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何でも楽しんでやりたい

こんにちは、moikoです。

今朝『嫌われる勇気』の岸見一郎先生のnoteを読みました。色々考えさせられる内容でした。

私の勤める日本語学校では新学期が始まったばかりです。留学生数はコロナ前と同じく増えつつあり、1クラス20人なんて3年ぶりです。その分、文字を書く指導などでは手が足りず四苦八苦しています。

新しい学生との出会いは、先生側も緊張するもの。私は日本語教師歴20年超ですが、毎回慣れるまでは心の中でずっと緊張しています。どんな学生かまだ個性がつかめないし、なめられないように「警戒」していると言ってもいいかも。あとで「面倒なこと」にならないために最初から予防線を張っておく…みたいなことでもあるかもしれません。

この状態ってすごく疲れるし、学生とのコミュニケーションも、授業も楽しめない。だから、常々、相手との壁を作るのをやめたいと思っているのです。(相手が日本人であっても)


「ふと合理的に考え、計算してしまうと、こんなことをしていていいのかと思ってしまうと、生きる喜びは失せてしまう」

岸見一郎先生のnoteより

心にずーんと来ました。

私はちっとも合理的な性格ではないのに、何でも合理的効率的なことに主を置いてしまうのは、「あとで面倒くさいことにならないように」とか「スマートに完璧にカッコよくやりたい」とか、そんな思いからで…そうなるから、楽しめるものも楽しめないのかもしれない。そう思いました。

読書、英語、映画鑑賞、料理、裁縫…たくさん好きなことはあるけど、どれも心から楽しめないのはなぜかずっと考えていました。その答えがこの岸見先生の言葉にある気がします。


 本との出会いが人生を大きく変えたことが何度もあったが、後になって偶然の出会いが必然のように思えるのは、人との出会いと同じように出会いを必然にする準備をその前にしていたからであろう。そんな準備をしていたことも知らないのだが。

岸見一郎先生のnoteより

これも心にずーんと来ました。

その時偶然だと思っていたことも、結果的には自分が招いた必然だったということってあるよなぁ。だから、やっぱり今起きている結果は自分が招いた必然なのかもしれない。

うまくまとめて書けませんでしたが、岸見先生のnoteを読んで、自分の中の問題解決のヒントがちょっと見えた気がしました。



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