そういう他愛のないニュース。



それを聞くたびにアカネちゃんは、そんなの知ってるし。今更気づいたの皆おそすぎ。という、自分だけが知っていた優越感と、


ふふん、そうでしょうそうでしょう、ホトリくんはすごいのよ。という、自分の知っている人が、みんなに認められる誇らしさを感じながら、

どうしようついにみんなが気づいてしまった、ライバルが増えた、きっと勝てない。もっと前に動いていれば。という焦燥感に苛まれた。





中学二年生になると、ホトリくんのニュースは、
アカネちゃんのクラスまで回ってこなくなった。

ホトリくんの人気が衰えたわけではない。
ホトリくんのニュースは相変わらず、学年中を回っていた。
ただ、アカネちゃんの通うクラスは、学年のどこにもなかった。


アカネちゃんは二年生の途中に一度不登校になった。そのあと、内申書に書かれる出席日数を稼ぐために、この教室なら、学校に来て、一日ここにいるだけでいいよ、という、不登校用の特別教室に通うようになっていた。


さすがに、三階にある二年生の教室から、一階の特別教室までは、ホトリくんのニュースは届かなかった。



アカネちゃんが不登校になった理由は、
特別教室になら通えた理由ともつながるのだけど、


誰が聞いてもくだらないと思うだろう。
担任の先生の顔がすごくとても嫌いだったのだ。


女の子たちがよく使う用語で言う、生理的に受け付けない、というやつ。


幸いアカネちゃんはお勉強は出来たので、目線を伏せて授業を聞いていれば、内容はわかる。

しかし!テスト期間にはノートの提出がある。
板書が必須になってくる。
板書を写すためには目線を上げる必要がある。
目線を上げると、担任の顔が視界に入る。
中学は教科担当制だったので、担任の教科の授業と、
朝夕のホームルームだけ我慢すれば、なんとかなる話だった。実際、数ヶ月は我慢した。



だけどある日、限界が来て、どうしても担任の顔を見たくなくなってしまった。
担任が存在すると思うと、教室にも入れなくなってしまった。


何週間か家に引きこもっていたけれど、やっぱり暇だし、教科書は読んでいたので、テストの日、テストの時間だけ、学校に行った。テストの日は監督の先生が担任と違うので、なんとか教室にも入ることができた。


その日に、テストが終わってから、
保健室の先生がアカネちゃんを呼びに来て、
不登校の理由について聞いた。

アカネちゃんはうまく説明できなかった。

顔が嫌だなんて失礼だということは、
アカネちゃんも理屈では理解していたから。

でも、教室に入れないことを伝えることができたので、保健室の先生から、出席日数だけ稼げる特別教室の存在を、聞くことができた。

特別教室には担任は存在しないので、アカネちゃんはそちらに通うことを決めたのだった。
二年生が終わるまで、アカネちゃんは出席日数を特別教室で稼ぎ、テストだけ教室で受ける生活を続けた。


三年生になって、アカネちゃんは再び教室に通い始めた。理由はふたつ。

ひとつは学年が上がって担任が変わったこと。



そしてアカネちゃんにとってすごく重要なもうひとつ。ホトリくんと同じクラスになれたこと。




けれど結局、
アカネちゃんは特別教室に戻ってしまった。

女の子というものは、グループやコミュニティを作って生きる生き物だ。中学生なんて特にそう。

去年一年間、ほとんど教室にいなかったアカネちゃん。



一年生から三年生まで、じっくり時間をかけて育まれた友情の上でのみ成り立つ、女の子たちのコミュニティ。


もともと、教室にいたところで、そういうコミュニティに属することが得意ではなかったアカネちゃん。
そんなアカネちゃんと、どう接していいか分からない女の子たち。


もちろんアカネちゃんにも、何人かお友達くらいいた。


だけどその子たちも、なんらかのグループに属していて、アカネちゃんのためだけに、そこを抜ける勇気はなかったし、

そんな勇気を振り絞ってまで一緒にいたいほど、

アカネちゃんのことが好きでもなかった。


アカネちゃんは、自分が教室に入れなかった理由を、元担任が可哀想なので、誰にも伝えていなかった。



お友達にとっては、それまで仲良くしていたのに、
ある日突然、教室に来なくなったアカネちゃんは、
何を考えているかちょっとわからないし、
ある意味で裏切者だった。



特に無視をされたり、上履きを水浸しにされたり、
そういう分かりやすいことがあったわけではない。
一対一なら、アカネちゃんは誰とでも話すことができたし、誰もアカネちゃんをわざわざ拒否することはなかった。



