画作りから観る映画マッチング~水から読む心象~
★はじめに
内田英治監督作品「マッチング」が2024年2月23日(金)に公開されました。その画作りや作品に漂う空気がとても好ましく、シーンや描写を中心に感想を綴ってみたくなりました。直接的なネタバレには配慮したつもりですが、詳しい描写をしていますので、未見の方は鑑賞後に読んでいただく事推奨です。また、考察というより「印象」「感想」がメインですので…その点もあしからずご了承ください。
★あらすじ
まずはあらすじから。
主要な役者さん3名はすべてミュージシャンであったりダンス経験が豊富だだったり、音楽的表現に長けた方々なのですが、これは意図的なのでしょうか…?
★漂う水の印象
こちらにも書いたのですが、観終わってとても水の気配を感じる映画だと思い、これを掘り下げたいと思いました。以下、同じ内田監督の「ミッドナイトスワン」のお話も混ぜながら、具体的な水のシーンについて回想しつつ書いていきます。
★水槽の中
「水のある場面」は「マッチング」の映画中頻出します。水族館のデートシーンから始まり、輪花の部屋や喫茶店の水槽、橋から見下ろす川、そして湖畔。
同じ内田監督の「ミッドナイトスワン」にもたびたび水の風景が出て来るんですが、両者を観て何となく、監督は水を通して心象を表現をしているのかな…と感じました。
「ミッドナイトスワン」のトランスジェンダー・凪沙は、部屋に水槽を置き、尾びれの長い赤い金魚を飼っています。マッチングの主人公、唯島輪花も同様で、唯島家でも水槽で赤い尾びれの金魚を飼っています。
凪沙はトランスジェンダー、そして輪花は「恋愛が苦手」で同僚の勧めでマッチングアプリに手を出すところから物語が始まります。
両者とも、赤い尾びれの金魚(女性性)を、生き生きと解き放つのではなく、水槽の中で飼い殺しているとも読めます。
「赤」の色も両者で印象的に使われています。赤いトレンチコートや赤いドレス、カーテン、パンプス、そして金魚。物語をみるかぎり、赤は「情動」や「女性性」の象徴とも読めそうです(宗教的考察もあるようですが、こちらは詳しい方の考察を聞いてみたいです)
水槽はもう一場面、輪花に近づくプログラマー、影山とのデートシーン(喫茶店)にも出てきます。輪花側には金魚がいて、影山側の水槽には何も入っていない。閉塞感はあるけれど、閉じ込められているものは違うのかな、と想像してみました。
★水飲む人々
これは穿ちすぎかもしれませんが、唯島家の人たち、よく水も飲んでいるように思います。話しながら、あるいは食事しながら。お酒である事もありますが、コップになみなみと注がれたこれらの水を見るたび、どこか息苦しさを感じる…のは私が水を飲むのが苦手だからなのかもしれません…(個人の感想?)。
★吐夢の心象
その輪花にストーカーとしてつきまとう永山吐夢。こちらもコインロッカーに捨てられて「不幸な星の下に生まれた」愛を知らない人物として描かれます。
吐夢の登場シーンは水族館の深海コーナー。クリオネやクラゲが棲み、その水槽は暗く静かで深い。吐夢の底知れなさは、このどこまでも深い深海と重なります(そう書かれた描写もあったと思います)。本当の深海であれば、浮上して世界は開かれるかもしれません。でもここは水族館。小説の読了後に観た3回目、その深い深い海を想いながらエンドロールの「800」を聴き、私は再び泣きました。
「マッチング」に「海」は出て来ません。
対して「ミッドナイトスワン」には海のシーンがあります。とても印象的な場面で、そこが「海」である必然を私は勝手に感じていました。
★その他の水の描写
あと二つ、場面として大きく出るのが川(渓谷)と湖畔です。その水のありようも登場人物を表している…と私は思っているのですが、深読みでしょうか。皆さんの感想を伺ってみたいです。
西洋哲学の四元素や占星術の考え方の中では、水は流れや流動性、浄化、そこから死や再生も表すそうです。また、感情や情感も水が担う領域です。
新鮮な水は生命に浄化と健康をもたらし、停滞した水はやがて澱み心身の健康をむしばみます。感情、生と死。映画中に、そして登場人物にまつわる「水」の気配が浄化に転じていくことを祈らずにおれません。
★その他のシーンについて
心を持って行かれたシーンがあと2つあるので、そちらについてもお話したいです。
①冒頭
この冒頭の場面で、私はぐっと心を持って行かれました。
誰かが画面をゆっくりスワイプしている。
幸せそうなカップルのウエディング風景。
一つの写真で手が止まる。
ゆっくりとカメラがパンする。
そこに映し出されるのは幸せだったはずのそのカップルの凄惨な殺害現場…
顔に刻まれた十字架、赤く染まったテーブルクロス、握られた手の鎖。
食べられる筈であった料理。
どこかヨーロッパ映画の雰囲気を感じるのは、宗教的美学、晩餐の風景、洋画のデリカテッセンや洋画でよく見る精肉店主…それらが複合されたイメージでしょうか。BGMはモーリス・ラヴェルのボレロ。偉大なフランス近代作曲家ですが、ラヴェルの楽曲には怜悧さと独自の美学とを感じます。絵画的視覚的ではありますが、同時代の作曲家ドビュッシーやフォーレより硬質で冷たくて、色でいうとブルー(←個人の感想です)。ボレロも二つの主題を繰り返す、当時前衛的な構成の舞曲でした。
ここで食べられかけていたのは魚料理で、ここにも水の気配があります。「生」を象徴する食の場面と「死」との対比が印象的だな…と。
②団地
ある人物が棲んでいた団地…外観の描写から圧倒的な衝撃を受けました。絡みつく植物たちの圧倒的な質量。場所に宿る感情、情報、情念のようなもの。
そう、内田監督の画づくりには、細かいところまで描かれた物量や質量を感じます。厚みや奥行き、と言えるかもしれません。それは人物や感情の描写の説得力に繋がっているように思います。そしてその画づくりに負けない俳優陣の演技のすごさ。
初回はまず、予想を裏切る展開に衝撃を受け、回を重ねて描写を見る度、その情報量に圧倒されます。その質量とともに、社会の中で見過ごされそうな、「なかったこと」にしてしまわれそうな感情が炙り出されます。見過ごされてしまう澱のようなもの。その中でしか描けないもの。丁寧に掬い上げられたその感情にもう一度向き合うのが映画の、そしてエンタメの醍醐味なのかもしれません。
思わぬ展開と、圧倒的な画づくりと役者陣の演技に圧倒される映画「マッチング」。何度も鑑賞して味わい尽くしたい映画です。
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