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鼎談:三土×福原×佐久間「ハイライトとピーク」

聞き手:植井努

ーー3人がどんな風に出会ったのか、そもそも接点があるように思えないのですが…。

福原 それはえっと…、三土さんとも佐久間さんとも何本も芝居を作ってきたので、「接点があるように思えない」と言われると寂しいですね。僕の芝居、見に来て…。

三土 でもそういう人の方が多数だと思うよ。

福原 わかってます。わかってますけど…。

三土 僕と福ちゃん、福ちゃんと佐久間さんは芝居やってるけど、僕と佐久間さんに関しては、近しい人にも接点があるように思われてないかも。

佐久間 三土さんとは、福原さんがENBUゼミナールでワークショップをやった時に初めてお話ししたと思います。三土さんがお手伝いで参加していて、私は、福原さんがどんな風に演出しているのかを知りたくて、ちょっと手伝わせてくださいと言って参加させてもらって。その時ですね。

三土 全く覚えてないです。

佐久間 …そうですか。

三土 僕が覚えているのは、『はぐれさらばが〝じゃあね〟と言った』(※2013年 福原が主宰するピチチ5の公演)の稽古場で、

福原 あー、佐久間さん、見学に来てた。

佐久間 行ってないですよ。

三土 あ、そうですか。

福原 いや、来てたよ。

佐久間 あれ(笑)

福原 佐久間さんも来たし、岸井(ゆきの)さんも来てた。なんで覚えているかって言ったら、三土さんが、「すげぇ、カワイイ子が来た」ってずっとブツブツ言ってて、

三土 思い出したくないけど、思い出した。

福原 周りの役者に「カワイイねー」とか言うならまだいいけど、独り言で「カワイイ、これはカワイイぞ」とか言ってるから、みんなが凄い気持ち悪がって、

三土 客演の今野(浩喜)さんに後で、「滅茶苦茶気持ち悪かったですよ」って言われた。

佐久間 そんなことが…(笑)

福原 そこからだと、2人は出会って9年です。

佐久間 もう9年!


ーー三土さんと佐久間さんの出会いはわかりました。三土さんと福原さんは?

三土 福ちゃんと俺は、えーと、

福原 (ネットで調べて)98年ですね。…24年前ですよ。

三土 え、俺、何歳の時?

福原 知らないですよ(笑)俺、三土さんの年知らない。

三土 俺だって知らないよ。

佐久間 (ネットで調べて)三土さんが28才の時。福原さんが23才の時です。

三土 若いじゃん!

福原 確かに若かったですよ、先輩方もみなさん。まだ学生の匂いがしてましたし。

佐久間 先輩方というのは?

福原 当時、オッホって劇団にいまして。明治大学の騒動舎って演劇サークル出身の劇団で、同世代にジョビジョバとか河原(雅彦)さんのハイレグジーザスとか、サークルは違うけど動物電気も同じ世代で。俺は明治じゃないけど、オッホの新人として、その辺の方々がみんな先輩みたいな感じで…。

三土 俺が客演で出た時に福ちゃんが新人でいた。

佐久間 役者で?

福原 演出助手だったんだけど、役者も。

佐久間 へー!

福原 演助で入って、最初の公演のために稽古の手伝いをしてたんだけど、稽古中に公演中止になって。

佐久間 えー?!

福原 チラシまいて、チケットも売ってたんだけど、某劇団とダブルブッキングしてることがわかって。会場だったシアタートップスのミスなんだけど。まぁ、当時はそれも含めて個性的な支配人の、個性的な小屋だったから。

佐久間 今の本多グループのトップスとは支配人が違うわけですもんね。

福原 で、こちらが譲ることになったんだと思う。新人だから事情はよく知らないけど。それで、時期を改めてもう1回、仕切り直しの公演をやるってなった時に、劇団員が抜けて、役者が足りなくなり演助の私が役者もやることになり…。

三土 そうだそうだ、客演さんのスケジュールも合わなくて、俺とか姫野(洋志)君が代わりに呼ばれて…、

佐久間 お二人が共演することになる、と。

三土 あの頃の福ちゃん、もうめちゃくちゃ好青年で、今とは大違いの、今のふてぶてしさは全くない、

福原 三土さん、今と一緒。全然、ちゃんとしてない…、なんも変わってない。

佐久間 (笑)

三土 思い出した。稽古場で福ちゃんと2人でふざけてたら、演出の麻衣ちゃん(黒川麻衣)に怒鳴られて。俺だけ。結構長い時間怒られてて、福ちゃんの方チラッと見たら、完全に無視。

佐久間 でも、三土さんもふざけてたんですよね?

三土 ふざけてた。

佐久間 ダメじゃないですか。

三土 20代前半で真面目に稽古してちゃダメだよ。ふざけないと。

佐久間 20代前半だったのは福原さんで、三土さんは28才だったんですよね?

三土 …ん?

佐久間 「ん?」じゃなくて(笑)


ーーでは、佐久間さんと福原さんの出会いは?

