Vの者は人間なのか【VTuber / 解釈 / 持論 / 考察】

アーティストを追うこと。VTuberを追うこと。元々バンドなどのアーティストを中心にファンをしている私の感覚では、どうやらその性質には大きな違いがあるように思えてならない。
これについてつらつらと考えていたら、いつか話題になっていた「VTuberも人間」という言葉の真偽を疑うようになった。

書き出しからは完全に脱線してしまうが、ここではVTuberの性質について考えながら、人間と同様に扱うことができるか否かについて検討していきたいと思う。

何卒お付き合いいただければ幸いです。

個人勢と企業勢

言うまでもないが、VTuberには自分及びその周囲が制作・運営を手がける、もしくはそこに由来して現在企業とマネジメント契約関係にある「個人勢」と、運営会社が採用・プロデュースを手がけて所属する「企業勢」がいる。

個人勢のみなさまは多くの場合で全権を自ら握っているため、これから綴る内容はさほど関係ない。

本編の内容のほとんどは、企業勢と言われるVTuberを考えるものとなるだろうことを、ここに明示しておきたい。

違和感を抱く場面

VTuberという存在が世に出て早くも3年近い年月が経過するようだ。

初めは3Dもしくは2Dのキャラクターが楽しそうに企画をしたり、歌ったり、雑談をしたりとわいわいしていたが、文化発展が次のフェーズを迎えようとする昨今では参画者の目指すものの相違トラブル引退といったネガティブなニュースも増えてきている。

こうした機会に私は違和感を抱くことが多い。

「なぜ引退になるのか」
「優先されるのは誰なのか」
「VTuberとは何なのか」

そういったことをことあるごとに考える。所詮一人のファンの意見なので取るに足らないものなのかもしれないが、ぜひ考えてみていただきたい。

移籍及び独立の概念
~ライバーの引退・ゲーム部問題~

VTuberにはどうやら事務所・レーベル・運営に対して、所属はしても移籍するという概念がないようだ。

通常、アーティストに於いては運営との方針の不一致・環境整備・契約内容の変更・各種問題が生じた場合、移籍・独立を行うケースも稀ではない。
環境整備のため、活動を広げるため、契約解除を機にした事務所やレーベル移籍、自由に展開するための個人事務所や自主レーベルの設立。
エンタメ系のニュースでこうした言葉を耳にすることはあるだろう。

一方で、VTuberにはそうしたニュースがまだ(少なくとも私は知ら)ない。
確かに、数年の文化であれば所属先との話がないことも頷け...ない

引退。2019年は9月時点で多くのVTuberが様々な理由を背景に引退を表明している。理由が明示された例でいえば、先日運営プラットフォームでは活動が広がらないと明言してIRIAMの李稍ちゃんが引退したのは記憶に新しいだろう。

また、かの有名な「ゲーム部プロジェクト問題」も関係してくるだろう。
2019年4月に騒動になり、9月現在でも依然として収束地点が見えなくなっている。疑問に思った人もいるかもしれない。なぜ彼らは和解してまでその後もUnlimited inc.の運営下にあったのか、なぜ魂は変わったのか。
数多の例はあるものの、この一件を機にVの者の存在性質を考えた者も多いのではなかろうか。

前述した私の感覚では、「それ、移籍・独立すればいいんじゃない?」と思ってしまうのがこれらに対する本音だった。所属先と合わないのなら、それでも続けたいと思うのであれば、環境を変えて活動すればいいと思うわけだ。
しかし、VTuberの世界ではこの概念が当たり前に存在できないのかもしれないと考えるに至った。

権利関係が邪魔をする?

移籍の概念が発生しないのは、バーチャル特有の複雑な権利関係に起因し、それを考慮するためにVTuber本人の優先度が低くとどまっていると推察できる。超端的に言えば、ライバー本人よりも運営会社やデザイナーが持つ権利が優先されると解される場合である。

わかりやすく芸能界を例にあげるなら、「じぇじぇじぇ」で一世を風靡した能年玲奈さんが現在は"のん"を名乗って活動していることなんてわかりやすいかもしれない。
彼女は事務所を移籍する際、会社側から「"能年玲奈"はこの会社が商標権(厳密には商標法上の先使用権適用)を持っているから、名乗るなら許可取ってね」と言われてしまい、権利関係のトラブルを起こさずに活動するために名義変更を余儀なくされたという経緯があった。

