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感受性の強さと感情表現の豊かさは違う

私はお母さんからずっと「あなたは感受性が乏しい」と言われていた。
小さい頃から度々言われていたそれは内面化していて、自分でもそうなだなぁと思っていた。その事に対して劣等感もあった。
お母さんはなんだか悪い事のように言ってる気がするし、自分は人の気持ちが分からない、人として欠けてるのだ、と思っていた。

私はトラブルがあった時や映画を見た時に泣けないタイプだ。
お母さんや弟はよく泣くのだが私は感動していても心を痛めていても泣けなかった。それは自分が貧しい人間だからなのかと思って落ち込むこともあった。

大学生になり、キャリア形成の授業で性格診断テストを受けさせられた。
そのテスト結果には、「あなたは感受性が強いです」と書かれていた。
そこで私は、自分って感受性が乏しい訳では無いのか?と疑い始めた。

それではなぜお母さんは私が人の気持ちが分からない感受性の乏しい子供だと思ったのか。

それは私が感情表現が下手だからだと思う。
よく考えると、私は周りに人がいる時には自分の感情をセーブする。自分の世界に入り込んで取り乱すのが恥ずかしいからだ。
映画だって子供の頃は家族と一緒に見ていたから入り込みすぎないようセーブしていたし、思う事があってもそれを口にするのは苦手だった。周りを気にするのだ。
最近では一人で映画を見ることが多くなってきたので沢山泣くし何時間も引きずる。

コミュ障な私は人間関係で上手くいかないことが多いし、大人数の場では何も話せない。
だからと言ってなにも感じ取っていない訳では無いのだ。
**出力されていないから目には見えなくても、幼い頃から心はたくさん動いていたのだ。 **

無口で冷たそうな人、ぶっきらぼうで粗雑な人、一見薄情に見えるかもしれない。
しかしその人が何を想っているのかは簡単に分かることではない。私は上辺だけを掬って誤解したくないと思う。


それと感受性が強くない人は思いやりがない人、という訳では無いと思う。

思いやりの方法は人それぞれだし、共感できなくても助けてあげることはできる。
人の気持ちが完璧にわかる人などいない。
分かったように感じるのは自分の尺度にはめ込んでいるだけ。
決して感受性が豊かでなければ劣っているなんてことはない。

───────

私は感受性が強いことに憧れてきたけれど、多分いい事ばかりじゃない。
いいものばかりを感じ取るわけではないし、常に自分の感性をいい状態にしておくのは不可能だ。社会は感情論で動いてくれないし、何を思ったところで表現しなければ伝わらない。

このことは自分的に大きな気づきだったのだけど、文章にしてみたらなんかすごく当たり前のことみたいで笑ってしまった。
でも、周りの環境とか境遇で抜け落ちてる視点って絶対あるし、ありふれた話だって体験しないと気づけないものだ。
とりあえず私はもう少し感情表現を上手くなりたいです。

#エッセイ


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