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篠原かをりさんへのオマージュという妄想。メンヘラは情熱のうずまくところ。宮古島的感想付き。

オマージュが好きなわたくし。勝手にノッて書けそうです。書き始めの時点では予告でしかないけど。書き出す前から、自分で勝手にワクワクしている。だから言葉って文章って好きなんだと思う。
ちなみに、このイラストはnoteで自由に使えるシステムなのだけど、この「ブスかわいさ」を私はこよなく愛しています。これ前提。

私は、ただただ文字を読むことや、書いていることが好き。日々、言語化して考えているわけでもなく、もう何かもやもやとしたものが胸のあたりで上がったり下がったりしているのをモニタリングしつつ生きていることに萌える。

時間がたって、ぴったりと言語化できたとき、もうひたすら気持ちが良い。

でも、日本語がフィットするかと言われれば、否。mother tongue は、宮古島の宮古ふつ(口)でしかない。特に話すのはかなりハードルが高い。

文章に置き換えるのは、難しいけどかろうじて出来る。ですが、日本語と宮古ふつを使うときの私の人格の乖離は大きいので、統合させようと努力しているというか、その努力が楽しい。

人頭税という、宮古の歴史的な経緯は、個人にも影響していると思う。思わずプチ「最後の授業」的かもしれないと思いつつ。みんな笑うけど、歴史的事実は人の人生を変える力を持つよ。地震とか、恐慌とかで人生は変わる。

ちなみに人頭税といえば、ここを読んでもらうとわかりやすい。私が宮古変態と呼ぶ研究仲間と運営しているブログです。

えーと、話を戻そう。

子どもの頃は、父が久松で、母が城辺、私が市内の言葉という、家の中に三言語があった。感覚的には、父が東北弁としたら、母は四国くらいちがいがある。生活様式もかなりちがっていた。

まぁ、島的クレオール=宮古島シティガール、シティボーイってことにしておきたい。なので、東京の人にはシンパシーがある。親が違う方言を話す人は、割合として結構多いんではないかな。

明治政府が廃止してくれた人頭税ですが、余波は、まだ個人のなかにあると実感してしまう。わたしのなかには、確実にある。

でも、一番の気づきは「人は言葉で通じているわけじゃない」という逆説的な真実。

これは、子どもの精神性には結構なダメージかもしれない。自分を支えるには、私には話し言葉ではなく、日本語という書き言葉が必要だった。今も人に話すのは苦手。お喋りだけど。

実は、東京にきて、すごくわかりあえる友だちは、同じような境遇の人だった。私とは全然違うハイソな環境で、両親の都合で数か国暮らしたという友だち。その人もお喋りだけど、話すのは苦手だそうだ。ドメスティックな村的思考にどっぷり浸かっている人とかならずトラブルを起こしている。私も同じ。

子どもの頃の言語環境は、子どもの感受性によっては、大きな影響を与えると思う。だから多少のメンヘラでもいいってことに自分の中で落とし込んで、自分を納得させている。

だからこそ、篠原かをりさんの文章を読んで、そうか、そういうことなのか、といろいろ腑に落ちたのです。

私の書く文章は、実用性が皆無です。

という言葉はまさにズバリ。「読めば宮古」という沖縄県内モンスターバカ売れ本を(結果的に)ボーダーインクから編著で出させていただいた時、役に立たなさに申し訳なかったことを思い出した。売れないだろうから、という意味で役に立たないと強く感じたのです。

あの本を、情報として読む人もいるかもしれないけれど、その要素は、書き手たちのなかにはなかったと思う。島への讃歌であり、大きな変換点を向かえるであろう島への哀歌でもある。かなりメンヘラな本なのだ。

そのメンヘラ本が売れたということは、謎だった。

そして、私のこのボヤキ系の文章は、まだあの頃のメンヘラが続いていて、子どもを三人産んで育てても、あんまり成長していないという証明でもある。

いやはや、今の世の中、実用性って大事なこと多いんだけど、そればっかりじゃないよな。それどころか、実用性に裏には、多大なロマンが駆け巡っていたりすることもある。その複雑さが人間でござる。

まぁ、それはそれとして、そのモンスター本「読めば宮古」は売れに売れ、今や13刷です。っていうか、15年たってるのにもかかわらず。ありがたや。でも、私は若い日の自分のメンヘラっぷりを直視できず、この数年読んでいません・・・・。

印税は、金にうとい私が友だちとの飲み食いに使った以外、お金の換算もしていない。きっといい加減に使ったんだろう。そういうところが人間失格で商人的要素が欠けているところ。篠原かをりさんの足もとにも及ばない。自分で、魂の放浪者っていうことにしてあります。お腹がすかない、欲望の少ない人間でありたい。いや、その前に頑張ってお金を稼ぐ仕組みを考えよう、という心の声が聞こえる。

