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230815_誰も自分の目の前の世界以外は見てなかった

宇宙の彼方は〇〇億光年先にある、と言われても誰もそんな彼方は自分の目で見たことがなかった・・・
宇宙には〇〇という惑星や恒星、銀河があるとされているが誰もそんな星を自分の目で見たことがなかった・・・

〇〇という危機が大衆に迫っていると言われても誰もその危機を自分の目で見たことがなかった・・・
地球には何十億人という人間が暮らしていると言われても、何十億人が本当にいるところを一度も見たことがなかった・・・

あなたは〇〇という病氣にかかっている言われても自分の目でその病氣を見たことがなかった・・・
今日も〇〇という地域で▲▲という事件が起きた、と言われても自分の目でその事件が実際に起きたところを見たことがなかった・・・

さて・・・日々、世界で色々なことが起きたという情報が駆け巡っています。しかし、誰もその情報が実在する現象をタイムリーに目撃した人がいるのか?と思えるぐらい、日常で駆け巡る情報を見た人はいないのではないか?と思うところがあるのですが。
このように思うとですね、他人がこさえてきた情報をイメージして人は自分の世界を作っていると言えるかと思います。作っているのはあくまでイメージ上の世界ですから、間違いなく実在はしていないでしょう。

現代人はイマジナリー世界に住んでいてイマジナリー世界に意識が沈んでいっています。イマジナリー世界ですから、当然、実体のない世界です。

実体のない世界に生きることを前提にしているから、当然、実体のない社会が構築されていきます。実体のない広大な宇宙の中に地球1個があってその中の〇〇と言う国の〇〇と言う地域の住民ナンバー〇〇番という、なんだか意味不明のちっぽけな私というものが作られ。
時折、出現する目の前のこれまたよく考えたら【どうやって目の前に現れた?】と思える他人と友達になり、日々、その友達や知人の視線を氣にして生きていく謎の自分が作られ。

目の前で会っているときはその友達や知人の肉体は確認できるけども、バイバイしたあとは何しているか不明で本当に存在しているかも不明。時折、端末やLINEアプリで他愛もないメッセージ交換が他人の肉体を目撃していない時でも他人が実在しているという証拠になると思い込み、またやり取りするメッセージも終始、他人の返事内容を氣にする自分。

そして、そんな自分が今度は社会に出て。今度は業績などを示す実体のない数字に翻弄され。数字が悪いと自分以外のところから叱責が来るとビクビクし。そして派手に業績を上げてるときは自分以外のところからお褒めの言葉、賞与を頂けると期待し。売上に関しては数字が高いほど褒められ、コストについては数字が高いほど怒られる。実体のない数字で氣分が他者によって揺さぶられる。

そしてまた自分の働きが実体のない数字で表現され、それが通帳に刻まれる。その通帳の数字の範囲内でこれまた【これ一体誰がいつどうやって作ったの?】と思える製品を買って、それを自分の生活の豊かさのシンボルとして認識する。しかし、使っている製品を構成している物質というものはそもそも本当に実在するものなのか?と未だに誰も【一体何なのか?】と正体を掴めずにいる。自分が寝ているときなど物質を目撃していないときも本当に物質は存在しているのか?と思える。
謎な物質に包まれ、そして謎の時間の中に組み込まれる私。

何もかもが他人が当てがってきた情報で構築されている世界を自分が生きている世界と思い込んでいて。
やがて実体のない経済を中心として経済社会はますます実体のない電脳の世界へ移行し。
イマジナリー世界の中でも確実に実体性のあると思われた自分の肉体が今度は実体のないものに変わっていこうとしています。
今まで口や顔の表情、体全体で表現していたものが画面に映る文字で現わされるようになり。そうなると私という存在は文字を構成するドットだったのか?となり。いやまてよ?ドットの集合を認識するには電氣のように光が必要だから、【私はドットで電子なのか?】となっていくんですかね・・・
あれ?私って一体なに?

アダムとイブは誰が作ったのか?
そしてアダムとイブを作った存在を誰が作ったのか?
と常に実体のない想像が果てがないと思えるほど繰り返されるように思えるそんな現実世界。

現実世界とは仮想の世界で実在していなかった
経済社会とは仮想で架空の世界で実在していなかった
現時点ではこういう結論にはなると思っていますが、これで終わるとあまりに意味がない生となるのでやはり実在する世界をちゃんと探したほうがいいですよね。

クリスタル・フラーレン



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