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カービィ的人生観とドラクエ的人生観

はじめまして。

こんにちは、デコログから始まり、アメブロ、はてなと今まで何度もブログをはじめては、3つ4つほど投稿して使わなくなるを繰り返していました、みやさこです。

このnoteが流行ってきたときも、「やってみようかな。」と「どうせ続かないしな。」を繰り返していましたが、ちょっと発信することへの欲求が高まってきたので性懲りもなく書いてみます。どうせ長続きしませんがそれでよい。


自己紹介

もしかしたら、僕のことをよく知らずに読んでくださる方も一人くらいいるかもしれないので、簡単に自己紹介を。

出身は福岡、現在は広島、次の春から東京のベンチャー企業に勤める予定の大学5年生。国語と英語が全くできなかったので、工学部で大学に入学して、2年からは社会学と経済学の間のようなところに文転して最近まで卒論を書いていました。

大学生活の前半は営業バイトとマンドリンと飲み会に捧げ、後半はバックパッカーとして15か国をぶらついたり、家を借りてシェアハウスをやってみたり、イベントを企画したり、学生団体を立ち上げて東広島のローカルメディアの立ち上げ編集長をしたり(現在は引退済み)しながら、割と楽しくお酒を飲んでいました。今も国語は苦手でよく語彙力がないと言われます。

去年は7月の広島豪雨災害の時に、道路が寸断されて立ち往生になっていた長距離ドライバーに炊き出し活動をしてたらそれが話題になって、新聞に載ったり、NHKで8分ほどの特集番組になったり、講演会でしゃべることになったりと何かとちやほやされておりました。二日間ちょっと炊き出ししただけでびっくりするほど取り上げられてるので、たぶんつながりさん(広大のボランティア団体で今年大活躍した)とかから恨まれてますが、何かと楽しくやらせてもらってます。


co-縁

先ほど述べた通り、現在僕は"co-縁"というシェアハウスに男4人で住んでいます。「そこで出会った人の縁がconnectするようなシェアハウスを作りたい」という思いを込めてそんな名前にしました。1年半前のことなんだけどつい最近スタートしたような気がします。光陰矢の如し。いつかこの話は書こう。

いまの住人のメンバーは最強エンジニアののぶさん、フォトグラファーかんち、天才数学家のもりりっちに自分を加えた4人で、元住人のナオヤしょーたは今は東京で頑張っています。改めて考えても魅力的な人しかいなくて、家族に恵まれるなぁとしょっちゅう感じます。

こちらはmahoabo.代表ののんのが書いてくれた現メンバーの似顔絵。よく似てる。かわいい。

僕はそんな彼らとリビングでおしゃべりするのが楽しくてしょうがないのですが、最近はもりりっちと思考をねりねりするのが特に面白い。あと彼の作る料理はだいたい全部うまい。今日noteをはじめようと思ったのも、彼とカレーを食べながらした話がおもしろかったからです。その時の話は人生のとらえ方について。もりりっちの人生観はドラクエで、僕の人生観はカービィみたいだねって話をしました。

それではそろそろ本題に。

カレーの辛さを感じなくなる身体

「今日のカレー、何口かわかりますか?」

もりりの作るカレーはおいしい。基本は甘口で野菜と豚肉がたっぷり入った家庭的なカレー。彼は料理研究家の母に育てられていて、基本をしっかり押さえた丁寧な料理を作る。彼ほど丁寧にお米を研ぐ人を僕は知らない。野菜の甘みと肉のうまみがよく出ているドロッとしたバーモンドカレー。今日は中辛だった。僕は普段辛口のカレーにガラムマサラをかけてヒィヒィ言いながらカレーを食べる。鼻の奥に感じるピリッとした痛覚が好きだ。

でも彼のカレーはまったくの別物。そんな彼が今日は中辛のカレーを作った。

クイズには正解したが、違和感が残る。確か昔は、バーモンドカレーの中辛をちょっと辛い大人の味だと思っていた。でも今は辛いとは全く感じない。中辛であることはなんとなくわかったけど。

それはなぜだろう。認識できる味覚の幅が広がったからなのかな。1から5までしか知らなったときの5の辛さと、1から100まで知っている今の5の辛さの感じ方が違うからなのかな。

では「感じる」とはなんだろう。

僕は刺激が好きだ。びっくりしたり、気づかされたり、胸がバクバクしたり、そういうものを好んで集めて生きてる。その時その時に感じれる刺激が一番多いものを「ワクワクする」ものだと感じている。

でももりりは違った感覚を持っている。彼は刺激が苦手だという。例えば卓球も、試合をするより壁打ちを延々とすることを楽しいと感じるらしい。

自分を長期的な道の中にとらえて、そこでちょっとずつ前に自分が進むことを感じて喜びを覚えるらしい。だからその日あったことや感情の揺れ動きを事細かに日記に書き記し、前のページよりも自分が前進していることを喜びと感じる。

この話を聞いたときにこんなに異なる「感じ方」があるのかと驚いた。

カービィ的、ドラクエ的

僕は常に感情の振れ幅が大きいものを選んでいる。でも彼は毎日を高い解像度で過ごすことを選んでいる。そして彼は大きな道や世界の中に自分をとらえている。人生はあまりに短いのだから、道半ばで倒れようとそれを引き継いでくれる人がいればいいと言う。この違いはゲームで例えるとわかりやすいかもしれない。

きっと僕はカービィ的な世界で生きている。

ステージごとに障害があり、敵がいて、ゴールが存在している。自分が生きていくことで、カービィがいることで物語が進んで行く。ステージをクリアすると次の全く違う世界でゴールを目指す。カービィ自体のパラメーターは上がっていかないけど、これまでのステージで得た経験を活かすことで、より難易度の高いステージをクリアできるようになる。通ってきた道が物語になるから、たとえ一つステージを抜いたところでそれほど大きな影響はない。

それに対して、彼はドラクエの世界に生きている。

彼の世界は勇者が存在しなくても物語が進んでいく。歴史があり、一人ひとりの生活がある。そして勇者は彼だけではなく、彼の前にも多くの勇者が魔王に打ち勝つことを目指して、戦いを挑んできた。レベルという概念が存在し、進むべき道があり、進行とともに経験値が増え、使える魔法が増えていく。連続した物語の中で世界を前進させる役割を果たすためにゲームを進める。原っぱの魔物を倒すことで経験値を獲得し、強力な技を身に着けることができる。

だからおそらく彼の「感じる」ということは冒険の書に起きた出来事を詳細に記し、今日を明日につなげることで、僕の「感じる」は倒せなかった中ボスを倒し、難しいステージをクリアすること。

きっとこの二つ以外にもいろんな人生観があるんだろうね、なんて話をしているとふと目の前のカレーに意識が戻った。

そうかこのカレーも幾人もの勇者の冒険によって積み上げられたカレーなのか。どうりでコクがあるわけだ。

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