宮古馬

宮古島と宮古馬MTG001 報告

心地いいんだか、心地悪いんだか、ものすごい疲労感がありました。
バックグラウンドや前提の違う人にいろいろ話すことは、初めてではないのに、あーやっぱり結構難しいものだな、と感じたのだ。

この文章も三日間にわたって書いている。

宮古馬が虐待されてかわいそう。

私はそういう気持ちで始めたのではない。
そこで思考停止をしたくなかったから、何が出来るか考えるために始めた。

いろんな人といっしょに考えていきたい、と思った。

そういう意味では、このはじめての会は成功だったと思う。
とてもとても大成功。

梅崎さんの話は、当たり前だけど専門的だ。
しっかりとした情報と知見がある。
馬の生態や歴史について知らないわたしたちは、学ぶところが多い。

でも、でも、だ。
その言い方は、島の人をすごく傷つけるよ、と思うことが何度かあった。

私は、我慢できずに何度かかみついた。そのつもりはなかったけど、そう見えたんだろうと思うくらい語気が荒くなった。

梅崎さんのいうアプローチが「島の人には性急すぎたり、言い方によっては圧力をかけたり、傷つけたりする可能性がある」と説明したいからだ。

そうすると、別の人から「宮古の人はそんなに弱くない!」と反発が出た。

いや、意味が違う。

「宮古の人は生き物としては強い。でも、いわゆる現在の日本社会のロジックや言語化の前にはとても弱い。」

日本社会の論理は、個人間なら島では通用しない。
でも、組織とか自治体となると、島の人の心を押しつぶすことがある。なぜなら、宮古島は日本だからだ。親方日の丸に関しては、太刀打ちができないのだ。

私は、それが言いたかった。途中で、頭のいい友人が代弁してくれた。

なぜなら、こういった本土の人といっしょに沖縄関係を語る時、私はいつも島人の感覚で話を聞いている。宮古馬のことならなおさらだ。

ただ、私は東京に住んでいるので、相手は当たり前だけど、おおかたは島の人ではない。

本人たちは普段と何も変わらないので、いきなりな日本人目線に「あわわ」となってしまう。いいとか悪いとかではない。物事に対する立脚点が知らぬ間に違っているのだ。

驚きすぎて、用意がなくて、新聞に例えるなら、見出ししか話せない。

リード文なんてない。多分。話す前に、相手からすぐに返されてしまい、混乱する。

でも、梅崎さんのように、個人的にもゆっくり話す機会のある人は、私のしっちゃかめっちゃかな島立脚点の情熱にもきちんと話を聞こうとしてくれる。ほんとにありがたい。

ただ、梅崎さんは啓蒙とか教育と言ったけど、私は、島の人に啓蒙が必要とは思わない。

島の人には島の論理があるし、文脈がある。一方的に上から啓蒙や教育はされたくないはずだ。

対立するより、過去の愚かさを責めるより、何が大事で、何が出来るかを現場にいる人たちが考える素地をつくればいい。

だって島外の人も応援するつもりなのに、なぜ教育とか啓蒙とかにむかうんだろうか。応援でいいのではないか、と思った。これは言えたかどうか記憶がない。必死過ぎて。

私の中では、教える人は偉い人ではない。
その技術や知恵や情報をただ伝承するだけだ。

たとえば「気づき」をくれるのは、先生だけじゃない。自然や赤子でも大きな気づきを与えてくれる存在なのだ。それは、動物の時もある。そして、私にしてみれば、馬との思い出もそのひとつだ。

だから、私は先生だけがえらいと思わない。
ただの教えてくれる素敵な人だ。
えらいとか、すごいのは、その知恵や技術だ。気づきをくれる存在そのものだ。

梅崎さんは、私にとって宮古馬の先生だから尊敬している。対等な素敵な先生なのだ。言いたいことまで引っ込める必要はない。そして、梅崎さんにとっては、私は宮古島の精神性については、梅崎さんより知っているからだ。