このように、運営会社と権利関係でトラブルになると使えなくなるものが少なからずこの世の中には存在する。幸い、彼女は名義と商標の関係だけで済んだものの、VTuberにこの話を適用するとかなり複雑になってしまうことは想像に容易いだろう。

VTuberの構成要素
~モデルの権利~

では、考えよう。VTuberは極端に言えばモデルで構成される。
これがVの最大の特徴にして醍醐味であるが、一方で問題を複雑にしている最大の要因とも解することができる。

VTuberには様々な権利が発生する。
名義は申告次第で商標権の対象になることは前述同様、加えてモデルはデザイナー(もしくは運営会社)に著作権が発生する。私は詳しくないが、モデラ―、運営、など厳密には数多くの権利が発生していることだろう。
これらはIP・版権と言われるものの構成要素であり、イラスト及び3Dが伴う以上は必ず関わってくるものとなる。

仮に、VTuberの魂が自身で移籍や独立に踏み切る場合、これらの権利関係を処理しなければならない。

移籍するのであれば自身もしくは移籍先の企業が、独立するのであれば自身が、全て買い取るなどして譲渡、もしくは元の運営会社やクリエイターに権利をに残したままライセンス契約を締結して使用を継続するなどといった形で適切に処理を行い、トラブルなくモデルを使い続けることができるようにしなければならない。

VTuberの性質とは
~IPか、人間か。タレントか、コンテンツか。~

これを語る上で、前提として「VTuberという存在の性質」がどのように定義されるのかが最も重要と言えるだろう。

具体的には、魂の人格に比重を置いて人間として扱うべき存在であるのか、それとも魂はそのコンテンツの声及び演出の役割としてのIPの一部と扱うのか。簡単に言えば「VTuberはタレントか、それともコンテンツか」という議論だ。アーティストは確実に存在としてタレントであり、彼らの生み出す作品こそがコンテンツであるわけだが、VTuberは存在そのものにコンテンツとしての側面を強く持っている節があるために、現在のバーチャル関係各所はこの認識の難しさに振り回されているのではなかろうか。

IPと人の間で揺らぐVの世界

おそらく、今日に於いてほとんどの運営企業及びファンの間で共有されている考えは「VTuberも人間」「VTuber=魂」であろう。
VTuberをタレントとして人間の延長線上の存在として扱うのであれば、魂はモデルと共に同一人物を構成する要素として尊重されなければならない。
一方で、この理論に従うならば最も重要視されるのはVの者本人の意向と考えていいだろう。しかしこの場合、そのIPとしての側面をある程度殺してしまわなければならないことになってしまう。

故に、現在はその折衷ポイントのような様式が取られていると解される。"彼らが所属し、そのマネジメントの下で活動を行うという状態が継続される限りに於いて、その運営企業が版権を持って展開を行い、彼らにその環境下での活動の意思がなくなったときは「引退・卒業」という形で魂を解放すると同時にそのIP性を持つコンテンツにも幕を下ろす"という現在一般化されたこの様式は、双方の合意がある場合という条件付きではあるものの、非常に適っていると言える。
簡単に書き表すとすれば「VTuber=魂≠権利主体≒運営」と言ったところだろうか。

一方で、双方の合意が得られないままに、もしくは運営サイドによってその存続が厳しくなってしまったがためにプロジェクトが終了してしまう現状は矛盾になる。
この理論をベースに行動を行う場合、本来であればその個人の意思と運営都合の妥協点を探り、権利を譲渡するなどして運営を移管するなどのサポートを行わなければならないことになる。

IPと言い切ってしまったゲーム部

反対に、VTuberはIPコンテンツであると完全に定義し、その理論で運営企業ベースに展開することを決めたのが、ゲーム部を擁するUnlimited inc.である。
IPの延長線上のコンテンツとして扱うのであれば、モデルと声・魂に同一人物性を認める必要はなくなる上、運営判断が最大限尊重される。これはアーティストとは逆に、アニメやゲームコンテンツなどのIP関係やアイドルのそれに似ている。

Unlimited inc.の事業はその釈明文を見てもわかるように、VTuberをマネジメントすることではなく、当時ムーブメントになりつつあったVTuberという形態を企業の表現したかったことを具現化するためのコンテンツを展開するために利用したものに過ぎない。これは魂の概念ではなく声優の概念が適用されるものであり、個人の尊重という考え方はそもそも介在せず、そのコンテンツの運営及び存続こそが事業となる。

