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亡くなった父のこと

noteの更新が途切れており、大変申し訳ないです。


今月、父が亡くなりました。
思っていた年齢よりも、ずっとずっと早くあの世にいってしまいました。


私が今思うこと・考えていることを残すため、これを書いています。

プライバシーもありますので、全てをさらけ出すのは難しく、中には伝わりにくい部分もあるかと思いますが、ご了承ください。

また、忌み言葉が出てくる(出てきた)点も、何卒ご了承くださいませ。

※父が亡くなってからお葬式までの、ざっとした流れも書いています。フラッシュバック等ご心配な方は、ご注意ください。


父の状態が悪くなり、検査入院したのが先月11月下旬です。別件で、私は11月中旬ごろから帰省。当初は用事を済ませた後、11月末には帰るつもりでした。


入院して点滴などを行った翌日、明らかに父の顔色は良くなりました。「もしかしたら良くなるのでは?」と私も母も楽観的。また、父は会話があまりできておらず、看護師さんにはっきりと自分の身長を伝えていたときは心底驚きました。

しかし、検査の結果、「病院でも自宅でもやれることはあまり変わらない」と医師に告げられました。今後どうしたいか聞かれ、ソーシャルワーカーや看護師も交えて話し合った結果、私と母は在宅介護を選択。

在宅介護に備え、父の退院前に、すでにお世話になっていたケアマネジャーや在宅看護の看護師など数人で一旦話す予定にしていました。いろんな人のお世話になりつつ、しばらくは私が引き続き帰省し、母と一緒に父を介護しようと。そのつもりで動いていました。(今思えば、在宅介護=緩和ケア)


父が急変したとの連絡は、在宅介護を決めた翌日未明にありました。母は寝ていて電話に気づかず、私は夫と電話中。母が電話を取らなかったため、私に電話がありました。

急いで母を起こし、タクシーに乗って病院へ。どうにか父を看取ることができました。

ただ、検査入院から約10日後。あまりにも急でした。


「いつ急変してもおかしくない。それが明日かもしれないし、3ヶ月後かもしれないし、半年後かもしれない」と医師に言われ、私も母も納得はしていました。実際、誰にも分からないと思いますし。

ただ、まさか医師に言われた翌日、つまり「明日」だとは思っていませんでした。大きかったのは、在宅介護をすると決めたことです。亡くなる前日は、在宅介護に向けて、布団の準備がどうだとか介護用品のレンタルがどうだとか母と話していたので、まさかその翌日だとは思わなかったのです。



正直、父が亡くなった実感はすぐには湧きませんでした。

知らなかったのですが…病院で亡くなると、遺体は長く安置できないんですね。母は普通に話せるようには見えず(話を聞いているようで聞いていない状態)、私がすぐ葬儀屋さんへ連絡。亡くなって約2時間後には、父は葬儀場まで運ばれました。


※余談ですが、万が一を考え、あらかじめ近くの葬儀屋さんを把握していたのが功を奏しました。料金や場所をある程度把握しており、迷わず連絡できました。安置所がない病院ですと、遺体は2〜3時間しか安置できないらしく、焦る人もいるかもしれません。どなたかのご参考になれば。


葬儀場に移動した後はお葬式の手続きをしたり、弟や夫へLINEしたりと、慌ただしく過ぎました。「お葬式で決めること、こんなにあるの…?」などの疑問が多々あり、息つく暇もなかったです。

※こちらも余談で、お世話になっているお寺があるかとか、宗教はどうだとか、実家について知らないことがあれば、今のうちに情報をまとめてくことをおすすめします。お墓によっては、骨壷のサイズも聞いておくと安心。


父が亡くなり、葬儀場に行き、自宅に帰ったのが5時ごろ。同日9時にお葬式の打ち合わせをしなければならず、ほぼ27時間起きました。合間に仕事の連絡もしていましたので、正直なところ、実感が湧く暇を与えてもらえない…という感じ。

仕事を休みにし、翌日にお葬式。お葬式当日も「弟の職場から電報が届いた!」「お花が届いた…お礼は?」など疑問は続き、母とてんやわんやでした。

お葬式は弟や夫をはじめ、予想よりも多くの方が来てくださいました。お葬式から火葬場、そして帰宅まであっという間。

母を支えなければならないと思い、泣かないようにしようと考えていました。私が人前で泣いたのは一瞬です。大号泣する母の声を聞きながら、思わず。あまりにも辛そうな母を直視できませんでした。


