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いただきもの

 春🌸は、別れと出会いの季節です。感謝の気持ちを贈り物で伝えることがあります。先日も、不動産会社のお世話になった担当者さんが異動されるので、今までのお礼の気持ち💛を伝えました。そして贈り物も添えました。

1、私は、なぜ贈ったか。

 不動産会社へは、日持ちがする詰め合わせの食品を贈っています。ジュース🍹やゼリー🍮チョコ🍫やクッキー🍪などのちょっと値が張るお菓子に決めています。スタッフの皆さんで分けて召し上がっていただけるようにです。
 異動する担当者さんは、細かな修繕にも素早く対応して入居者さんのストレスを軽減してくれました。退去者が出た後は、アパートを満室にするために、積極的に提案してくれました。仕事だから当たり前かもしれませんが、気持ちよく対応してもらったことへのお礼の気持ちを伝えました。

 良かった対応を順にあげると、

①スピード・即行動(即日が原則)
②分かりやすい説明(経緯を含めて具体的な内容)
③今後の対策を明確に提案(できること、できないことを精査していく)

です。この、たった3つのことが、なかなか難しいのです。毎日仕事に追われているスタッフのみなさん。急なトラブルにも迅速に対処してくださいます。本当に感謝の気持ち❤️です。

 また何年か後に、このエリアマネージャーとして戻って来られたら、
「今まで同様の丁寧な対応を期待しています。」
という下心もあります。
「うちの物件、今後も満室提案お願いします。」
という本音を、贈り物に託しました。

2、贈り物に込められているもの


 今まで、転居や転職などで多くの出会いと別れを経験しました。特に転居の時は、引っ越しの日までに気持ちを伝えなくてはなりません。誰に何を贈るかを含めて、スケジュールを調整し挨拶とお礼に伺いました。

 頂いた品物はたくさんありますが、特にうれしかった品は、スイーツです。普段は袋菓子なので、箱入りの高級スイーツを頂くと、ご褒美を頂いた気持ちになりました。


 今月もいろいろな場面で、箱入りのお菓子を贈ったり頂いたりしました。また、生活必需品なども頂きました。しかし、その中に違和感を感じるものもありました。それは、ちょっと違うのではないかと感じました。

 ある人は、気に入った物を買ったついでに、同じ物を買い与えるように何人かに贈るという行為です。親族でもないのに、何度も頂き、正直どうしたら良いのか困りました。

 そうして物を買い与えることで、人間関係を締め付けようとするロープが見えた気がしました。私を取り込もうと?買い与えられ続けたことが、プレッシャーになりました。

飛行機✈️見つけた!遠くへ行きたい。


3、ただ与えるだけの愛情

 夫の生家では、顧客へのお中元やお歳暮の贈答品は、食器と決まっていました。〇〇百貨店の外商を利用したり、直接買い付けにいったりしていました。

 結婚すると同時に、今までの新作のコレクションを食器棚半分近く渡されました。結婚してからは、毎年お中元・お歳暮の時期になると、その年の新作の食器が増えていきます。食器棚に収まらず、包装箱のままタンスや納戸に片付けてきました。

 増えていく箱を見て、
「今年はいりません。」
ということもできず、困っていました。今年いらないと言えば、
「もう二度と渡さない。」
と不愉快に思われるかもしれません。
贈答品を拒否することは、相手を拒否することと受け取られ、互いに嫌な思いをするのではないかという恐れがありました。
 

 顧客を対象に選ばれた食器なので、
「これは使わないな。」
と感じたこともあります。食器へのこだわりのない私ですが、
「自分で選びたいな。」
という思いもありました。かといって、高価な食器を自分たちで購入することはできませんでしたので、経済的にはとても助かっていたのですが😄

 しかし、そうこうするうちに解決方法が見つかりました。子どもが生まれ、次々に?食器が割れたり欠けたりしました。少しずつ納戸の箱は減っていきました。

 ある日、姑から
「食器が増えて大変でしょう。欲しいものだけ持っていけば良いのよ。使う時までここで預かって良いのよ。」
と、言われました。
 
 舅の食器収集に困っていたのは義理の母も同じだったのです。食器棚に入りきらず、他人にあげていると聞き
「そうだったのですね。」
ホッと安心したことを覚えています。受け取る側の捉え方次第ですね。考えすぎず、気楽に受け取れば良いのですね。

 私の両親は、自分の料理を子どもに残したり分け与えたりしました。祝いごとや法事で出された子どもが好きそうな料理に手を付けず持ち帰ってきました。
 エビフライ🍤や天ぷら料理、お団子🍡、お赤飯、ちらし寿司、ロールケーキ、焼き菓子など必ず何かを持ち帰ってくることが分かっていたので、夜遅くなっても、寝ずに帰宅を待っていました。

 その習慣で成人してからもレストランなどで母は自分のオーダーした料理が運ばれて来ると、
「一口食べてみて。」
と必ず勧めます。そして、断ると少し不機嫌になります。しかたなく、
「一口だけだから。」
と味見をしました。食を共有したいのですね。

 戦後の貧しい時代を知っているので、食べることに貪欲であり、また危機感を持っていました。
「食べることができるうちに、食べておきなさい。」
と言われてきました。
「食べることは生きること。」
と、喜ぶ母でした。

 夫の両親は、すでに亡くなっています。食器は、今も箱📦で残っており、孫である息子の一人暮らしに使わせてもらっています。ありがたいです。
 本当に、与えてもらうばかりでした。しかし、お返しは、満足にできないままでした。

4、何を受け取ったのか

 人から贈り物を頂くと、返さなければならないという義務を感じます。贈り物は返礼の義務というバトンを渡し合うことだと思います。私がなぜ、異動する担当者さんに贈ったかといえば、まさに「見返りの期待」です😁

 双方の両親からたくさんのものを与えてもらったので、わが子(彼らの孫)を通して返礼をしている途中です。見返りは期待していませんが、次の世代につなげて欲しいと願っています。

 贈り物をすることで、相手の喜ぶ顔をみたいと思います。しかし、受け手はどう解釈するか分かりません。

 受け取る側は、返礼の負い目をもちます。
「お返しをしなければならない。」
という気持ちになります。感謝やお礼の気持ちは、負担のない形で伝え合えると良いと思います。

 時には、意識して「返礼の義務バトン」を落とすようにしています。400mトラックを走りながら、手をブルンブルンと振り切って、遠くへ飛ばしたり川に投げ込んだりしているイメージです。形式的なやりとりはなるべく避けたいのです。しかしこれも私自身が年長者の立場だから出来る事なのかもしれません。
 弱い立場の人は、バトンをしばらくどこかへ置いておくのはどうでしょうか?忘れた頃に取りに行けばよいのです。忘れてしまったなら、それだけのことです。

 「義務」のバトンは渡す必要はありません。しかし、純粋な気持ちのバトンは、
「感謝の気持ちでいっぱいです❤️」
と、その都度伝えたいです。

 優しい気持ちが循環していく関係性を大切にし、その中で生きていきたいと感じた春でした。
出会って来た方々と、双方の両親に感謝感謝です☺️



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