三銀蔵

三銀蔵の片付けから、先祖が「表は坊人、裏が忍者」と言われる多賀大社の今はなき「坊人(ぼうにん)」だとわかり、「明智光秀が近江・多賀の佐目」出身だとてう資料に目が留まり、地元の口伝と一致する事から、通説とは違う角度から調べはじめた事を中心に書いていきます。

明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』 もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。 今となっては、すっかり忘れてし...

08.出てきた!隠された「明智光秀の記録帳」

佐目集落の歴史を調べる集まりがあった。 現在、佐目の歴史を書き遺してある資料は既に亡くなられいる田畑喜與門氏が書かれた物だけだった。そこには、明智光秀に関する伝...

07.本願寺と佐目道場と光秀

『淡海温故録』に 明智十左衛門が土岐成頼に背き、六角高頼を頼って2~3代もの間、佐目に住んだとあり、息子である明智十兵衛光秀・・・とあります。『淡海温故録』がウソ...

十兵衛屋敷跡に行ったら、桔梗が咲いてた!
やるな!佐目十兵衛会

06.まずい! 明智十兵衛光秀の家紋って?

あーどうしょう。 先日、井伊美術に明智光秀公から一時期家臣だった木俣守勝がもらったという具足櫃に「桔梗紋」が入っているのを見つけました。 あらカワイイ! などと t...

05.更に古い、光秀「犬上衆旧き好しみある故」

04.明智光秀公の一番古い出自の文献 にて 『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88) 『江侍伝聞録』は、寛文12年(1672) と、今のところは出自の一番古い伝承とお伝えしました...