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お金の無い医師達ー第4話

赤城はサンドウィッチを食べ終えると、予定されていた小児のヘルニアの手術へと向かった。昔は小児外科という専門科目があったが、子供が減ってきた今はほとんど小児外科は存在せず、外科に統合されている。

トイレに行ってから医局に戻ると、僕の机のところに中村先生がいた。

「佐藤先生、先ほどは急にすまなかった」

バツが悪そうにしている。尊敬する上司のこういう姿は、あまり見たく無い。

「いえ全然構いません、そんな事より、お子さんが2人私立の医学部だと、大変ですね」

「そうなんだよ」

中村先生は、赤木の席に座って、話始めた。

「私立の医学部ってもさ、学費が年間300万円くらいですむところもあれば、1000万円くらいかかるところもあるだろう」

「俺の子供達、出来が悪いから、2人合わせて年間1500万円くらいの学費がかかるんだよ」

「そりゃあ、ヤバいですね」

「奥さんも看護師として働いてくれているから、まだなんとかなっているけどな」

「そうですか…」

「本当はこんな所で話すんじゃなくて、美味いメシでも食いながら話したいところだが、そうもいかなくてな」

「佐藤先生も、今のうちから考えて稼げる医者にならないと、将来俺みたいになるぞ」

「先生は悪く無いと思いますよ」

「はは…あ、コーヒー飲むか?」

中村先生はポケットに忍ばせていた缶コーヒーを、僕の机に置いた。

ありがたく頂戴し、僕は話を続けた。

「そういえば、金本先生って、何であんなお金があるんですかね?」

「あー、確か金本先生のご実家、会社を経営しているんだよ」

「へー!何の会社なんですか?」

「金本製菓って言う、老舗の和菓子製菓の会社、それなりに有名だよ」

「へえ、知りませんでした」

「あ、これ一応秘密ね」

中村先生はそう言うと、缶コーヒーを口にしながら、視線を僕から逸らした。

金本先生はお金がありそうだが、和菓子屋さんはそんなに儲かるのだろうか。老舗だと違うのだろうか。高くても買ってくれる固定客がいて、利益率が高い、とかあるのだろうか。