そうした側面の終着点が、ゲーム部の声優交代と言えるだろう。
運営と演者の方向性や都合の相違が問題ではなかったものの、演者と企業の間にできた溝が埋まらなくなった以上はコンテンツを続ける上で当時の声優スタッフはプロジェクトの進行を妨げる存在となってしまう。故に、プロジェクトを進めることを優先する以上は彼らを降板させる他なかったと解すべきだろう。
(尤も、これについては問題の本質がパワハラ騒動にあり、これにより魂が蔑ろにされていたとされること、その魂がVを手放さなければならなくなったこと、にあることに変わりはないのだが。)

たしかに、これは運営の理想を具現化するための完全企業主体で展開する以上は非常に適っていると評価できる。
一方、界隈全体の傾向からは完全に逆流することになってしまう。この概念にはVTuberを構成する要素として強いと認識される「魂の人格」の側面が完全に削ぎ落とされている=完全にキャラクター化しているため、これはVTuberと扱うべきかという問題が生じる。

こうした存在手法は、最近ちらほら見られるサンリオ系キャラクターなどといった既にIPコンテンツとして世に知られたキャラクターに於いてモデルを用意してバーチャル空間上での活動を行う際の形態と非常に類似している。
つまり、これは"いわゆる"VTuberの定義というよりも、これらのような「自社キャラクターをバーチャル空間で再現」ものと近いわけだ。

ある意味では、Unlimited inc.の方針はこの問題に於いて英断と言える前例になれたかもしれない。
ところが、彼らは声明において自身の事業がIPコンテンツであること及びVTuberというよりはCTuber(キャラクターYouTuber)と表現するべき存在であることを宣言した。また、これまでVTuberとして売り出してきた存在を完全にキャラクター化し、マンガ雑誌まで作り始めた。
これは遠回しにVTuberの概念を魂ありきのものと定義し、自らを逸脱した存在と認めたことになると言えるだろう。

切り離せない「著作者人格権」

ここまで権利主体が誰にあるのか、譲渡などの形で移管できないのかなどと話をしてきたわけだが、著作者人格権だけは著作者本人から切り離すことができないことだけは確かである。

著作者人格権は著作者本人を守るための一身専属権である。
したがって、譲渡などが成立したとしてもこれを放棄する旨の別段の規定がない限りは著作者はこれを理由に侵害を主張することができる。

Vの者については、ママやパパと称されるイラストレーターが存在するケースが大概であり、彼らがこの著作者人格権を有する。もしくは、運営企業内のデザイナーが職務著作としてVの者をデザインしていた場合は、これは運営企業=法人が保有することになる。
したがって、仮に運営を移管することができたとしても、これの放棄について双方の合意がなければ活動ができない可能性、最悪これを理由に問題化する可能性を否定できなくなってしまう。

(筆者は法律の専門家ではありません。詳しくは専門家へ。)

VTuberの主体は?

ここまで様々に話を展開してきたが、最終的に行きつくのはここである。
「VTuberは人間」という考え方は最高の理想論であり、私も1人のファンとしてそうあることを願う節が強くある。
しかしながら、自分の身体(モデル)の権利を自分で保有できない以上、人間と同様に扱うのは些か難しい面があるのかもしれない。

VTuberの主体とは誰・何なのか。
魂なのか、運営権者なのか。はたまたイラストレーターなのか。
もちろんその全ての属性があって初めてVTuberの体を為すことは前提であるが、究極的に話を突きつめてしまえばここに全てが帰結する。

企業勢が他企業に移籍したり、個人勢としてフリーで活動するようなケースは出てくるのか。運営が機能しなくなったVTuberが場所を変えて活動を継続することはできるのか。魂は転生するしかないのか。

今後Vの世界がどのような展開を見せるのか、注視したいところだ。


最後に、これは業界とは無関係の一般リスナーである私がなんとなく勝手に考えたことであり、的外れかもしれないということをご了承いただきたい。


以上。七川.でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。


※この記事では便宜上、VTuberやVライバーやVSingerなどのバーチャル形式で活動する全ての存在を総称するものとして「VTuber」「Vの者」「V」と表現しています。

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