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機嫌のいいチャット

チャット中心で仕事をするようになってから機嫌という言葉をよく考える。
文字だから認識がズレることはしょうがないし、ズレたら戻せばいい。でも認識がズレるのを事前に防げるならそれに越したことはないよねー。
その中で今はチャットを機嫌よく送るということを意識している。

機嫌のいいチャットを意識したきっかけはいつも作業する時に通っている近くのカフェだった。自宅で作業が思うように進まない時に使う普通のチェーン店のカフェだ。ぼくはあえてその店を選んで通っている。

何がいいって店員さんの機嫌がいいのだ。
笑顔だからとか、接客がいいからとかではなく、楽しそうだし、それがいつも変わらない。
楽しそうに働くでもなく、一つ一つの動きが楽しそうなのだ。
コーヒーを頼んで受け取るまで1分もない。でも機嫌がいいんだなーということは伝わってくる。

そこで「これって対面だから実現できることなのだろうか?」と考えてみたんだけど、チャットでもできるよねと考えてる。

じゃあ機嫌のいいチャットってなんだろうと考えると、文章だから受け取り方は相手によるから、そうなると楽しそうに書くっていうのは難しい。
なので、いつも変わらない文体でチャットを送ることを心がけてる。絵文字をいっぱい使ってもいいし、事務的に事実だけを送ってもいい。そういう技術的な話はおいといて、いつも変わらない自分の文体をキープすること=読んだ時にその人が浮かぶっていうのは機嫌のいいチャットにつながるのかなって思う。

これまでぼくが見て、あー機嫌のいいチャットだなと印象に残っているチャットが2つある。
一つはいつも文頭の挨拶のあとに季節の絵文字を入れるチャットだ。夏ならスイカとかアイスとか。クリスマスが近い時にはツリーとか。
もう一つは、お疲れ様ですを書かずにこんにちは、こんばんはと書く人。お疲れ様ですより挨拶をしてもらったという心地よさがあった。
ステキだなーと思ったので、ぼくも真似をしている。

それだけで機嫌がいいって思える?と思う人がいるかもしれない。
その意見もわかる。ただ、ぼくとしてはこれまで生きてきたなかで「ひまわり咲いてるー夏っぽいね」と季節を感じながら怒っている人や、「こんにちは」と挨拶しながら怒っている人は見たことがないので季節を感じる人は機嫌がいいんだと判断してる。

少し話が逸れたが、いつも季節を大事に感じてる〇〇さん、挨拶を大にしてる〇〇さんっていうことがチャットしている時に思い浮かぶ人の方がコミュニケーションしてて楽だ。

出版やマーケティングっていうコンテンツを作る仕事をしていてやっぱり機嫌がいい人たちと作ったコンテンツは受け取り手にも伝わる。機嫌のいい人たちはコンテンツの細部を見るから必然的にクオリティが上がる。

画面の向こうはいつも見えない。でも少しの意識は画面を超えると思います。


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