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生かされている存在

私達、人間は生きているのではなく生かされています。              

生まれてくる時、所は選べず、寿命も選べません。

体験、それによってつくられる記憶、価値観も選べません。

身体についても同じです。

与えられるものは人それぞれ違うため不公平、不平等と思うかもしれません。

また相手の持っているものを羨ましく思ったり、自分の与えられたものに不満を持つかもしれません。

ですがどんなに駄々をこねても今という現実は変えられません。

与えられたもので生きるより他ないのは、誰も逃れられない宿命です。

ならばさっさと諦めて与えられたもので生きる覚悟を決めることです。

これを『甘受』と言います。

甘受の出来ない人は現実から逃避しているため、今という瞬間を捨て続けています。

これがどれだけ無駄なことか皆さんもよくわかっているはずです。

甘受できたら、今度は与えられたものをどのように使うかは選ぶことです。

人は与えられたものを磨き、向上させることが出来ます。

今より、より良くに向かい行為することを『処理』といいます。

甘受と処理を両立させることが日月神示で説かれている生き方です。

甘受で一切を受け入れ、処理で今より、より良く生きることです。

寝ても覚めても、この生き方が出来るようになれば完成です。

悟り、覚醒とは生き方のことを現わしています。

生き方とは過程で、過程の中に悟りや覚醒があるんです。

故に終わりなき完成、未完成の完成と言われます。

日月神示にはこう書かれています。


日月神示
【春の巻 16帖】
神まかせがよい人民であるぞ。
この神と認めたら理解して、まかせ切れよ。
太元の神様に惚れ参らせよ。
真の信仰の第一歩ぞ。
雨降らば雨を、風吹けば風をひとまず甘受せよ。
甘受した後、処理して行かなならん。
受け入れずにハネ返すのは大怪我のもと。
何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。
何か迫り来るのは、何か迫り来るものが、自分の中にあるからぞ。
内にあるから外から迫るのぢゃ。
自分で呼び寄せているのぢゃ。
苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。
自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返す手あるまいにのう。
同じものでも表からと裏からとでは違うのぢゃ。
同じ目で見ても、違ってうつるのぢゃ。
心得よ。