エッセイ 私の小説の書き方59 作品講評、質疑応答編。創作のプロに質問してみた結果。

創作教室をなさっている作家の川光俊哉さんに、私の掌編小説『そこまで寂しいわけじゃないし』の講評をしていただきました。
今回は、作品に関する、質疑応答の記録です。

(質問)
今一番アドバイスをお願いしたい点についてお話します。小説で生計を立てるのが目標ですが、このまま量産だけしているのが不安です。内容が似てしまう傾向があり、(中二病、メンタル疾患、セクシュアリティー、実存主義的問題、等)読者に飽きられないようにするために、どうすればより魅力的になるのかな、と模索中です。
(答え)
メールにあったお悩みの点についてお答えします。
作品の「内容が似てしまう傾向」があるのは当然のことで
偉大な作家の傑作群を概観しても
生涯を通じて表現したテーマは1つか2つにすぎません。
自分の興味の範囲を広げることも大事ですが
作品を創作するときは、もっとも重要なテーマを深く掘り下げていき
究極の自己満足の結果、普遍性に到達するものだと思います。
1つのテーマをさまざまなイメージでうつくしく、何通りにも描くことのできる方だと思いました。
読者が、というより、作者が飽きるまでは自分の問題意識に執着し
書きつくすまでやめないことです。
この長さの掌編(短編ではないと思う)を蓄積していくより
原稿用紙100枚以上を目安に構想するほうがいいと思います。
1つのアイディアを掌編でつかいきるより、単純に楽ですし
100枚あればたいていの文学賞に応募できます。
作家としてブレイクできるかはなんとも言えませんが
センスのある作者だと確信しています。
作風に通じるところもあって
このまま書きつづけられたら、私自身の脅威になるのではないかとも思いました。


面白いことに、別の作家に、正反対のことを言っている方がいます。それによると、テーマが1つか2つしかない作家はプロとしてやっていけない、というこことです。「テーマ」の定義にもよると思いますが。
この川光さんの回答により、私の心は大分、平安になりました。

