一番好きなフォトグラファー
フィルムカメラを使わなくなってしまった。
飽きたわけでも、流行ったから嫌になったのでもない。
でも、使うのをやめてしまった。
それはただただ勝てないから。
私には越えられないフォトグラファーがいる。
撮っても撮っても近づけやしない。そのことが悔しくて、どうにもたまらない。
相手がとんでもない有名人なら諦めがつくかもしれない。
しかし、その人は世間的には知られていない。隠れた名人、または埋もれた達人。そんな異名でからかってやりたくなるほど表に出ない。
無名で至高のアナログフォトグラファー。
その揺るぎない存在が、私のカメラを引き出しの奥に眠らせた。
その人は、実父だ。
彼とはもう長らく会っていない。
急いであちらに行ってしまうもんだから、私たちは線香の煙に手を合わせるほかなくなった。
彼は経営者だったけれど、その前からプロのミュージシャンであり、そのもっと前からフィルムカメラの使い手だった。
でもそんなことより彼は息子であり、男であって、それだから夫になり、晴れて父親にもなった。それなのに祖父を飛ばして仏になった。
そんな私たち家族の思い出は全て、フィルムカメラのもとにある。
よその家と違い、うちにはビデオカメラもデジタルカメラもなかった。パソコンだって、我が家での歴史は非常に浅い。うちの家族はつい最近までデータになっていなかった。
昔の家族が動く姿を見ることは二度とない。気づいた時はどきっとした。張り付くような薄い寂しさがじわじわと私を包む。その感情の正体に迫ろうとしたがすぐにやめた。そんなことをしたところでもうどうしようもないからだ。
L判に焼かれた風景はいつだって優しい。
現像されたその一枚一枚は、私たち家族がちゃんと家族をやっていた唯一の証拠だった。
そんなある日のこと。
十代で家を出た私は、ほどなくして実家の断捨離に参加するため帰省した。
東京のはずれにある一軒家。母と猫だけにしては広すぎて心配になるけれど、大好きな場所。みんなで団欒の日々を過ごしたこのリビングが特に好き。
さぁ、どこから手をつけようか。そう考えているだけで随分スタートが遅れてしまった。とりあえず何でも良いから収納棚をひっくり返そう。大きな窓の下に並ぶ木製の引き戸に手をかける。がらがらと小さく音を立て、低くて長い小さな世界が私に向かって開いていく。
なんだこれ。
そこにあったのは、紙、紙、紙、紙。大量の紙。いろいろなサイズ。さまざまな材質。ザラザラ、ツルツル、厚みが違うのも、封筒に入ったのも、雑に重なったのもある。そして奥には冊子がずらり。太く透けた茶色のりぼんもかすかに見える。
何なのか確かめようと目をこらす。
それはおびただしい数の写真だった。L版、アルバム、ネガフィルム。とにかく大量に奥の奥まで詰まっている。さながら我が家最大の遺跡だ。
こうなるともう、家の片付けなど終わったも同然だ。目の前の深海に潜っていく。
一番古そうなものから開く。見慣れぬ赤ん坊の姿がある。姉だ。私がまだ存在しなかった頃のやわらかな景色。そのうち私が誕生する。生まれたばかりの自分も、姉がどんどん姉になっていく様子も、たくさん焼かれて重なっている。父も母も若い。笑い声が聞こえてきそうだ。幸せそうな顔に、自然と口元がゆるむ。
まだまだめくる。
姉が小学生になり中学生になる。私は園児から小学生へ。良い写真だなぁ。愛おしくってあたたかい。すべてがきらきら、眩しく見える。
あれ、失敗したのも入ってる。
あれ、これも失敗。これも。これもダメだね。
あれ?これも?あれ、こっちも。
あれ……?次のページも……??