「そういえば最近本当、薬がほとんど切丸製薬に切り替わりましたよね」

僕は話を変えた。

「そうだな、我々循環器内科領域も、降圧剤や抗コレステロール薬、全部切丸製薬だな」

「切丸製薬、めちゃ儲かってそうですね」

「そうだな〜」

「にしても、一気に広がり過ぎな気がするのは、気のせいですかね」

「うーん確かに」

「切丸製薬から、誰かキックバックもらってたりするんですかね、院長とか副院長とか、ないか」

と僕が冗談めいて言うと、中村先生は急に黙ってしまった。

どこかを見つめたまま、缶コーヒーを口にしている。

もしかしたら僕はヤバい事を聞いてしまったのだろうか、と思っていると

「流石にそれはないだろ」

と、いつものカラッとした中村先生の回答が、降ってきた。

「今は昔と違って、製薬企業と医者の結びつきは厳しく監視されているし…」

そう言うと、中村先生は話を切り替えた。

「佐藤先生、確か今日先生当直だよね?行かなくて良いの?」

「えっ!ヤバい忘れてました!行ってきます!」

いつ自分が救急外来の当直だったのか、毎日に忙殺されていると、つい忘れてしまう時がある。

まさに今がその時だ。

僕は急いで救急外来に向かった。

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救急外来。

当然ながら、湾岸セントラルような大規模病院では、24時間救急外来がオープンしている。

そこで働く医者は、救急外来専属の医者、というわけではない。

僕のように普段から外来、病棟を担当しながら、シフトを組んで定期的に救急外来の医者として働くのが、一般的だ。

当然、明日も普通の勤務がある。たまたま明日は土曜日で休みだが、翌日が平日の場合はそのまま勤務する事も珍しく無い。

このような激務の中、救急外来を夕方から朝までこなして、もらえる給料は2万円程度だ。

労働時間は15時間、時給換算で1500円くらいだろうか。

そんなツラい勤務も、夜明けとともに終わりを迎えた。

医局に戻ると、赤木が机に突っ伏して寝ていた。

赤木も昨日、救急外来の外科担当だったから、疲れているのだろう。

僕はシャワーを浴び、コンビニでサラダチキンを買って食べて、余ってしょうがない饅頭を食べた。

何といっても今日は、サークルエッジの田中さんと契約を結ぶ重要な日だ。

うたた寝をしてこのチャンスを逃すわけにはいかない。

一通り準備を終えると、田中さんから「今つきました」というショートメールが届いた。

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「初めまして、サークルエッジの田中と申します」

田中さんは、姿勢良くお辞儀した。

身長が高く、スタイルが良い。10人中10人が美人判定するくらい、わかりやすい美人だった。

「初めまして、佐藤と申します」

そう言うと、田中さんは名刺を差し出してくれた。白くて長い指は、絹糸のようだった。

「佐藤先生、思っていたよりずっとお若いですね」

「そうですか?」

「ええ、こういう不動産を購入される先生は、大体家庭を持っていて、将来に備えてという方が多いものですから」

「なるほどですね」

田中さんの話を聴きながら、循環器内科部長の中村先生の事を思い出していた。

「個室をおさえてあります、こちらへどうぞ」

「ありがとうございます、失礼致します」

僕が個室へ案内すると、田中さんの携帯が鳴った。

「ちょっとごめんなさい」

そう言って、田中さんは席を外した。

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10分ほど経過して、田中さんが個室に戻ってきた。

なぜか、かなり暗い顔をしている。

「佐藤先生、すみませんタイミング悪くて」

「いえいえ、大丈夫でしたか」

「いや、それが…実は今、サークルエッジ社長の霧島から電話がかかってきてですね」

「ええ」

「佐藤先生が購入する予定の物件、売れないって言うんですよ」

「えっ!?どうしてですか?」

僕は完全に動揺した。

「私もいきなりの話ですし、理不尽過ぎるので、理由を聞いたのですが…何回聞いても細かい事は教えてくれなくて…」

「ちょっと待って下さい、そんな話って、あります?」

サークルエッジは不動産仲介業、つまり不動産の所有者は別の誰かであって、いくら社長と言えどもサークルエッジ側の人間が、売る売らないを判断できる立場にはいない。構造的におかしな話だ。

「いえ、私も初めてです」

「おかしいですよね?」

「はい、おかしいです」

「僕は銀行側にも話を通しているんですよ、銀行からの僕に対する信頼が削られる事になります」

「先生、本当に申し訳ないです…」

「どうしても無理なんですか?」

「はい、粘りましたけど、どうやら霧島の方で何か理由があるらしく、ダメなようです…」

「そうですか…」

しばらく僕は、何も考えられなかった。

確かに、このタイミングで売主が売りたくなくなって、やっぱりやめるという話は、たまにある。

しかしながら仲介業者サイドの意向でこうなる事は、滅多にない、というか聞いた事がない。

今現在、手付金の授受は行っていないし、僕が法的に賠償金を請求できる立場ではない。

気持ち的には、100万円くらい受け取っても良いと思うが、目の前にいる田中さんも被害者であり、強くは責められない。

何より美しいので、そんな気にならない。

美男美女を営業にするというのは、会社にとって得しかないようだ。

「わかりました、今回は御縁が無かったということで、また良い物件があったらご紹介よろしくお願いします」

僕はせめて次の取引が有利につながるよう、表面上だけでも、サクッと切り替えた。

「はい!優先的に先生にご紹介させて頂きますので…」

「お願いします」

その後、しばらく雑談をし、解散した。

不動産はこうして、何かしらの理由で買えないと、余計に欲しくなってくる。

同じ商品が無いからだと思う。

例えばフィギュアのコレクターが、世界にたった3つしかないフィギュアを、オンライン競売で買おうかどうしようか悩んでいて、気がついたら買われてしまった、という感じに近い。

同じものがないからこそ、逃した時の精神的な損失感が大きい。

今回は、まさにそれだった。

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僕は医局に戻り、自分の机に座った。

赤木はいなくなっていた。

スマートフォンを開き、ニュースをチェックする。

切丸製薬、武器は営業力
国内のジェネリック医薬品メーカー、切丸製薬の快進撃が止まらない。売上高は前年同期比+12%、営業利益は前年同期比+18%と高い成長性を維持している。切丸製薬のIRには「弊社の商品は価格、品質、営業の3本柱」とある。切丸製薬にしかない「営業力」で、このままの快進撃は続くのか。