次の質問では主に、最近私が長編が書けない、という悩み、更に小説を書く上での根本的な問題について答えていただきました。

(質問)
長編を書きたいのですが、ストーリーができません。
以前試してみたのですが、私は一人称の以外の作品が書けません。主人公イコール自分になってしまいます。
講評を読みますと、私がさらに主人公になり切る必要があるようです。
主人公の生きて行く辛さが、長編になると更に積み重なって、自分も苦しくなって、一緒に号泣してしまいます。
私は若い人に向けて、大袈裟ですが、人生の希望を与えられるような作品を書くこと目指しています。
理想とする小説は、『あしながおじさん』です。孤児として生まれた主人公が、生来の明るさを発揮して、最高の幸福を手に入れるというシンデレラストーリーですよね。でも、私自身である主人公はそんな人物ではありませんから、そのようなストーリー展開がしたくてもできません。
脇役の創り方が苦手なのかもしれません。
例えば、チャーリー・ブラウンは作者の投影ですよね。でもスヌーピーはそうではない。皮肉屋であるなど、似たところは残してありますが。
耕二をスヌーピーに仕立てて、誠の語彙以外の言葉を語らせることなどは、できそうな気がします。
ご指導をいただけますと幸いです。
(答え)
作者は、自分のなかにないものは書けませんが
ひとりの作中人物に作者の全人格を投影することもまた不可能です。
ドストエフスキー『白痴』における
ムイシュキン、ロゴージンは正反対の人物です。
いずれもドストエフスキー自身の性格をあらわしていますが
どちらが本当のドストエフスキーかは誰にも分かりません。
人間はそれぞれが個性を持った唯一無二の存在であると同時に
生理的にも、感情的にも、ちがうもの以上に同じものを共有しています。
いまだ未分化で不得意な感情、性格、すなわち作者が苦手な登場人物というものはかならずありますが
創作の過程で自分の内面を手がかりにしながら、登場人物を育て、作者自身もまた成長していくことは
可能であり、必要であり、作品の広がりと深さを実現するためには避けることができません。
われわれが作品を創作するために駆使する言語は
感情の道具ではなく、論理の道具です。
「感情そのものは表現できない」
俳優の演技にもまったく同じことが言えますが
感情移入し、なりきることがいいパフォーマンスの条件ではありません。
感情をえがこうとするとき、作者ができるのは
どのような心理、身体の状態(「感情そのもの」ではないことが分かるでしょうか)にあるか
観察力と想像力をはたらかせて、正確に伝えることだけです。
われわれは論理の道具をつかって
ストーリーを構成することができます。
登場人物(主人公)の意外な行為、本来ありえなかった反応を引き出すことも
これによって可能です(必要であり、避けることができません)。
ストーリーの本質は「変化」であり
ある環境、関係性、価値観を提示することだけでも成立する短編ではなく
「変化」の連続をえがく長編であれば、なお重要です。
いかにして登場人物の価値観をゆさぶるか(それによって変化を生じさせるか)、という課題は
事件の配置、アクシデントの利用、キャラクター同士のコンフリクトなど
作者の想像力、アイディアに属することであり
共感、感情移入とはまったく別の資質だということが分かるでしょう。
つまらないテクニックですが、実践的、具体的に申し上げます。
『そこまで寂しいわけじゃないし』を長編にするには
バー、路上、部屋以外の特殊な環境を主人公にあたえ
(作者のさまざまな人格の側面を象徴する)別の登場人物をさらにつくりだすことです。
本当にこれだけです。
特殊な環境では、特殊な事件が必然的に起こり
あらたな関係性は、あらたなコンフリクトを生みだします。
この過程が「価値観をゆさぶる」ことであり、「変化」、ひいては「ストーリー」です。


長編を書くためのアドバイスが、たくさんなされていたと思います。主人公イコール自分になってしまう。いつも主人公が暗い性格で、明るいストーリー展開が難しい、というのが私の質問でした。

誠という主人公の側にいて、彼の気持ちを正確に書き写す。大事な役目ですよね。別人格に近い立場で寄り添っていけたらいいです。誠から少し離れた人格になれたら、楽しくなると思います。
最近、小説を書いていて、楽しいと思うことがありませんでした。

自分が小説の主人公に成り切ってしまうのは、非常に苦しかったです。現在もそれが抜けず、つい不安で、部屋の中を動物園のライオンみたいにグルグル回っている状態です。

川光さんは講評で、「論理的」という言葉をよく使われます。他の作家に対する講評を読んでいてもそうです。ということは、「論理的」に小説を書くのは難しいのでしょう。「感情」ではなく、「論理」で書く。

それは、単純に言って、構成を考える時も、文章を書く時も、読者にとって読みやすく、意味が通じるようにすることだと思います。自分の感情に流されて、無意味な言葉の羅列になっていく。それが生きていることもある。でも、そうじゃないことも多い。脳のいつも使わない部分を使う必要がありそうです。

これから書く小説について考えています。主人公は男性なのか、女性なのか、なにをしている人なのか? まだ全然見当もつきません。男性の方が書きやすい。女性だと不幸にしたくなる。双子の様に似通った男女を登場させる方法もある。書くに値することってなんだろう?

これで川光さんの講評を離れて、一人で書いていけるだろうか? なにか聞くのを忘れているような気がしてくる。聞くなら、今が最後のチャンスだ! 

でも多分もう大丈夫。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

24

千本松由季 Official Blog

小説書き。生きづらかった日本を脱出して単身カナダへ。恵まれた自然の中でプロを目指して執筆中! 書いた作品は70作以上。短編はマガジンにまとめました。長編はこちらから⇒ https://ehappy888175296.wordpress.com/

講評 掌編小説『そこまで寂しいわけじゃないし』

初めてプロの方に講評をお願いした結果。
1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。