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230706_イメージしていく作業で見えない次元を感覚化していく

イメージというとどうも願望実現で【なりたい自分をビジュアライズ化しろ】というのがあって、これがどうも自分にとっては非常にバカらしいフレーズに思えるので、そこからイメージというとどうも中身のない低俗なものと捉えてしまう節があったのですが。

最近はその様相も変化して、【ん?どうもイメージすることで感覚化していくものが変わってそれが体に落ちてくる】みたいな方向性があると思ったのでイメージすることがかなり重要なものという認識に変わりつつあります。

10年前ぐらいに流行った5次元という言葉。人類は5次元領域に上昇するんだ~、5次元に行けば思ったことが即実現する!という理論なんていらず結果だけ欲しい、お花畑さえ目の前にあればいいのだ、とする人たちが言い出し始めてから、5次元ってどんな世界やねん?と全くイメージする出来なかったのですが。
んでそのときの状態から思うのはイメージできないことを安易に語るのはちょっと危ないですよ~ということで。

他、時間の無い世界とかありますけど、時間という概念が適用されている現実世界で生きる人間が【時間の無い世界】と言ったとき、やはり時間の無い世界がどういうものなのか?具体的にイメージ出来ている必要があります。時間の無い世界を語るにはやはり時間がある世界から行かないといけないわけなのです。抽象的でなく具体的にイメージできてない世界を口から語る意味はなく。そこに熱量込めたところでこの人、中身よくわかってないがなーというは外から見たら丸見えであることがあります。
もしかしたらその熱量で絵本ぐらいにはなるのかもしれないですが。

3次元の人間が例えですが、その人間が5次元に向かうとする話があったとするなら。それはもしかしたら初めて高い山に登っていく作業なのかもしれません。そういう山に登る際に何事も一氣に頂上にワープする姿勢は派手にイノチを落とす行為であると思います。その何事も一氣に頂上にワープする姿勢を持つ人間というのはイメージすら出来ないのに【5次元に次元上昇する】と言う精神を持つ人のことで。

派手に転落しないためには1歩ずつ足場を固めて進む必要があるのですが、足場を固めて進むことは具体的にイメージ出来るということを意味していて、その具体的なイメージを作っていく際に現代だと数学とか色々なツールが利用できるということになります。

方法は何でもいいと思うのですが、見えない次元を具体的にイメージすることが出来るようになると肉眼で見える世界を支えている精神の世界が見え始めていくのですが、その歩みは玉ねぎの皮を外側から1枚1枚めくって中心にいくように地道で着実なものである必要があります。

クリスタル・フラーレン


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