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周囲への倦怠「ひとりがラク」


誰かが私にコンタクトを取ってくる時は
私に何かをしてもらおうとするとき

もらう事ばかりを求めてくる人には
慣れています

周りに尊敬できる人はいません

話していて刺激のある
おもしろい友達が欲しいです

くだらない話をしている時間が
無駄だと思うようになりました

ひとりの時間しか楽しめなくなりました

私自身がレベルの低い人間だから
自分を取り巻く人たちを
大したことのない
つまらない人
と思えてしまうのでしょうか



自分のことだけを考え
自分の利益だけを考え
行動する人達

私から利益を求める
もっともっと


そんな人達がばかりが
寄ってくる


そんな人たちばかりが
寄ってくる

のは

そんな人たちばかりを
寄せてしまった

からです

自らが
寄せ集めてしまった

からです



道元禅師の
『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)
から文言を抜き出して編集された

修証義(しゅしょうぎ)
〈修〉実践修行 〈証〉悟り 〈義〉意義
という経典のなかに


【善きことを成した者は良き人生を歩む
悪しきことを成した者は
悪しき人生に苦しむ
という道理が狂うことはない】

ということを表した一節があります


今の世の中に原因と結果の法則を知らず

自分の行った
行いの報い

それを明らかにすることなく

自分の行った報いが
今世この瞬間に帰ってくる
来世にかえってくる
もっともっと先のタイミングで
かえってくる

という道理を知らず

良きこと悪しきことをわきまえない
そうした誤った見方の元に
生きている人たち

そういう人たちと
群れるな


こうした自分が行った悪業

この悪業を行った
この悪業を作り続けた者
は必ず堕ちるんだ

そして善業

この善業を行い続けた者は
必ず幸せになっていくんだ

その因果の道理というのは
髪の毛一本の細さの違いもないくらい
真実なんだ



仏教(お釈迦様)の教えとは

悪しきことを避け
善きことことを成す
 そして心を清らかに保つ
  
ということ


およそ生きるということは
苦しみの連続だけれども

 この苦しみの連続の人生の中で
誰もが幸せに在りたいわけです

 
苦しみには
必ず原因があります

 この原因をちゃんと理解して
苦しみの元となる 
 苦しみを生み出すような
生き方をしなければ
 私たちは心穏やかに
幸せに在ることができるんです

 その教えが

【八正道】

[正見](しょうけん) 正しい物の見方
[正思](しょうし)正しい考え方
[正語](しょうご)正しい言葉
 [正業] (しょうぎょう)  正しい行い
[正命](しょうみょう)正しい仕事
[正精進](しょうじょうじん)正しい努力
[正念](しょうねん)正しい思念
[正定](しょうじょう)正しい心の集中


普段私たちが
何を思い何を言葉にし何を行うか

これらは発信なのです

インターネットが発達し
一度に
世界中に
拡散できるような時代になりました

自分の中で考えていることが
言葉に出て態度に出て行いに出る

すべてが発信

インターネットが発達するずっと前から
道元禅師の時代より前から
変わらない

私たちがゴールに
何を思い何を話し何を行うか

それらすべてが発信

それらの発信によって
反応し集まってきた人達

【八正道】からかけ離れた
正しさが抜け落ちた

物事の見方や考え方
言葉遣いや行い
仕事や努力
ズレた考えで突き進んだ結果

得た人間関係

生れた苦しみ

『誤った見方の元に生きている人たち
そういう人たちと群れるな』

-もう人と関わりたくない-
と思う前に

-刺激のあるおもしろい友達が欲しい-
と思うなら


自分が楽しいと感じる

正しい
物事の味方や考え方
言葉遣いや行い
仕事や努力
気付き
精神統一

先ずは自分が
そういう人に
なることです


そうしたら


発信が変わり

受信が変わる

寄ってくる人が変わる


という事なのです


















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