見出し画像

書評:『人口から読む日本の歴史』(鬼頭宏)

随分前に亡くなった大正生まれの祖母が、昔言っていた言葉が以下である。
「日本という国の人口が減るって大騒ぎしているけど、おかしいのよ。昔の人口なんてずーっと今より少なかったのにうまくやっていたんだから、少し人口が減るぐらいで日本はおかしくなりません」

そのことが気になって、日本の人口のことを気にかけると、小学校で習った、日本の人口は、1.2億人というのからあまり動いていない。一方、世界人口のそれは40億人だったが、今は、70億人出そうだ。結構変わっている。

日本の人口を知りたくなって、amazonさんのおすすめに従って買ってみたのがこちらである。

2000年5月の本を2015年にkindleにしているのがこちらの本である。なので、ちょっと数値は古いだろうが、長い日本の歴史の中で、10年などどうでも良いとも言える。

日本の人口

結論を書いて仕舞えばこうなるらしい。

縄文時代(8000-3000B.P.) 10-30万人
弥生時代(1800B.P.) 60万人
奈良時代(725) 450万人
平安時代末期(1150) 680万人
戦国時代(1600) 1200万人
江戸時最末期(1846) 3200万人
大正9年(1920) 5600万人
昭和25年(1950) 8400万人
昭和50年(1975) 1.1億人
平成7年(1995) 1.25億人

縄文時代10万人程度の人口が、
弥生時代の農業革命で60万人ぐらいになった。
それがダラダラと増えて、戦国時代には1000万人を突破
そこからドバッと増えて、江戸時最末期に3000万人
明治になって増えて、WW2前で6000万人程度
戦後に増えて、1950年には8400万人、
1975には1億を突破し、
1995の1.25億人
その後、フェードアウトである。

縄文時代の10万人とか考えらんないねー

縄文時代から戦国時代まで

縄文時代は栗とかそういうものを食べているのがメイン。東日本に人口が多くて、西日本が少なかった。植物の植生や、気候の問題。

弥生時代ごろに、大陸から稲作する人たちが入ってきて、縄文人をたぶん蹂躙し、60万人ぐらいまで増える。今度は、気候が稲作に向く西日本に人口が寄ってきたという話。

戦国時代の人口って、今の1/10の1000万人ぐらいだったらしい。中国の歴史では、弥生時代の三国志時代の赤壁の戦いで100万人兵士投入なんて伝説なんだけど、日本で100万人集めると、日本人の1/10集めるってことだから、それはできることではないわなと思うわけです。

江戸時代

徳川家康というよりは、豊臣秀吉なんでしょうが。

今まで荘園の小作人だった人が、畑を持つようになったのが豊臣秀吉で太閤検地の頃で、小作人まで入って世帯になっていた(下人)のが、独立した世帯になって税金を払うようになっていった。

荘園の小作人だと作っても年貢で取れる量だから、結局生産性をあげない。でも、自分の土地なら、作った分だけ自分のものだから一生懸命に作るので、生産性が上がって、食料が増えた。で、江戸時代の人口は4000万人ぐらいにまで増えている。

世帯の規模が七人ぐらいから四人ぐらいまでに下がって、世帯数が増えている。要するに、下人とかやめて、世帯を持ったので、やる気出して結婚も、子供も増えたし、人口が増えたということ。

江戸時代の最後は停滞しております。

赤ちゃんと子供がよく死んだので、四人ぐらいは出産して、二人は死んじゃうという計算。また、お金持ちのおうちは、若くして嫁に行ってたくさん子供を産めるが、貧乏なうちはご奉公に行って今と同じような年齢で戻ってきて結婚だそうで、子供が少ない。貧乏子沢山というのは、逆だったみたいですね。今の感覚に近いわな。

明治時代以降第二次世界大戦まで

工業化でちょっと増えて、4000万人が6000万人ぐらい。まあ、西洋科学の取り込みがあったけれども、江戸時代からさほど変わらず。

WW2から平成まで

こちらは、抜群に医療が進んで、赤ん坊が死ななくなったので、人口が増えたという話。あと、明治時代から、化石燃料を使うようになっていったので、自然エネルギーしかなかった時代のエネルギー縛りがなくなって、人口ばすごく増えて、1.25億人にまで増えた。

