話せるようになりたい

これね!上手く話せないことを悩み始めたのは高1くらいからだったかな。中学までは話すことを苦手だと感じたことは無かったんだけど、そんな中学時代でも、どれだけ漫画を読んでいるか、それについてどれだけ面白く語れるかってことが友達を作る上で重要だった。漫画をたくさん知っていて、面白く話せる人の周りには人が集まった。私にはそれができなかった。

私は、当時から漫画は後追いで、周りで流行り始めたら、友達に借りて読む感じだった。でも、借りて読み終わったら、流行りは終わってるし、漫画について面白く話すことができなかったから、いつも漫画の話になるとあまり話せなかった。面白かったシーンをモノマネを織り交ぜつつ、面白く話すのって、ほんとに自分にとって高度で、未だに上手くできた試しがない。話すのが上手い人はセリフや動きを間違えずに覚えてる。何度も繰り返し読んでるのか、それとも一回読んだら覚えるのか。それができる人たちが、今社会で成功してると思う。すぐ感情が動いて記憶できる人。正直ずるいし、人生楽だろうなって思う。そういう人たちの悩みがアホらしい。大体浅い。対して頑張ってないんだからおれと同じくらい頑張れっておもうし、その能力を自分が楽するためではなく、もっと世の中のために使えよって思う。お前らだけ楽して楽しめる世界ってなんなんだよ。お前らばっかり得するじゃん。不公平だ。。中学の時点で、もうすでに楽に生きられる人と生きられない人で差がついていて、努力では埋められない現代社会への適応力の差が生まれていたように思う。

当時の私は漫画よりドラマやバラエティが好きだった。テレビっ子だった。ドラマは週2〜3本は見ていたし、23時台のバラエティはほぼ毎日見ていた。M1が始まったのも中学のころで、お笑いブームだったので、ネタ番組もよく見ていた。ドラマを見ない日に、漫画を読んだり、ゲームをしたりした。テレビは見てたから、普通の話はそれなりにできた。漫画では出来なかったけど、ドラマのワンシーンは真似することが出来るときもあった。

視覚より聴覚の方が敏感だったのかも。好きな俳優は大体声が好きだった。バトル漫画より、複雑な人間関係や美しい映像や編集されたものが好きだった。心の底から面白いと感じるのはドラマだった。観た後の余韻とか、感じたことのない感情が多かったのはドラマだった。バラエティやネタは即興の面白さや言葉選びが好きだった。ギャグ漫画みたいな癖のある笑いより、ライブ感のある、分かりやすい音付きの笑いが好きだった。

こうやって、昔のことを振り返ってみると、私はやっぱり音が好きで、直感的で、生々しいものやリアルなものが好きで、好きでないものはほぼ言語化できず、好きでも、内容よりも、自分がそれがどう好きか、どう思うかということに興味があった。バトル漫画のような突飛な発想や派手な演出はあまり求めていなかった。

漫画は文を頭の中で声に出して読む。ドラマは声に出されたものをそのまま受け取る。漫画の方が頭使ってるのかな。頭を使うのは当時からあまり好きではなかった。とにかく感覚だけって感じだった。

そして今、ほぼ感覚だけで29年生きてきて、頭で考えないことが癖付いてしまった。そういう特性の人間なのかな、とも思う。でもそのせいで上手く話せないし、覚えられない。noteで考えて鍛えようとしているけど、余計話せなくなって、覚えも悪くなった気がする。

上手く話せるようになったら全て上手く行くと思う。でもそのためには自分を1回捨てて、話すということに全精力を注がなければならない。相手の話に対して何でも返せるように広く浅い知識と、時と場所に応じた話し方と、万人ウケするユーモアセンスと人に一目置かれるような自慢できる趣味と。

これ全部手に入れたいけど。たぶんいや、確実に、自分には無理だと思う。もうこれは、自頭とセンスと育った環境の問題。話すということも、最低限を目指すしかないのかなって最近思う。

話したいけど、話せない分は、文章にする。文章は書いていればある程度は上手くなるはず。書いてるうちに伸ばすべきポイントが分かるはず。人に話せないなら自分に話しかける。

車内。外は雨。23時。今日は、なかなかに辛い日だった。


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