芸人ニューヨーク①

ニューヨークが大好きなので、書きます。

アメリカの大都市ではなく芸人ニューヨーク。

最近だとYouTubeチャンネルでの日置さんとの30分トークが良い。

初めてフジテレビの番組に出た時の思い出話。

「大晦日に漫喫のバイト終わり、りんかい線に乗って湾岸スタジオに向かった。」
「青春すね。ほんま。」

その光景が頭に浮かび、自分の思い出と重なって胸キュン🫰した。


私は社会人になるタイミングで、上京のため一人暮らしになった。
めちゃくちゃホームシックになった。

就活の時から入社後の研修など、りんかい線に乗って移動していた。


芸人のスターを夢見て、同期たちと切磋琢磨し、一歩一歩。。
フジテレビの番組に呼ばれたぞ!と、ドキドキキラキラした気持ちでテレビ局に向かう。

夢を持って東京に来た。不安と希望。
慣れない土地。大切な同期。

どれも似ているのに、全然違う。真逆、とまでは言わずともちょっと方向は違う。

この会社に入りたい!とゆう気持ちで入社試験に挑んでいたから、入社が決まった時点で私の夢は叶ってしまった。

あとは現実とのギャップを受け入れる毎日。

長めの休みのたびに実家に帰っては、仕事の前日は落ち込んでメソメソ。

本当にそんな日々だった。そりゃ逆流性食道炎にもなる。

私にとってのりんかい線は、少し切ない思い出だった。とゆう事を思い出した。

普段の生活がバッタバタしすぎてるのもあり、すぐあれこれ忘れる性分でもあり、突然ハッと思い出す。

ニューヨークのお二人は同世代だから?
ふとした時に自分の記憶と繋がって蘇る。


もちろん漫才コントどちらも大好きで、旦那さんに子ども達とお留守番をお願いし、劇場に生の舞台も観に行く。

このリフレッシュが私にとってめちゃくちゃ大事になっている。笑う時くらい無防備に笑わせてほしい。


思い返せば小学生の時すでにめちゃくちゃお笑い好きで、中高に入れば芸人さんの追っかけをしていた。

ちょっとマセてお笑いから離れた時期もあったけれど、結局私にとって大切なのは笑う事だった。


大学生の頃、いまいち真剣に就活に取り組まない私にヤキモキした母が
「あなたは一体どうしたいの?」と聞いた事があった。出かけた帰りの電車の中だった。

私が「んー。ずっと笑ってたいかな!」と答えたので、めちゃくちゃ怒られた記憶がある。

電車の記憶がもう一つ蘇った。

とにかくニューヨークは私の心のオアシスです。


どうぞ適当に読み流してください。

つづく。。

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