ここは、私の価値観であって、梅崎さんに無理に合わせてもらおうとは毛頭思っていない。知ってもらえればいい。そして、梅崎さんは「うーん」と言って考えてくれる。

でも、そのやり取りを聞いた本土の人からは、私が噛み付いているとしかみえなかったのかもしれない。だから、反論されたんだと思う。

私が思うに、人によっては、その議論すらも苦手な人もいると思うのです。トークショーみたいな形だと対立ではないけれど、相互理解にはうまく着地するのが難しい。

でも、乗り越えられる。

乗り越えられると信じているから、この活動をしている。

できればみんなでアイデアを持ち寄って、持続可能な仕組みが、島外島内の人関係なくできないか、そう思うのだ。

閑話休題。

「島の人が声を上げれば、宮古馬は存続する」という論調が本土の人にはある。でも、それって、あまりに他人事だ。馬を大事に思う人が馬のことはやればいい。それは、島の人、外の人は関係ない。

馬に心ある人が集まって試行錯誤をくりかえせばいい。
行政だけに責任追及してもはじまらないし、馬に興味のない島の人に「興味をもたなければならない」というのは、思い上がりだと思う。

だから、私は学びたい人が学べればいいとしか思わない。押し付けていいことなんかない。人の自由を奪っているだけだ。

一過性にしたくないから、お祭りにしたくないからこそ、こうやって私は、場を持つのだ。

「宮古の人は不勉強」「動物愛護精神がない」とあげつらうのは簡単なこと。でも、そうじゃない文脈がある。

例えば、馬を預けられた人は、赤字を背負って、長年面倒を見ていたという事実。

島の平均年収は250万前後。
これは何とほぼ同じかというと、日本の平均年収からいくと、昭和57年の252万だ。
いつだよ・・・・40年前ですよ。平成ももうすぐ終わるのに。

「年収250万円でも実際に手元に入る金額(手取り額)は、およそ200万円と予想できるでしょう。」
https://hataractive.jp/useful/4346/

上記の表は公務員格差もわかります。島の官民格差は、離島ならではこそだと思います。島はまだ人頭税時代の雰囲気はまだ背負っているのです。島には二種類の生活をしている人間がいます。

加えて、世帯年収が300万以下が64%です。


日本の平均は、となりのカッコです。35%です。

加えて、
労働力人口 26175人
完全失業者数 2146人

知り合いの10人に1人が失業しているという感じだろうか。
それが島の現実です。

みんな、食うために大変なんです。今は少しずつ変わってきてるけれど。

宮古がリゾートなのは、島外のひとから見たもの。
海は、遊ぶところではありません。食料庫です。

そして、宮古馬に関しても本土の人と同じメンタリティではないと思います。

その昔、馬は自分の農作業を手伝ってくれるパートナーであり、友人でした。

ですが、時代の流れで、馬は車になったり、トラクターになった。馬は生き物だ。餌も食うし、水も飲む。家族同様の人は世話もする。

馬の価値が変わったのだ。

私がこどものころに見た雑種の馬たちは、一様に悲しげな目をしていた。
宮古馬は経済活動のために雑種にすらなったのだ。
人を助けるために。

「宮古の人に啓蒙活動が必要!」という言葉に、友人がずばっと言ってくれた。

「経済動物として農業に利用されてきた動物が、暮らしの変化によって利用できなくなり、文化的な存在に移行したとき、なぜ残さねばならないのか、その必然性がはっきりしなければならないのでは」

そうなんだよ、そうなんだ。

宮古馬って本当に必要?

そして、私は島の友人が私のFBに書いてくれた言葉をみんなにプリントアウトしてわたした。

「飼いたい人が飼えばいいと思うんだ。関係ない人まで巻き込もうとするよりも、宮古馬がかわいい、家で飼いたい、って思う人たちが飼ったらいい。人間が勝手に動植物の種を選んで存続させようという意図をもって社会問題にするべきことではないと思う。 まして、節度もなくただこき使うためだけに繁殖させてきた(いたわってあげなくても粗食で重労働に耐えさせた)宮古馬。虐げられる奴隷のイメージを思い起こさせる。これ以上、過酷な労働に耐えさせる必要はないのだから、今後は、ペットとして優しくいたわってくれる人が飼ってあげればいい。 この島のために、この島の都合で、繁殖させたり保存したりというような、人頭税時代の発想はもうやめたほうがいい。」