そのあとは、少子化ですねぇ、で、この本は終わっている。

人口と歴史は繋がっている

という結論を戸籍を調べてわかればいいんですが、そんな都合の良いものは昔にはないので、調べるの大変そうです。

弥生時代とかは、遺跡の数を調べてうんぬんですし、江戸時代なんかも、古文書とか過去帳の部類を読み解いて、群落の家族を整理して、出生率を出したり、死亡率を出したりと、すごく大変そう。AI使いたくなるわな。

磯田道史さんみたいな古文書読める歴史の人が、ちまちまと昔の古文書を読み解いて、Excel見たいのに整理していって、基礎資料・基礎統計を整備して、色々な人口を推定していくという作業なんですね〜。

この分野、どこを見ても出てくるのが、慶應義塾大学の速水融教授。古文書と統計と人口を繋いで、科学として歴史をやってきた人たちですね。ただ本を読むにとどまらず進む姿が、慶應義塾の鏡です。

古文書バカにならずに、経済に繋げていったりするのが歴史の面白さだよなあ。

感想としての「数の感覚」

まず、人口という数の感覚として、10万人の縄文、100万人の弥生、1000万人の戦国時代、4000万人の江戸、6000万人の大正、1.2億人の平成というのをもてたのが良かった。

織田信長の時代には、1000万人しかいなかったのか。東京都の人口をgoogleさんに聞いたら、1400万人だった。東京23区が1000万人弱なので、23区の人口ぐらいだったんだなあと。

弥生時代だと、世田谷区ぐらい。

意外なのが江戸時代で、4000万人。今の1/3なんですよね。

戦前でも高々6000万人の人口で今の半分。これで戦争やっているんだものなあ。

こういったマクロ感を持って、歴史というのは学びたかったもんだけど、まあ、日本の歴史の先生にはできない芸当なんだよな。文章を読むだけで、経済観念がゼロだからさ。

経済と人生

昔と今を比べると、赤ちゃんや幼児の死亡率が全然違っていて、まあ、本当に今は医療が整っていていい時代だよなあと思う。

反面、いつの時代にも貧富の格差と家族構成の違いというものはあるのが面白いと思った。

江戸時代の裕福な家では、嫁を若いうちにやって、早く子供が生まれる。10代の頃から嫁に行って、40代まで出産するので、子供も多く生まれる。裕福な家は、結婚が早いので子沢山。

一方、貧困な農家では、長男以外は家をつがないので、ご奉公に街に出る。帰ってくると、25歳とか30歳になっていて、女子はそこから結婚になる。で、40代まで出産するけど、結婚している時代が短いので、その分子供は少ない。

ちなみに、女性は出産する時代に、よく死んでいて、平均寿命がそこに出ている。

江戸時代までの出産死亡率を加味した女性の死亡率の高さにおいても、男女の比率は均等だったんだろう。その時代が人間は長かったから。でも、そこから医療が進んで出産で死ななくなったので、その分女性が多く残るようになって、今の婆さん残って、じいさん死ぬ男女比になったと思われる。

離婚と人生

知識としては知っていたけど、江戸時代の離婚とかすごい。一つ、農村の例をとっているけど、結婚して、離婚してというのが結構激しく行われていて、バツイチ、バツ2は当たり前って感じですね。

三行半の離縁状というのも、離婚宣言というのではなく、「実家に帰らせていただきます」からの、自由な交際・婚姻を保証するための書類だったようで、結構自由奔放であるわけですな。

農家は、労働力としての人口が必要だったから、子供が生まれない場合はすぐ離婚。で、また再婚。

江戸時代の江戸などは、男ばっかりだから、まあ、その比率なら遊郭とかできるわなあという。結局、農家の三男坊見たいのが、都市に働きに出て、30ぐらいまで帰らないってやつ。都市には工事用の男子がたくさん。ということは、農村には娘がたくさんいたのかもしれない。ので、嫁入りが多いのか。

なんか、裕福な農家のバカ息子が、何度も離婚して、若い嫁をとりなおすという姿が目の前に浮かぶようで、なんだかなあという感じでした。

人口減少は問題なのか?

まあ、少し勉強するとわかりますが、人類にとって人口が停滞することも減ることもあったわけで、異常でもなんでもないですね。

酸素がないと動物は死にますが、経済成長しないと人類は滅びるわけではないので、緩やかにうまくやっていけばいいと思うんですよね。そうやってきた世界はいろいろあるし、日本でもそうだったんだから。

緩やかに人口を減らして生きつつ、豊かになる方法、生産性を高めていく方法を日本は見つければいいだけだと思うなあ。

と、勉強になった一冊でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?