それでも、空気というのは恐ろしいもので、少しずつアカネちゃんの首を絞めた。




アカネちゃんは三年生の途中から、二年生のときと同じ、特別教室で出席日数を稼いで、テストだけ教室で受ける生活を選んだ。



担任だけ避ければよかった去年と違い、今年は、テストの日のクラスメイトとの気まずさにも、耐えなければならなかった。



せっかく同じクラスになれたのに、ホトリくんと話せず、ほとんど他人みたいになってしまったのも、悔しかった。


ひとつだけ良かったなと思うことは、特別教室で過ごすアカネちゃんの所に、ホトリくんが給食を運んでくれたこと。


ホトリくんはこれまでの中学校生活で、順調に人望を集め、三年生の今年は、学級委員に選定された。



学級委員というのは、雑用係でもあるので、

クラスの「問題」であるアカネちゃんの係は、ホトリくんに決まったというわけだ。

ところで学級委員は男女一人ずついるのに、なぜ女子の学級委員でなくホトリくんの係になったのか。



賢いアカネちゃんにはすぐに察しがついた。
アカネちゃんに給食を届けることは、アカネちゃんに肩入れをすること。

クラスのどのコミュニティにも入れない、裏切り者のアカネちゃんに肩入れをすれば、その子も裏切り者になって、理不尽を受ける可能性がある。具体的には、コミュニティからはじき出されて、アカネちゃんと同じ目に合う可能性がある。

だからこの係は、女子には決して務まらなかったのだろう。



特別教室は、ほとんどの生徒が三年間いちども行かない場所で、クラスでうまくいっていない不登校児が通うことも考えて、ちょっと複雑な場所にあった。

その場所は、各クラスで、不登校児のほかに、担任と、給食を運ぶ係の生徒だけに伝えられていた。

意図してはいなかったが、アカネちゃんとホトリくんは、秘密を共有することになった。
ホトリ「給食だよ。」
アカネ「ありがとう。」
たったそれだけの会話だったけど、アカネちゃんには大切だった。



自分のためだけにホトリくんが動いてくれる。
嬉しくもあった。


その一方で、みじめさ、負い目も感じていた。


中学に入ってから、凄い勢いで人気者になって、人望も厚くなって、いつも人に囲まれているホトリくん。
そんなホトリくんに比べて自分はどうだ。
教室にも入れず、なんとなく仲間はずれで、いつもひとり、せめて空気なんて気にしないで、堂々と教室でひとりでいればいいのに、それもできない。



ホトリくんは今、自分のことをどう思っているだろう。ほとんど視界に入ることもない、余計な仕事を増やした自分のことを。

アカネちゃんは今でもホトリくんのことが好きで好きでものすごく大好きだったけれど、
それを自分が口にすることはもう、とんでもない大罪のように思えた。





そんな風に時を過ごして、卒業式の日が迫ってきた。
卒業生を送る会、という、下級生主導の会の練習と、
卒業証書授与式、いわゆる卒業式の練習がはじまった。



アカネちゃんは相変わらず教室に通えていなかったけれど、卒業式には出席する予定だったので、

練習に出ないわけにはいかなかった。




かなり憂鬱になりながら、式の練習の初日、
かなり久しぶりにアカネちゃんは教室に入った。

アカネちゃんに声をかける人は、もうクラスにはいなかったけれど、ホトリくんが、学級委員らしく事務的に、アカネちゃんの席まで案内してくれた。

驚いたことに、アカネちゃんの席は、机と椅子は、
まだ教室の机の群れの中にあった。





とっくに片付けられたものと思っていたのに。
アカネちゃんがいない間、何度か席替えがあったようだったし、唯一教室に入るテストの日は、名簿順で、誰の席か知らない席に座るので、気がつかなかった。




アカネちゃんは知らないけれど、
実はそれは、ホトリくんが取り計らったことだった。
誰も使っていないのだから、片付けてもいいのではないか、掃除のときに動かす手間も減るし。
そういう議題の学級会のとき。



「ある日突然、教室に戻ってきたくなったとき、
机と椅子がないと困るから、あったほうがいいよ。」

ホトリくんは静かに、そう告げたのだった。

クラスのみんなは、アカネちゃんが戻ってくると思っていなかったし、正直もう、戻ってきてほしいとも思っていなかったけれど。
ホトリくんがそう言うのなら。それで受け入れられるほど、ホトリくんの発言には力があった。

そうして確保された自分の席に、何も知らないアカネちゃんは座って、式の練習の説明を、クラスメイトと一緒に受けた。

そして再度びっくりした。卒業生を送る会も、卒業証書授与式も、体育館に名簿順で座るところから始まる。ゆえに、入場は、男女各縦一列ずつ、つまり男女ペアが隣同士で横に並んで行われる。
その、隣に並ぶペア。
なんとアカネちゃんの隣はホトリくんだった。




