私のお名前

 私の名前は豊島棟克。問題は苗字の読み方で、「てしま」と読む。普通は「としま」か「とよしま」だ。子供のころから何故「てしま」なんだと疑問に思っていたのだが、いちいち説明するのも面倒で、「とよしまさん」「としまさん」と呼ばれても放っておいた。
 この豊島を「てしま」と呼ぶ島が世間の注目を集めたのが昭和50年頃。瀬戸内海の小豆島の西に浮かぶ、この小さな島に毒性廃棄物が長年にわたり放棄され、住民の猛烈な反対運動が起きた。「豊島事件」という。公害被害者救済で有名な弁護士、中坊公平氏が事件解決に乗り出し、数年後に一件落着したのだが、豊島はしばらくの間「ゴミの島」という汚名が着せられてしまった。
 当時、私は海外赴任中で、事件そのものは詳しくは知らなかったが、豊島を「てしま」と読む島があったのだ、と妙に納得したものだ。序ながら、地名で「豊」を「て」と発音する、よく知られているのが山形、新潟、福島三県にまたがる標高2、105㍍の飯豊(いいで)山。人に私の名前を説明するとき、豊島と飯豊山を引き合いに出した。「ああ、あのゴミの島ね」とイヤな返事が返ってくることもあったが。


◎私の名前(続)
「てしま」と読むにせよ、「とよしま」と呼ぶにせよ、豊島(あるいは豊嶋)という名字を持つ人は極めて少ない。「名字由来net」というウェブサイトがある。これによると、全国で豊島の名字を持つ人は約27,500人で、全国順位は714。最低が何位かは不明だが、絶滅危惧名と言わぬまでも、超少数派であることは間違いない。
 同サイトによると、都道府県で豊島姓のトップ・ファイブは①東京都(約3,200人)②神奈川県(同1,900人)③茨城県(同1,800人)④千葉県(同1,7500人。ここに筆者も含まれる)⑤大阪府(同1,700人)、の順。関東地域に多いが、その理由は後述する。
 5年ほど前に終活の一部として、『豊島家の人びと』なる小文を書いた。我が曽祖父の代からの家系を辿ったもので、戸籍謄本を取り寄せたり、国会図書館に通ったり、曽祖父の出身地金沢を訪ねたりもした。金沢では、豊島家の菩提寺とされている棟岳寺という曹洞宗の寺に行き、住職の話も聞いてみた。残念ながら、曽祖父以前の家系が分かる過去帳が火災で焼失してしまったとかで、当初の目的は果せなかった。が、境内には「豊島家の墓」が何基かあり、確かにここが菩提寺であったことは確認できた。
 余談になってしまったが、要するに「豊島」の名はそれなりに由緒ある名と言いたかったのである。曽祖父は豊島毅(号・洞斎)といい、加賀藩の下級藩士で漢学者でもあった。では、洞斎の父、そのまた父はどこから来たのか、つまり豊島という姓の元々の由来が分からぬまま過ごしてきたのだ。
 そこで、ネットで調べてみたところ、豊島氏は日本の氏族のひとつで、古代は武蔵国に勢力を張っていた武家であることが分かった。少し詳しく言うと、平安時代の桓武天皇の孫・高望王が臣籍離脱して平氏の姓をもらって関東に土着。さらに高望王の孫・平将常が秩父氏を称するようになったという。豊島氏はこの秩父氏の一族で、現在の東京都北区豊島が豊島氏発祥の地(本貫)と言われている。歴史の表舞台に登場するような人物はいないが、源頼朝の平家追討に従軍して御家人の列に加わった豊島清元は、先の「名字由来net」に有名人の1人として掲載されている。
 いずれにせよ豊島氏は鎌倉、室町時代に武蔵の国を舞台に活躍した数ある武士軍団、土豪のひとつだった。前述したように、関東に豊島姓が多い理由が分かる。してみると、私の祖先は江戸時代初めに何らかの理由で関東を追い出され、加賀藩に武士として仕えた者だったのか。だから何なのだ、と言われればそれまでだが、興味は尽きない。(了)

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