見出し画像

13代目團十郎(海老蔵)の襲名披露、8代目新之助(勸玄)の初舞台の11月吉例顔見世大歌舞伎に行ってきました。

「勧玄。おそろしい子!!!!」と、思わず『ガラスの仮面』における月影千草センセイ級の言葉が口をついて出て来てしまったのが、現在、後半に突入した13代目市川團十郎白猿襲名披露興行歌舞伎の11月公演。昼夜デュアルのハードスタッフで、観てきました。(けっこう最近、バタバタしていて、やっとこのレポートを書いているなり)

歌舞伎きっての大名跡、市川團十郎の襲名披露にはご縁がありまして、先代12代目の襲名披露公演ももちろん観ております。観ているどころか、大いに興行に関わっている。なぜならば、当時、ワタクシはびあの演劇・歌舞伎担当。後に『歌舞伎ワンダーランド』という一冊のMOOKになった広告企画が松竹とぴあとで始まり、そこに関わってもいたのです。当時の歌舞伎は、坂東玉三郎と片岡孝夫の孝玉ブームはあったとはいえ、客席は団体さんばかり。新しい若い観客を獲得できてはおらず、試行錯誤の時代でした。

その後、歌舞伎は古典ながら、宮藤官九郎に脚本を書かせたり、人気漫画『ONE PIECE』の歌舞伎化に挑んだり、また、團十郎を始めとして有能な若手が育っていったりで、新陳代謝を遂げたのは、当時、いろいろと歌舞伎業界に感じていた実感からすると、予想外の素晴らしい結果だと思います。

まずは、襲名した團十郎についてですが、あのルックスと持って生まれた声質(先代はここのところに本当に残念なところがあった)でもって、早くから注目されてた存在でした。芸能ネタとしても、多くのタレントと浮名を流し、結果、人気女子アナの麻央さんと結婚し、子宝に恵まれたあとの死別の悲劇、というドラマチックな私生活では、つとに有名。

しかし、私自身は長いことあんまりピンと来ず。「え、この役者、凄いかも」と思ったのは、実は麻央さんがお亡くなりになってから。『幡随院長兵衛』という、ヤクザの元祖ともいわれる侠客の、「死地に自ら飛び込む」侠気を描いた、言うなれば江戸版地味な「仁義なき戦い」及び「アウトレイジ」な役柄をやったときからなのです。團十郎と言えば、半グレと喧嘩し重傷を負った例の事件が有名ですが、その暴力性が、長兵衛の普段は良き父よきボスという衣から噴出していくところの、暗い運命と色気にちょっとびっくりした覚えがあるのです。

要するにブレーキも強いのだが、そこをブチ切るエンジンの激しさ、というね。日本という国は何せ「迷惑をかけちゃイケません」の国ですから、ブレーキの強さは圧倒的。で、だいたいの人間はそのブレーキ内で生きていくうちに、全くエンジンに火がつかなくなった人が大半。だからこそ、そこを突き破れる人間を敬愛するムードがあるのです。

というわけで、「荒事」という市川團十郎家のお家芸は、そういった民意の象徴。主人公の神がかった力づよさというのは、観客の心証においては、常識や社会の空気をもろともしない人間のパワーへの憧憬ということになる。で、團十郎ですが、もともとの才能として、マスキュランなパワー系だったものが、私生活では例の事件やよもやの死別などで、もの凄く冷水を浴びせられたわけで、その悲しさ、苦しさ、不条理さというダメージが、この人なりのブレーキの利かせ方に昇華して、芸に結実しているという、ね。そう、この人の技術は実は、そこに置いて磨かれ続けている。生来の馬力に、巧妙なハンドリングとスキルが備わったのです。

花の慶次、サラリーマン金太郎、煉獄杏寿郎もしくは宇髄天元(こっちかも)といった、究極の色男ヒーローの『助六』は、もうもう、團十郎の私生活のモテ部分全開。ホストクラブでは、話術の巧みさよりも「居る」だけで勝手に女が惚れ込んでいくタイプがいますが、そんな風情。しかも、この人らしく現代的なのは、その男らしさが、オレオレ系のよく男性が誤解しがちなナルシスティックなソレではない、というところ。