アカネちゃんはその事実に勇気付けられて、
卒業生を送る会と、卒業証書授与式の練習に、
一度も欠かさずに顔を出した。





そうして迎えた卒業式当日。
アカネちゃんはホトリくんの隣を歩いて、
体育館に用意された自分の席に座って、
みんなと一緒に校歌を歌って、中学校を卒業した。


式のあと、記念写真の撮りあいや、卒業アルバムへのメッセージの書きあいで盛り上がる教室。


アカネちゃんはひとり、いたたまれない気持ちで自分の席に座っていた。式が終われば、特別教室に戻っても良かったけれど、今日くらいは頑張ろう、最後だし。と思って教室にいた。



ホトリくんは、県外の、サッカーの強い高校に進路を決めていた。そのくらい大きい噂になると、テストの日しか教室にいないアカネちゃんの耳にも、届いていたのだった。

アカネちゃんはもう、ホトリくんに想いを告げる気持ちはなかったので、ホトリくんに会えるのも、これが最後だと覚悟していた。だから少しでも長く、話せなくても、同じ空間にいたかった。








「アカネ。」

幻聴かと思った。けれど顔を上げると、ホトリくんはそこにいた。幻覚かと思った。
ついに自分は、ここまでおかしくなったのか。

「アカネ、ちょっと来て。」

久し振りに、ホトリくんの声で聴く、自分の名前。
呆気に取られているのは、
アカネちゃんだけではなかった。
あんなに盛り上がっていた教室は静まりかえり、
みんながふたりに注目していた。




あれ、これもしかしたら現実かな。まぁ、幻覚でもいいか。アカネちゃんは立ち上がって、ホトリくんについて行った。



そのようすを見て、教室はさらにざわざわ、大人気のホトリくんの謎の行動に、息を飲んだり、唾を飲み込んだりする子すらいた。




教室を出てから、ホトリくんは、
「ちょっと待ってて。」と言って、いちど教室のドアを開けた。思った通り、みんながそのドアを凝視していた。
「絶対ついてくんなよ。」
ホトリくんは、普段ほとんど出さないドスの効いた声を出して、みんなを脅した。
みんなはかなりびっくりして、ただただ頷くしかなかった。




再びドアを閉めて、「お待たせ。」と言って、
ホトリくんは歩きはじめた。
どこへ行くんだろう。と思いながら
ついて行ったアカネちゃん。

到着したのは、アカネちゃんが中学生活で一番見慣れた、特別教室だった。
中に入ると、アカネちゃんとホトリくんの他には誰もいなかった。
特別教室に通うような子は、卒業式等の行事にそもそも参加しないか、参加するとしたら自分たちが普段、授業を受けるはずの教室にいるので、
今、ここは、まったく無人の空き教室なのだった。






ふたりして教室の中に入って、ドアを閉めて。
少しの沈黙の後、ホトリくんは言った。

「アカネ、好きな人いる?」

アカネちゃんは思い出していた。
小学校四年生のとき、
今と全く同じ質問を、ホトリくんから受けたこと。
一番大好きなホトリくんに、
一番大好きだって、伝えられなくて後悔したこと。

アカネちゃんが黙ってしまったので、
ホトリくんは困ったけれど、アカネちゃんが答えるまで、見守るつもりのようだった。

アカネちゃんは、ホトリくんの顔を、
まっすぐ見つめた。

やっぱりこの顔は美しいな。
そう思ってアカネちゃんは覚悟を決めた。

「い…」

いないよ、と言おうと思った。いないよ、と言えれば。たった四文字で、アカネちゃんの、10年間の、大切な、ホトリくんへの想いは、なかったことになる。

「いな…」

いないよ、と。笑顔で。

「いない、よ…」

笑顔では言えなかった。いな…、辺りから、ホトリくんの顔も見られなくて、うつむいてしまった。
でも言うことができた。

終わった。私の10年、これで。
だけどきっと、これで良かったんだ。
ホトリくんに、
これ以上迷惑をかけなくて済むのだもの。


ホトリくんは、
「そっか。」と呟いて、数秒黙って、
何か考えているようだった。
今度はアカネちゃんが、ホトリくんの言葉を待つ番だった。ホトリくんの質問に答えたら、すぐに教室に戻ると思っていたアカネちゃんは、意外に思いながら、
うつむいたまま、待った。

「アカネ。」

声がかかったので、アカネちゃんは顔を上げた。

「俺はね。」

ホトリくんと目があった。
そこですかさず、ホトリくんは言った。

「アカネちゃんが好きだよ。」

アカネちゃんはものすごくびっくりした。

だってホトリくんには、山ほど友達がいるのだ。
その中には、綺麗な人も、可愛い人も、明るい人も、話すのが上手な人も、お勉強ができる人もいるのだ。アカネちゃんよりも長所をたくさん持った人が、
よりどりみどりなのだ。それなのに。