代わりに、日々、野菜くれたり、お菓子くれたり、知識くれたり、情報くれたりするパトロン&パトロネーゼのみなさんに囲まれてぬくぬくしていることも多いです。しかし、ペット化するわけでもなく、サファリパーク状態で、見守ってくれている。ありがたや。

今年こそは大人になるつもり。今年度のまちがいだ。4月は始まったばかり。

あ、話がそれた。篠原かをりさんの文言。


「実用に適した生き方をしてこなかったからです。人に教えるようなコンテンツを何一つ持たずに今日まで生き延びることだけで必死でした。物心ついたときには劣等生、思春期超えた時にはメンヘラ。唯一の特技は金魚すくいです。
精一杯、人生で得たライフハックを考えたところ、思いついたのが、文章を書くことでした。」

もうなんというか、この文章、胸を射抜かれそうになりました。いや、射抜かれた。島的クレオールでも書いたけど、中二病ならぬ、まさに中2の頃を思い出した。

ある日、一生懸命勉強しても、素材(頭のいいやつ)にはまったくかなわない、と、中学生の私は思ったのでした。

当時、時習館(今はアルファ塾と言うようですが)という、宮古島でも珍しい本土の若い先生がやっていた塾に行っていました。ある日、いびきをかいている隣のM君が、先生に怒られ、黒板の前に立たされたのです。

先生は、そのMくんに無理難題なすっげぇええええ難しい問題を黒板に書き始め「お前は寝ているから、この問題は解けないはずだ!」的なことを言ったのでした。さらしものにしようとしたのです。

そいつ、問題を一瞥して、すぐにスラスラ解いた。あぁ、書いたさ、もうスラスラスラスラ!もう、こいつ、寝ててもわかるってどういうことだっ!と憤慨した。勉強する気が失せました、ほんと。

で、気質的に中二病的な私は、どんどん悪化。めでたく今まで続いています。

人はメンヘラとも呼ぶのかもしれないが、私くらいのメンヘラ、実はどこにでもいると思うんだよな。メンヘラは情熱のうずまくところだ。ただきちんと形になっていないから、得体が知れないだけ。

一般人は、みんな露悪趣味ではないので書かないが、作家は許されるってことかもしれない。対する相手が多ければ多いほど、メンヘラは許容されるってことか。私は、書かないと死にそうになる。それもダラダラ。昔からそうだ。

中学生の私は、家でひとりで何時間も気味の悪いポエムめいたものから、評論みたいな青臭いものまで、書いておりました。勿論、高校卒業目前に、裏庭のドラム缶で焼き捨てましたけどね。ノートにしたら30冊くらいあったんじゃないだろうか。松田聖子研究ノートもついでに焼きました。

今思えば、もったいない気もする。でも、死後、ついうっかりあんなの見つかったら来世も死にたいと思うに違いない。

中二病の私は、生きながらえるには、日本語の文章を書くしかなかったような気がする。ほとんど、セルフセラピー状態。音楽とか発散系の友だちがうらやましかった。

1980年代後半でも、島にはそんなにエンターテイメントはなかった(ように思う)。私の友人はヒマすぎて、自分の身体で実験してたって言っていたくらいだ。痛みの実験とか。私も経絡という言葉を知らない頃から、身体のツボシンクロの存在に気づいたもの。あと右足の薬指だけ関節が外せる。まぁ、そんなくらい、時間はたっぷりあった。

文章を書くことは、人間という最も複雑で多様性のあるコンテンツに向き合い、思考し続ける人類最大のオーダーメイド体験型エンターテインメントです。

そうだ、そうだ、やんややんや(古い)。

いろんな人に会っては、驚き、喜び、泣いたり怒ったりしながら、生きている。人間は非常に複雑なコンテンツ。身近であればあるほど、闇も影も深くなる。光り輝くこともあるけれど。それが、オーダーメイドで、体験型で、エンターテイメントなんだろうな。

さて、こういう時は、良質な本を読みたくなる。

課題図書が積読状態です。読んでいる間は、トリップ、いやトランス。

今日は、これからシュティフターの晩夏を読む予定。すごく分厚くて、読み終えられる気がしない。でも、めちゃくちゃおもしろい。

ちなみにシュティフターという言葉の響きが宮古方言に思えてならない。

シュティフターだよ、シュティフター。私は中途半端なネイティブなので、うまくオチがつくれないけど、シュティフターは「あがい、すてぃうり(えぇい、ほうっておけ)」とかに似ている。独特の語感が。

あぁ、どこがオマージュだよ。いや、かなりのオマージュだ!インスパイアだから。

ちなみに、もし私が超かわいかったら、今頃、島から出られていないはずだ。可愛い子は、ヤンキーに絡め取られていたもんな。ブスで良かった。メンヘラも功を奏す。

とりあえずは「ブスかわいい」を永遠に目指し、メンヘラのままでいます。

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