・ ・ ・


母とは今も昔もよく話しますが、父とはほとんど話していません。父は私とも弟とも積極的に話そうとはせず、かといって、私も弟も父と歩み寄ろうとはしませんでした。

でも、父との思い出がないわけではありません。

父は、歌うのが好きでした。酔うとたまに大声で歌ってましたし、行きつけのカラオケスナックがあったようです。

ラジカセのボリュームが大きすぎて、私が中学生の頃は「大きい!」と父を怒ったことが何度もありました。(怒鳴るのもそのうち面倒くさくなり、勝手にボリュームを下げてた)

毎日のように流していたトム・ジョーンズや美輪明宏、小林旭の歌の数々は、さすがに覚えました。

音楽が好きなのは、娘の私も同じく。私は夫とよくカラオケに行き、多いときは毎週行っています。


私と父の共通点は、分かりやすいものだと…「歌うのが好き」「人見知り」「仕事で伝えるべきことははっきり言う」「気に入ったものは長く使う」。「音がないとダメ」という共通点を知ったのは、最近のことです。(これも、ポッドキャストを流しながら書いています)


2階にある2部屋を、父と私が長らく使っていました。隣部屋だったこともあり、父との思い出は弟よりも私のほうが多いと思います。いくつかの思い出を母に話したところ、「それは知らんかった」ということも。

その一つが、9.11。その日、父の部屋のドアは開いており、テレビであのビルが倒れる映像が流れていました。確か、会話らしい会話はしなかったと思います。「怖いね」とか「えらいこっちゃ」とか、一言程度のやり取りでしょうか。ただ、父と一緒にニュースを見たのは、はっきりと覚えています。

そういう父との細かい思い出が、いくつもあります。

勝手に宿題を解かれたこと
反抗期、晩ご飯中に口喧嘩した際、リモコンを投げたら、お皿を投げられたこと(どっちも当たってない)
何時に寝ても、何時に起きても、特に怒られなかったこと
父の日に唯一プレゼントした小銭入れを長年使ってくれてたこと
図書館まで迎えを頼み、1〜2時間後に来たこと
車の運転が遅すぎてイライラしたこと
大学一浪したとき、「大学は行きたいところに行きなさい」と言われたこと(父は大学入学して数年後、別の大学に入り直した)
「塾の先生が向いてる」と言われたこと
家出したとき、誰よりも私を探してくれたこと


実のところ、「父に〇〇すれば良かった」「父ともっと話したかった」とはあまり思いません。

ただ、ふとしたときに「ああ、私の〇〇はお父さんに似たのか」「私が高校生のとき、お父さんとこんなことがあったなあ」など考えるようになりました。



親がいなくなることを、深く考えたことはありませんでした。あくまでも、考えた“つもり”というか。

私の夢の一つが、小説での受賞です。父が亡くなった後、小説の登場人物たちのことを深くは考えていなかったと思い知らされました。

父の力を借りる…のは本望ではないですが、「お前、もっとしっかり考えろよ」と父があの世から伝えているのかもしれません。


ストックしていた小説のあるネタを、ふと、「これは今書くべき」と思いました。まだ文字にはしていませんが、ネタを膨らませる作業は脳内で進めています。

これまでも、本気で小説の受賞を目指してきました。だけど、一段上にのぼったというか。本気が足りてなかったと自覚し、一層小説に力を入れようと思っています。


・ ・ ・


父に関連する手続きはほぼ終わり、大きく残っているのが父の実家のあれこれです。もう少し時間がかかりそうなため、もうしばらく宮崎で過ごします。

実家で過ごす年末年始は、15年ぶりくらいでしょうか。しかも、大晦日に母とゆっくり過ごすなんて初めてです。

昔は父も母も新聞配達をしてましたので、大晦日は決まって2人とも早く寝ていました。お正月の新聞は、分厚すぎるんですよね…。普段は3時すぎに出勤していた父母が、1月1日だけは0時ごろに出勤していたことを思い出しました。玄関で「あけましておめでとう。いってらっしゃい」と同時に言ってたなあ、としみじみ。


私は学生の頃、国語が一番嫌いで一番苦手でした。しかし今、文章をチェックする立場に就き、プライベートでは小説を書いています。少なからず、新聞を読んでいたことが影響していると思います。

これを書きながらふと、父が買った『ソフィーの世界』を思い出しました。記憶が曖昧で、私のために買ってくれたのか、父が買ったのを私が勝手に読んだのかは覚えていません。ただ、父が買ったのは間違いないです。

辞書のように分厚い『ソフィーの世界』を読んだのがきっかけで、分厚めの海外小説にハマったのも間違いありません。著者であるヨースタイン・ゴルデル氏の小説はほぼ読みました。

覚えていないだけで、父からの影響は多々あるのかもしれません。


ふとしたときに父のことを思い出しながら、これからも小説を書いたり、カラオケで歌ったりするのだと思います。

どうまとめたらいいのか分からなくなったので、この辺で。
良いお年をお迎えください。



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