林檎


林檎がごとりと音をたてて冷蔵庫から転がり落ちた。あ、とひとつ声をあげて、林檎を拾い上げる。
お湯がぼこぼこと沸いた。火を止めて、お茶を淹れる。
林檎にナイフを入れれば、給湯室一杯に、林檎の香りがひろがる。
そのまま、お茶と、切り分けた林檎を、給湯室から持ち出す。
誰もいない、昼の会議室では、嘘つきで約束破りのあの人が待っている。

「今日の林檎は一段と綺麗だね」
皮付きのまま、八つに切り分けられたうちのひとつをつまみ、口に放り込む。
「冷蔵庫から、逃げた林檎だからじゃあない?」
「……転げ落ちたと、素直にそういってくれりゃあいいのに」
林檎だって人生から逃げ出したくなることもあるさとあの人は笑った。
「それも、また、お得意の約束破りなの?」
「さあねぇ。なんのことやら。」
でもねえ、とあの人は続ける。お茶が冷めてしまいそうだから、一口啜った。
「この林檎は素直に食べられるという人生から1つだけ脱線することができたわけだ。冷蔵庫から転がり落ちることによってね。私は私の人生を生きたいから、こうして林檎みたいに、敷かれたレールを踏み外して、約束を破ってまでここに生きているんだよ。」
わかるかい?と笑うあの人に、私はなんだか変な気分だ。これもだまされているのか、も、しれないし。

「さて、もうここは閉めるよ。ほら、さっさと仕事場にお戻りなさい。」
閉めるなんて言葉も嘘だけれど。この昼の会議室での逢瀬だけは約束を破らないあの人に私は心底惚れているようだった。

ああ、恋は盲目とはよく言ったものだ。全くなんにも、あの人の約束破りが見抜けないし、今日の林檎のように転がり落ちることもできない私は一体全体なんなのだろうか。





(林檎)






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三葉さんは、「昼の会議室」で登場人物が「約束を破る」、「林檎」という単語を使ったお話を考えて下さい。
#rendai
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再掲。
 
2018.02.01