凡人は他人のチヤホヤを求めますが、そんなことはが当たり前で「それが何か?」という軽快さとクールさが彼の助六にはあるんですよ。その意味で、彼の恋人たる当代一の遊女揚巻も同質の、超ツンデレのパワーが欲しいトコロですが、今回の尾上菊之助も色気とダークサイドがある役者なので、好取組でした。

『勧進帳』の弁慶は、実はあんまり指摘されることがない團十郎の上手さが出ましたね。主君義経と関所を通過するために、主君をあえて打擲し、敵の目を欺こうとするが、敵側の関守は、その意気に感じ、芝居とわかりつつも見逃す、というくだりは、なんだか、サラリーマンが落とし前を付けるときのいろんなシーンを髣髴させる、実は半沢直樹的展開なのですが、團十郎は歌舞伎の類型の中に細かい感情のひだを差し込み、そして、これがまた重要なのですが、セリフに絶妙に間を取るのです(このディテール発見は、我がNikonのオペラグラス名器当てっぱなしの食らいつきの成果といえましょうっ)。

ラストシーン、花道での飛び六方では、これから義経一行がむかえるだろう悲劇と自死に自ら突っ込んでいく、という、そう、前述の自らの誇りのために死地に赴く『幡随院長兵衛』と同様の、諦観と死へ向かうエロスがそれまで演技の押さえと相まって爆発した感じの迫力で、ちょっとマジで感動しました。そう、團十郎、持っている本質が「暗い」んですね。ダーク&暴力、略してDB、なんちてwww。ヒューマニズムに回収し得ないここのところの魅力が、この人には濃厚に在る。だから、團十郎、だから、歌舞伎なんですよ!!!

ちなみに、幼少期のワタクシを歌舞伎によく連れて行ってくれたおばあちゃんは、二代目尾上松緑のファン。真善美と正道が大好きだった人で、『俊寛』とかが大好物という変わり種。当然、当時の色気と遊び心の勘三郎が嫌いで「けしからん」と怒っていましたっけ。彼女はその体で言えば、今の團十郎、大嫌いだろうな。

で、勧玄も改め新之助ですが、もう一度言いますが、「勧玄。おそろしい子」。こまっしゃくれた薬売りの子どもが、早口でセリフをまくし立てて大人をケムにまく『外郎売り』のセリフ量と滑舌のよさはともかく、大勢の大人たちをパックに従えて、「これが、オレの当然」という強気のオーラを放ちまくっています。新之助は現在9歳。コロナで襲名披露は2年半延びたわけですが、この延期が彼にとって大チャンスだった!!

つまり、6〜7歳ならば、子役のモノの分からぬ健気さや可愛らしさだけで舞台が華やぐのですが、9歳はそこに将来の役者としての自立にとって必要な自我が強烈に現れてくるわけで、まさに絶妙の「スター誕生」のタイミングだったわけです。こういう「引きの強さ」もまた、才能のひとつですからね。

「人は自分に何を期待しているのか」「自分が後を継ぐ歌舞伎というものはどういうモノなのか」という、相当面倒くさいハードルを越えるのか、越えないのかという自我ですよね。そこで「やってやる」という方を選んだ「強気」ですよ。想像するに、彼、小学校でも、自然と一目置かれて、なおかつ女子生徒にモテモテだろうな。麻央さんという、若くて美しい時分にこの世を去った母の幻影は、今後、芸も私生活も数々の体験を重ねていく彼に、どういう影響を残すのでしょうかねぇ。もうさ、このあたりになると、光源氏とか、谷崎潤一郎がオーバーラップしてきちゃう。

「口上」でも大物幹部たちが、團十郎よりも新之助により強力にエールをおくっている感じがしたなあ。と、これ少子高齢化で、実は絶対に今よりも厳しい状態になることは必須の、将来の14代目團十郎襲名を見越しての言霊だと思います。

幕間の緞帳は、村上隆の手になるもの。そういう、現代性は今や歌舞伎の基本にあるわけです。しかし、これがバブル時代だったら、ブリントでなく織物で仕上げていただろうな、という想いもありちょいと残念。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?