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1027つながるためのSNSが決裂のSNSにならないために。書くことについて001

SNS上で、腹立たしいと感じたことは、実は問題提起をしてくれる、素晴らしいチャンスでもあるように思う。

脊髄反射(懐かしい言葉だ!)をしているのではなく、はっきりと分かっていることは、相手に率直に抗議しようと思うし、したほうが次の段階にいける。

SNS上では、ありがちだけど、人は、ナイスな文章については、さらっと流れる。なぜか。それは、他人の考えは生活の中心にはないからだと思う。みんな主観のなかで生きている。

当たり前といえば、当たり前だけど、普段、当たり障りないことのほうが、心が安寧だろうし。

でも、普段の生活のなかでも、みんな澱(おり)のようなものがたまる。ちょっとしたらイライラ、仕事でもプライベートでも街なかでも。

イライラしたときに、行きつ戻りつしながら、言葉にするとイライラや不安は減っていくように思う。わたしはそう。

だから、SNS投稿は、その人の心の表出だと思う。引用している記事ですらも。

ツイッターやSNSに吐き出すときに、生のまま吐き出すのは危険だと思う。なぜなら、そこには客観性が欠如しているから。もちろん、主観をスタートとして発言するのだから、客観性は生まれにくい。それでも、ある程度の客観性は必要だと思う。

別の人格、いわゆるキャラクターを演じることは必要ないけれど、できるだけ冷静に言葉を紡いでいくのは、文章を書くうえでも、人に伝えるうえでも鍛錬になると思う。

誰かに伝えているために書いているのなら、ある程度は相手がわかるように配慮すべきだと思う。自分を抑えすぎて書く必要はないけれど。

昨今のSNS離れってそういうことなんだろうと思う。SNSでの罵詈雑言は、すれ違いをおこす。面と向かって話せばわかることも、言葉にすると、どこか片手落ちになる。

最近よく思う。

ツイッターが好きな人とFBが好きな人とInstagramが好きな人では、ものの考え方や性質や世代感がちがうんだろうな、と。きっと、生きる目的すらもちがうのかもしれない。そりゃそうだ、世代間なんて特に。

つながるためのSNSが決裂のSNSにならないように、と願う。ネットって、確かにすごく良い部分もあるけれど、ものすごく危ない部分もある。

良きところを使っていきたい。わたしは、離島生まれのせいか、場所をこえるというネットの有用性には可能性を強く感じる。特に現代は、情報のあるなしは、いろんな意味で大きい差になる。

個人の話に戻ります。

金にならない文章を書いてはいけない、と言われたことがある。でも、金にならなくても、仕事でなくても、言いたいことは言いたいし、書きたいことは書きたい。

目的がはっきりしている場合は、特に。わたしの場合は、宮古の歴史や風俗に関しては、様子は見たいし、書き残しておきたい。

東京に住んでいて、離れているからこそ、SNSは本当にありがたいのだ。そして、東京で仕入れた情報も流すこともできる。

書くこと、そのものがわたしは好きだけど、やっぱり罵詈雑言より、好きな言葉、美しい言葉をつづっておきたい。





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