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介護職員の皆様は、家族を上回る存在

私の親は伴侶を亡くしてひとりとなり、それから10年して認知症を発症し、グループホームに入りました。

面会時間の大制限

グループホームの入居から3年が経ちました。一昨年からはコロナ禍のため面会自体が困難となり、今は月1回、面会室にてたった15分だけ面談することが許されています。

それでも良い方だと思います。まったく面談すらできないところもあるのでしょうし。

面会禁止になる前は、部屋に行って同じテレビを見ているだけで1時間ぐらい過ごしていました。テレビを見ながら、或いは新聞を見ながらああだこうだ言い合える状況でした。

今の「15分」というなかではあまり話す事もなく(向こうも今の世の中の事がわからなくなったため)、自分が一方的に話すだけになっていて、なんとなく虚しさも感じるようになってきました。

たぶん私のこともよくわかっていないのかなぁ。

逆転して当然

グループホームというのは、認知症の方に限定して1フロア9人という限られた方々が過ごす施設です。

みなさんボーッと過ごしています(笑)

そして、施設の方が2・3名、あれやこれやと介助をしてくださっています。

当たり前ですが、今までの家庭ではなく、もう圧倒的にそっちで過ごしている時間が多いわけです。たぶん本人にとっても「ここが家・ここが我が住まい」と認識していることは間違いないでしょう。

そして、この10数人がもう家族みたいなかたちになっているのでしょう。

そりゃあ施設の職員にとってはそれが仕事であって、お金をもらっているからあれやこれやと介助しているのが大前提です。

でも、施設に預けてしばらく経ってみると、施設の方々こそが家族のように接してくださっていて、親にとってはここが安心の場になっています。それがなんとありがたいことか。

親がもらしたのは、「一文なしになっちゃった」←実際には施設の人に預けているだけです。

それ以外はまったく不平めいたことは言いません。

どこかで「見切り」を

施設から月に一度、会報が届いていますが、そこにこんなことが書かれていました(預けている側からの声として)

訪問介護サービスを受けるまでは「私がやらなきゃ」という気持ちが強く、不安でイライラするなど悩みが尽きない毎日でした。今はスタッフが毎日来てくれる安心感、そして私の不安な気持ちを聞いてくれる人がいるという心強さがあります。おかげで私自身も、今までできなかった家事や農作業をすることができます。スタッフの気遣いと、やさしい気持ちで夫に接してくださることにいつも感謝しています。

サービスを使うには当然相応の出費は必要ですが、今は介護に関して多彩な対応を受けることができます。自分の親なのだから、「自分で全部やらなきゃ」と思う人も多いと思うし私もそう思うひとりでしたしその気持ちは今もどこかに残っています。しかしそれはどこかで見切りをつけなければいけないのでしょう。そう思わせてくれるぐらい、施設の方は親切です。そして、これで良い、という表情が親から見られるのです。

施設の方の気遣いに、私も感謝しています。



#最近の学び #グループホーム #家族以上 #面会時間 #介護職員

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