私と誰かが一緒に。誰かの隣に私が。

SNSで人が楽しそうにしてるのを見るのがほんとに嫌になってきて、インスタのアカウントを遂に消した。
もう今年は音楽をやる!って決めたから、他のことは最小限にして、外からの影響を出来る限り受けず、心をブラさないようにしたい。
友達がカブトムシを取りに行ってて、その動画とか画像をSNSにあげてて、すごくそれが楽しそうで、羨ましかった。でもそこに至るまでは、そういう友達を作ることが必要で、そういう友達を作るためには友達を作る努力をしなくちゃいけなくて、友達を作るには普通のことを普通に楽しめる力がないといけなくて、嫌なことがあっても、部活やサークルに顔を出して、明るく振る舞わないといけない。交遊費もかかる。
一人にならないように、頑張らないといけないし、嫌なことをしないといけないし、人に頼らないといけない。一人の時間を楽しむには、一人でも充実してないといけないから、一人ですることに本気でないといけない。
普段多くの時間を人と過ごしている人は、たまの1人がのんびり落ち着けて穏やかで楽しいんだろうけど、周りに人を保持するするのが大変だし、神経使うし、相手のことが嫌いになっても付き合わなきゃいけないこともあるだろう。全力で気を使っても、周りに人を保持できなければ、一人の時間が増えて、たまの一人がなくなって、ただ寂しいだけの一人になる。
一人ですることに本気になれば、寂しいだけの一人ではなくなるけど、コミュ力はなくなるし、世間的にはマイノリティーだし、偏屈になる。友達がいるひとを羨ましいと思う。
他人といるためには、相手に釣り合う、相手に求められる面白い自分を維持しなきゃいけないし、認められなきゃいけないし、よくわからない自分がしたくない努力をしなくてはいけない。相手に合わせられるだけのさまざまな事象に対する記憶力や相手を引きつけるセンスもいる。そして、そんな努力を褒めてくれる人がいてくれるわけもなく、努力しているのに1人になってしまうこともある。1人になると、普段人に頼ってるから自分にはなにもないし、寂しいし、後者のほうがリスク大きいし、辛い。器用じゃないマイノリティーは無理してマジョリティーに加わろうとするほど辛くなる。器用なマイノリティーも自分を偽ればマジョリティーに加われるけど、加われたら加われたで辛いんかな。マイノリティーもマジョリティーもどっちもそれなりに楽しいけど、どっち派でもない。自分がどっちなのか分からない。からどっちの顔も持ってないといけない。自分よりもっと複雑。
器用じゃないほうが、1人になるしか選択肢がないから楽なのかもしれないけど。

1人で本気で何かを磨いて、好きなことをして、自然に人がよってくるのが一番の理想。でも、磨けば磨くほど人と違ってくるから、人がむしろ遠ざかっていく。有名人レベルにならないとよってこないんだと思う。

結局普通に人生を楽しめるのは、才能やセンスのある人だけだと最近思う。心を整理する頭があって、プラス自分を正しい方向に導いてイケる人。生き方のコツが分かっている人。

それ以外の人はごまかしごまかしやってるけど、辛いことの方が多いんじゃないかな。考えないようにしたり、無理やり忘れたりしてる人が多いと思うけど。

ほんとに信頼できる友達やパートナーがいればいるほど幸福なのかな。
信頼してればマイノリティーとかマジョリティーとか考えないで済むし。信頼するってことは深い部分で分かりあうってことだよね。どんな人でも面白いって感じる心がみんなにあればみんな信頼できる人になって、幸せな世の中になるのにな。でもどうしても合わない人やつまらない人もいるし、信頼できる人を見つけるためには、できるだけ多くの人と長く関わるしかないよな。その中から信頼できる人見つけるしかない。周りを教育してどうしても合わない人やつまらない人を自分に合うように変えていくのもありだけど、まあそれは労力かかりすぎるし、人には人の人生があるし。信頼できるまで行くには時間が掛かるし、相手との仲の深さに対する価値観の一致もないといけない。なんでも話せる人が本当に信頼できる人っていう価値観をみんなが持ってるわけじゃないし。なんでも話せるがどこまでなのかも人によって違うし。

よくわかんなくなってきたけど、”ほんとに信頼できる友達やパートナーがいればいるほど幸福”は正しいと思う。
それと自分に似た人を見つけること。見つけるために発信すること。ここまで考え方がはっきりしてる自分には考え方が似てる人じゃないと上手くヤッていけないし、信用できない。そう思って出会い系アプリでそういう人を探したらそれに近い人には会えてるから、もっと行動範囲を広げて、そういう人を周りに増やす。それが今自分ができる最大限正しくて満足のいく生き方なのかも、ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?