しかも。ホトリくんは今、アカネちゃんのことを呼び捨てにするはずだ。
実際、ついさっきまでは呼び捨てにしていた。
なのに、アカネちゃんと呼んだ。ちゃん付けで。

「アカネが、アカネちゃんだった頃から。
ずっとアカネのことが好きだよ。」

繰り返してきた。ホトリくんがアカネちゃんのことを、アカネちゃんと呼んでいたのは、名前を知った小学一年生の自己紹介のとき。それと、三年生で同じクラスになってから、アカネと呼び捨てするようになるまでの期間。かなり昔のこと。

「な、なん…」

頭の中が真っ白になって、それだけ返すのが精一杯だった。

ホトリ「なんで?逆になんで気付いてないの?」

アカネ「え、なにが…?」

ホトリ「小四のとき告白したのに。振ったのはアカネじゃん。」

アカネ「されてない、されてない絶対されてない…。」

ホトリ「したって。ほら、俺三位だったじゃん。」

アカネ「…あ。」

アカネちゃんが後悔していた、忘れられなかったあの日を、ホトリくんも覚えていた。

アカネ「え、待って、あれ告白だったの!?」

ホトリ「バカ声が大きい!!」

思わず大声を出すふたり。
空き教室を勝手に使っていることがバレるとやばい。

また少しの沈黙のあと、ホトリくんは言った。

「今さ、ほんとに好きな人いないんだったらさ、
アカネ…。俺と、」

そこで言葉を切って、ホトリくんは大きく深呼吸をした。そしてアカネちゃんのことを、まっすぐ見つめて言った。

「俺と付き合わない?」

アカネちゃんは揺らいだ。すごく揺らいだ。
断ったほうがいいだろうか。断ったほうがいいだろうな。そして口を開いた。

「ごめん。」

ホトリくんは傷ついた顔になった。
それを見たら、アカネちゃんはもう、
なにもかも我慢できなくなってしまった。

アカネ「ごめん違うの。ごめん嘘ついた。好きな人、いないっていうの嘘。本当は、」

ホトリ「………本当は、なに?」

また、自分以外の誰かを好きなのだろうか。アカネちゃんの一位になれるように、こんなに何年も頑張ったのに。ホトリくんは、アカネちゃんの言葉の続きを聞きたくなかった。

だから続くアカネちゃんの言葉を、一瞬、聞き間違いかと思ってしまった。

「本当は、初めて会ったときから、私もホトリくんのことが好き。全部が好き。すごく好き。」

ホトリくんがはじめて、アカネちゃんの声で聴く、
自分の名前。ホトリくんはとても満たされた気持ちになった。

「俺と、付き合ってくれる?」

もう一度、同じ質問をしてみた。

アカネちゃんは、

「ちょっ……と待って。」

と言って、三回大きく深呼吸をして、

「ありがとう。大好き。付き合いたい。」

と言った。ホトリくんの大好きな、穏やかな笑顔で。

ホトリくんは、
「触っていい?」と聞いてから、
アカネちゃんが頷いたのを確認して、
ぎゅっと抱きしめて、

「ありがとう!」と言って、

アカネちゃんを解放した。
さすがホトリくん。こんなときでも紳士。

こうしてふたりは、恋人同士になった。

アカネちゃんもホトリくんも、しばらく幸せで、
黙ってニコニコしていた。

アカネちゃんが時計を見て、
「やばい帰りのホームルームも終わってる!!」
と叫ぶまでは。



あるとき、デートの帰り道、
ふたりは夜道を歩いていた。
しばらく歩いて、アカネちゃんが言った。
「怖いから、こうやって歩いてもいい?」
ホトリくん「?」
アカネちゃんは、ホトリくんの片腕を、
両腕でぎゅっと抱きしめて、
ホトリくんを見上げて微笑んだ。

その顔は、ホトリくんの一番好きな、
穏やかな笑顔だったから、

ホトリくんは思わずキュンとして、
「いいよ」と言った。


そのときのホトリくんの顔は、
アカネちゃんの一番好きな、
きらっきらの笑顔だった。

おしまい。


〜あとがき〜

これは、かなりくわしく、
285羽夢(にゃごはむ)の初恋について。

なるべく、事実を下敷きにして、書いたものです。

ええと。だけど。ほんとは。
かなり テコ入れ…というか 改変しています。

ほんとうは ふたりは 恋人同士に
なれは しなかった。現実では。。。

という のが このお話に含まれる
いちばん おおきな うそです。

なぜ その うそが 必要だったか?というと、

このお話は、285羽夢の
ゆめ や きぼう を

めいっぱい つめこんだ 宝箱を、
読者の皆様にお届けしたい。

という目的で描かれた文章群だからです。

そんな お話に、
ちゃんと できていれば いいのですが。

それでは。また。

285羽夢🐹💖でした。

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