人生いろいろ⑨

前回は京都での新生活、主に「住居」について書きました。この連載の中では比較的おもしろいほうかな?と思いながら書いていたのですが、いかがでしたでしょうか?

今回はそうですね、具体的な活動について書きましょう。まずは部活・サークル活動にしましょうか。

前記のとおり、予備校時代も好き勝手していたのですが、大学に進学してしまうと更に開放的になるのは至極当然なことで(まあ特に超自由な校風で有名な大学だったので(苦笑......))、高校からは帰宅部員となり受験勉強に打ち込んでいたこともあり、大学では「さあ、どんなサークルに入ろうかなぁ♪」とお話は前広に伺っていました。新歓コンパにもちょいちょい参加して、「おーさすがは大学生。はじけまくってるわー!」などと楽しんでおりました。
当時は何か特別やりたいこともなかったので、テニスサークルとかイベントサークルとか楽しければなんでもいいかなぁと思っていたところ、親友Kからヘルプミー!と。スピードスケート部から無料滑走会に誘われてしまい、断り切れなかったと。で、ひとりで行くのは怖いからついてきてくれ、というのです。
スケートって、、、そういえば浪人中に一回友達と行ったなあ。コケまくって途中からリンクサイドでみんなを見守っていたし、何も楽しいことなかったなぁ......などと過去を思い起こしながら、まあ行くだけなら別にいっか、ととりあえず同意しました。
で当日、参加者はどれくらいでしたでしょう、10名はいなかったと思います。当時のスピードスケート部は総勢10名程度。概ね一対一でつく感じで指導というかサポートしていただいたのですが、とにかくベタ褒めされる訳です。
「え、数回しかやったことないなんて信じられない!」とか「うまい!」とか「めっちゃセンスあるなぁ」とか。
これは外から自分の姿を客観的に見ることができないのが罪なのですが、うまくなくても「うまい」、「センスあり」と言うのです。
もしコケまくっても「最初は俺もそんな感じだった」などと、本当はそうでなくても言うのです。

無料滑走会→新歓(新入生歓迎)→意地でも入部させる会、ですから(笑)

そして、褒められると調子に乗ってしまうウブな新入生達は「俺マジでいけるんちゃう?」、「スケートって思ってたより楽しいのね♪」などと思ってしまう訳です。
実際Kは一年生の夏には、KG大学のT、OK大学のKとともに「関西三羽烏」と称されるようになるほど素晴らしいセンスの持ち主だったのですが、「お付き」の私は単なる勘違い。
終了後なんとなーく、「あの部、感じよかったね」などという感想が二人の間で出て、数日後二人そろって入部を申し入れてしまいました。

やれやれ・・・

という訳で、北の大地に来た訳でもないのにスピードスケートという競技を始めることになってしまったKと私。
私は1年生で早速五月病?になって、友達と自力でサークルをつくろうとしたりしましたが、イベントの動員などがうまく行かず結局スケート部に戻ってきました。これは本当に大反省。なんちゃってサークルに巻き込んでしまった数名の新入生の皆様、本当にごめんなさい。と同時にスケート部の先輩達は「あー、早速アイツ辞めるな」と間違いなく思ったでしょうね。
それが、じきに主将、関西学生氷上競技連盟副委員長、二季連続京都府代表選手という三足の草鞋を履くことになる訳ですから人生わからないものです。
この辺りは一言で書くとこうなのですが、私が在学中に一番マジメにやり遂げたことなので(逆に言うと他には何もやらなかった(できなかった......))、どういう顛末でこんなことになったのかは改めて別の場で綴っていこうと思います。

人手が足らず困っている方々へ。

その飢餓感は決して顔に出してはなりません。
「俺たちといると楽しいだろう♪」という空気感を如何に全面に醸し出すか。
マイナースポーツの新歓でころっと騙され(?)、翌年から騙しまくった(笑)経験上言えることです。
ちなみに当部は私たちの入部時には約10名が所属していましたが、うち三回生1名、四回生0名でした。
リアルに廃部寸前から必死の思いで立ち直った組織は強いです!実は数年前も廃部寸前になったらしいのですが、わずか二・三年間の懸命の努力で今はおそらく部員数30名くらいではないでしょうか(今年の新人だけでも確か12名程度入部しているはずです)。

という訳で、次回はまた趣向を変えて当時のバイト事情を書くつもりです。

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