少し、切丸製薬の高い成長性に、市場が疑問視し始めたようだ。

確かに、単なるジェネリックメーカーが、なぜ他社を出し抜いてここまで大きな利益を上げる事ができているのか、不思議ではある。

切丸製薬の株価も、久しぶりにチェックしてみる。

順調に上がり続けている。赤木のニヤけた顔が目に浮かび、イラッとした。

「お!佐藤大先生じゃないですか」

濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら、赤木が机に戻ってきた。シャワーでも浴びたのだろう。

「お疲れ赤木」

「いやー昨日はマジで疲れたよ」

「忙しかったよな」

「もう俺、医者やめて株式トレーダーになろうかなあ」

そう言うと、赤木はスマホを触り始めた。

「何言ってんだよ」

「だってさー、昨日みたいに睡眠時間ほぼゼロで働いて、時給いくらだと思ってんの?」

「医者の労働、時給換算は禁忌だぞ」

「昨日の夜、寝ずに働いて2万円を貰って、何もしていない俺の切丸製薬は1日で10万円も稼ぎ出している」

そう言いながら、赤木はスマートフォンの株式アプリの画面を見せてくれた。評価損益で、100万円以上プラスだ。

「何だかダルくなっちゃったよ」

赤木は続ける。

「まあ、こっそり当直中に副業できるかなって、あがいてみてるわけなんだけど」

「お前だってさ、不動産の収入が増えてきたらさ、こんな非効率的なこと、やってらんねーだろ?」

「へえそんなサイトがあるんだ?まあ、でも今はまだその時じゃないからな」

と僕は答えた。

「ふーん」

「それに赤木、叔父さんである赤羽院長の手前、流石にやめるのは無理だろ」

「あの人もさー、結局勤務医でお金がなくて、家計を支えるために忙しく働いて、今度は家庭の時間を全く取れず、バランス崩して松本さんと別れちゃったらしいし」

「金も時間も削られる医者なんてさー、やってらんねーよマジで」

そう言うと赤木は、服を着始めた。

「しかもやたらと美人の誰かさんを、個室に連れ込む同期もいるしさー、こんな朝っぱらから」

「いや、あの人は不動産の人だから」

赤木に見られていたのには、気がつかなかった。

「はーあ、やんなっちゃうよ全く」

そう言って赤木は、机の上に転がっているカップラーメンを手に取り、給湯室へと向かっていった。

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それから数日が経過した。

結局のところ、僕は物件を追加購入できないままだ。

あの1件から、サークルエッジの田中さんは、定期的に物件情報を持ってきてくれるようになった。

申し訳ない気持ちがあるのか、電話やメールだけではなく、実際に訪問してくれる事が多い。

しかしながら、どれもこれもイマイチな物件ばかりだ。

田中さんいわく「良い物件はすぐに売れてしまう」らしい。

まあ、当たり前の事と言えば、当たり前だ。

投資用不動産の価格は、国と銀行が決めていると言っても過言ではない。

不動産投資のキモは、融資だ。

低い金利で長く、お金を借りる事ができれば、利回りの低い不動産でも、キャッシュフローがプラスになる。

その上、多額を銀行から借りる事ができれば、大きな物件をドンと買って、キャッシュフローの絶対額が大きくなる。同じ利率でもスケールが大きくなれば、絶対額が大きくなるからだ。

しかしながら、これらの条件は崩れる事がある。

まず1つ、金利の上昇。これは基本的に国が決めている。インフレ期待が高まると、市場の加熱を冷ますべく、中央銀行が各銀行に貸し出す金利を上昇させ、お金を借りにくい世界を作り出す。信用創造が阻害されるため、インフレは抑制される。

2つめ、融資情勢の悪化。デフレ下でも、銀行が不動産に対する融資姿勢を変更し、不動産市場に流入する資金の流れが変われば、当然物件価格も変わってくる。

まさに今は金利は低いものの、人口減少を見据えた日本の不動産に対して、各銀行が懐疑的であるため、不動産に対する融資だけが厳しい。

とはいえ、今の日本に不動産並みに多額の貸付を行える対象はそれほど多くないため、結局のところ各銀行は不動産を担保とした貸し出しを行うしかなく、まさに揺れているという状況だ。

こんな情勢の中、投資すれば明らかに儲かるしかないという物件に対しても、銀行側が融資に慎重なのは、もう致し方ない。後は、医師という信用、個人の稼ぐ力に対して融資してもらう他、無いのだ。

たまたま自分の元に現れたレア物件を、医師の信用力でスピード購入する。

これが、今僕の取れる戦略だ。


お金の無い医師達ー第5話へ続く。


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