私は同じ意見だ。それは、人間だって同じ。こきつかうために、人を生むわけじゃない。

「宮古馬を虐待したひどい宮古の人!」と責める人がいたら、責めたその人が飼えばいい。自分の懐からお金を出して、毎日馬の面倒をみれば、その人達を責める気にはならないと思う。ちょっとした情報と想像力があれば、そんなことは言えないと思う。

会の途中に「外資、つまり本土のリゾートホテル会社に馬を任せたらいい」という案もあったけど、「友達を見せ物にする感覚」だと私は答えた。

自分の友だちが、行きたいか行きたくないかわからないリゾート施設で、毎日、人頭税時代の着物を着て、クワを持って働く様子を披露する仕事をしたら、私は悲しい。当時の民衆は、ほとんどが着物はふたつだった。夏物と冬物だけ。

それが、文化を商売にするっていうことなのかもしれない。繊細な塩梅が必要なのだ。

当時の宮古馬は宮古が発展していないので、どこにでもある草を食べていた。でも、いまはそんな場所はない。宮古は狭い。縦割り政治、行政で、決めた文化財保護。それは御嶽も同じだ。御嶽の周りの草は馬にはやれなかった。だって、文化財だから、勝手に持ち去ってはいけない。

宮古馬を殺してるのは、そういう仕組みやそういう考え方、外からの常識。

宮古の人は、与えられたルールの中でいつも模索している。その時々に合わせて。

だから情緒的なヒューマニズムで、島の人を責めるのをやめてほしい。教育して、自分たちの思い通りにして、強制的に何かをさせないでほしい。そこには目的がありすぎる。

今回は、梅崎さんの馬の歴史年表と、現在の宮古馬の状況が語られた。
今、そんなことができるのは、梅崎さんだけだ。
島の人や、馬を知らない人にはできない。
レジュメも用意してくれた。

私は梅崎さんの出鼻をくじいたのではないかと、心配している。
でも、これだけ本音で話し合うことができるのは、私が梅崎さんの知恵を尊敬していて、信頼をしているからだ。

相当きつい言い方をしたと思う。
でも、わかってもらいたいんです。
あなた達の言っていることが、無神経に島の人を傷つけることもある、ということを。

梅崎さんは、わかっている。
だから、私の語気に飲み込まれたりしない。

私は、本土の人にわかってもらうには、こういう対話を目の前で繰り広げる必要があるのではないか、と思った。梅崎さん、ごめん。もうちょっとうまくやればよかった。でも、私のギリギリ精一杯の日本語ではあった。

また、梅崎さんは宮古に行く。
一度できた縁を結び直しに行く。

ありがたい。本当に。

そして、多分自費で行くんだろうけど、それを私に「俺はこんなことやってるんだ」なんて絶対に言わない。そんな素敵な梅崎さんだから私は大好きなのだ。

私は、梅崎さんと、そして、宮古馬を知りたいと言った人と、最初は互いに理解がなかったとしても、こうして続けていきたい。

わたしも梅崎さんも宮古馬のためにただ真剣に近づいている。
それは、まだ名前がないのだと思う。
エンターテイメントではないトークショーみたいなものになっている。

宮古馬のことを考えて行動していきたい。
そういうことなのです。

でも、梅崎さんに頼りっきりじゃダメだ。
自らが学ぶんだ。

なんだかとりとめないけど、それが今の私の偽らざる気持ちだ。

今度は、音楽と馬を楽しむ会を予定している。

ほんとに、馬ってなんだろう。

宮古のひとには、かつてパートナーであった、大切な生き物だった。
そして、人も生き物だった。

馬は役に立つものだった。ペットじゃなかった。
私がおぼえているのは、荷物を運んでくれるゆっくりとした姿。
おじいと一体化してた。

まずは、馬ってなんだろう、宮古ってどうだったんだろう、そこから考えるのがスタートだと思う。

次回は、7月の13日か14日になると思う。

参加したい方は、ぜひメール、note、twitterでダイレクトメッセージをください。
3892yuko@gmail.com
https://twitter.com/3892yuko








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