途中、失敗作がやたらと続く。
水中で目を開けているような、ちょうどあんな感じ。
発表会、誕生日、クリスマス。
どこかの原っぱ、山道、川沿い。
全てがぼけるか、ぶれている。
私であろう小さな女児が不明瞭に写る。この子を撮ろうとしているんだ。それはなんとなくわかるけど。
このアルバムが一番見るに堪えない。運動会の日だろうか。お弁当作りに奮闘する母の姿から既に失敗が続いている。
これはきっとリレーだな。こいつは大玉転がしだろうか。こっちはおそらく玉入れだ。それにしても酷い写真。
近眼のようにぼけていて、特急のようにぶれている。これじゃまるでクイズじゃないか。家族写真にしてはあまりにもお粗末だ。
処分するのが面倒で残っているのだろうか。それとも、見る人が見たら良いのだろうか……
ちゃんと写っているものも時々あったり、無かったり。次の一冊もその次も、そのまた次もずっとそう。しかも、明らかに失敗の数が増えてきている。
たまらなくなり、姉が同じくらいの年だったころのアルバムを引っ張り出す。
あった。姉の運動会。
私のと同じシチュエーション。
これはリレーで、こいつは大玉転がしで、こっちは玉入れ。なんだ、姉のは綺麗に写っている。私の運動会だけあまりにも酷い。しかもやっぱり、そのあたりからどんどんしっかり下手になっていく。
『あぁ、きっと誰かが挑戦して撮ったんだな』
当時のプロ仕様のカメラだもんね、今と違って押せば勝手に綺麗に撮れるわけじゃない。そりゃ素人には難しいか。私は妙に納得した。
失敗写真を集めていると、母がこちらにやって来た。
広げた写真で床に孤島をつくる娘を一瞥し、あーあ、という顔をする。
「ちゃんと整理するから!何も言わないで〜」
私が先に母を制す。別にいいけど、と呟きながらこちらへ来た母は、私が手にしている写真にアッと懐かしそうな顔をした。
「ねぇこれ、失敗してる写真ばかりなの。整理しちゃっていいよね?」
私はぼけているその写真を差し出した。そんな写真だけで一冊まるごと埋まったアルバムもある。こんなのどうして残してあるの、と私は続けた。
「あぁ、これ」
一枚手に取り、母が言う。
「もうこの頃には全然見えなかったみたいよ」
何のことかよくわからなかった。
聞き返そうと見た横顔の、じんわりとしていく母の瞳。私はようやく察した。
これを撮ったのは、病に倒れた後の父だった。
父は明らかに落ちていく体の力に気が付きながらも、自慢のレンズで自慢の家族を追いかけた。何も知らず懸命に競技に励む小さな娘を収め、とらえ、焼き付けようと、その目を凝らしたに違いない。
周りの家族のカメラは、デジタルズームにオートフォーカス。父は使い慣れたアナログを握った。
ファインダーを覗き、リングを回してピントを合わせる。そこにはきっと、誰の言葉も寄せつけない確かなプライドがあったはずだ。
「現像してそれが出てきた時は、静かに眺めてたよ」
母が言う。
ずっとこのカメラで撮ってたんだもん、こんな写真しか撮れなくなったらそりゃショックだよね、どんなに力を入れても波の中でまぶたを開いているようだって言う時もあったんだ、
でも一生懸命追いかけてたよ、あんたのこと。
だからね、なんか、捨てられない。
母は言葉を詰まらせた。
私もつられてぽろぽろ零した。
ぼやけてぶれる幼い私に落ちてしまわないよう、ぽろぽろ、ぽろぽろ、自然と止まってくれるまで。
あれから数年が経ち、大人になった私はひょんなことからカメラを持った。
それはそのまま趣味になり、お金になり、私をしばらく生かしてくれた。このままこの道に進んでいこうかと考えたこともある。
でも、私は思う。
どんな作品も、あれには勝てない。
技術も経験も何もかもが足りない私に言う資格はない。でもそう思う。どんなに良く撮れたって、評価がたくさんついたって、それがお金になったって、勝ることなど一生ない。
自分がもうすぐいなくなることをわかっていて、異物を飲み込むような鈍くて重たい感覚を味わいながら一日一日覚悟して。無邪気で自由な小さな宝の舞う姿を、懸命に凝らして追いかけて。すべてをふりしぼりシャッターを切った男の一枚。体温よりも熱い何かが心臓の奥からどぷんと溢れて巡り出す、あの紙の連なり。
あんなの、私には撮れない。
これでもかというほどに溢れかえる愛情が、感情が、あの紙にはしみ込んでいる。それは私なんかじゃ到底表現できないことが、私にはすべて伝わってくる。撮れば撮るほど本当に、痛いほどに理解する。
だから私はフィルムカメラを使わなくなった。
飽きたわけでも、流行ったから嫌になったのでもない。
無名で至高のアナログフォトグラファー。
その揺るぎない存在が、私のカメラを引き出しの奥に眠らせた。
しかし、私は彼の子だ。私に大切なものができた時、きっとこの手は引き出しを開ける。
そこまで私は走り続ける。ぼけてもぶれても大丈夫。一生懸命、追いかける。
ものづくりに使います