福原 佐久間さんが話していいなら話しますけど。

佐久間 …どうぞ(笑)

福原 えっと、当時、三鷹の芸術文化センターで芝居(’09年 故林広志コントRemix  「二死満塁の人々」)をやってたんですけど、あそこの楽屋って、公共のホールなんで、そこそこしっかりしてるじゃないですか。下北沢とかだと、「トイレ行こうとしたお客さんが楽屋のドア開けちゃう」みたいのよくありますけど。三鷹は鉄扉で遮られて、そこに制作さん立つし。

佐久間 ちゃんと、門番というかね、楽屋の前に面会受付の担当の方がいて、

福原 で、「福原さんお知り合い見えてます」って言うから、誰かと思ったら、知り合いでもなんでもない奴が楽屋に入り込んでて。

佐久間 奴…(笑)

福原 「はじめまして、佐久間です」って。初めてましての人、中まで入れないのに。

佐久間 んふふふ(笑)

福原 「どっかのマネージャーさんかな?」と思って、一応、話してたら、ほんとにただ潜り込んだ人で。

佐久間 でも、嘘はついてなくて。「すいません。佐久間と申しますが、福原さんにご挨拶したいんですけど、いいですか?」って言ったんですー。「知り合いです」、とは…(笑)

福原 でも「知り合いじゃない」とも言わなかったんでしょ? 

佐久間 言わなかったですけど(笑)

三土 楽屋泥棒と同じ手口だね。

佐久間 えー(笑)

福原 あの時、佐久間さんが帰ってから財布の中身確認したから。

佐久間 いやいや(笑)でも、一人じゃなかったですよ?制作をやってる友達と2人で、

三土 見張り役と共犯で。

佐久間 違いますぅ(笑)あの頃、福原さん、オーディションとかもやってなかったし、どうやったら福原作品に出られるのかなと思って、あの…、突撃を…。えぇまぁ、お勧めできるやり方ではありません(笑)

三土 それまではどういう芝居をしてたの?

佐久間 私ですか?最初は、当時、所属していた事務所のタレントさんが総出演する舞台に出ていて、コントしたり、歌ったり、踊ったりする中で、最後に、長尺コントと言う演目があって、そこでお芝居するのがすごく楽しくて。同じ頃に、ドラマに出てお芝居したのも楽しくて。それで、小劇場という世界があることを知って、観に行ったら面白くて、

三土 へー

佐久間 この面白い世界に飛び込みたいなぁと思って、その事務所を辞めてしまって。その時、自分の居た環境と、小劇場がどうにも繋がらなくて、辞めないと飛び込めないのかなと。…無知でした(笑)その後、紹介してもらってお芝居のワークショップに通ったんですけど、そこでは、客席に面を切って、大きい声で台詞を言って…。

三土 今じゃ想像できない。

佐久間 で、そこで出会った方に、FICTIONという劇団が面白いよって教えてもらって、

福原 もう、FICTIONが出てくるんですね。

佐久間 そうです。それで、観に行ったらすっごく面白くて、それからずっと出させてもらって。

福原 FICTIONは、どういう人が作・演ですか?

佐久間 誘導ありがとうございます(笑)山下澄人さんという、富良野塾出身の方なんですけど。芥川賞とかも取られた。

福原 僕、山下さんにサインしてもらったことあります。

佐久間 あ、FICTIONの劇団員の竹内裕介さんは今、中富良野で、Cafeてくりというカフェをやってるんですけど。今回の『旅と渓谷』で中富良野公演が実現したのは、竹内さんのおかげです!

三土・福原 ありがとうございます!!


ーーそんな3人が、ユニットを組むきっかけは?

佐久間 最初は、練習しようって。映像の練習ですよね?

福原 僕が、初めて映画を監督した後で、もっと映像の経験も積みたいなって、芝居の稽古するように撮影の稽古をしたいっていうので…、そしたら佐久間さんも三土さんも監督したいって言うから、

三土 え、言ってない。

佐久間 言いましたよー。 

福原 だから、この3人の団体名の、“スリーピルバーグス”っていうのは、映像の練習から始まってるから、「3人のスピルバーグ」っていう、3人とも監督しましょうって意味で始まってるんです。

三土 俺、初めて知ったよ。

佐久間 言いました(笑)言いましたし、三土さんも監督したじゃないですか。

三土 えー?

佐久間 いや、福原さんは最初から「撮影するだけで編集もするつもりない」って言って撮って、私も似たような感じで。三土さんは、ちゃんとカメラマンの関根(将由)さんを呼んで、友情出演として、倉沢学さんも呼んで、一番真剣に撮ってました!

三土 …。

福原 三土さん、当時、好きだった女の子にフラれたばかりで。そのフラれた女の子の役を佐久間さんにやらせて、なんか甘酸っぱい短編撮ってましたよ。

三土 …。

佐久間 そうそう、三土さんの大好きなバンドの歌に乗せてMV風に。

三土 …。

佐久間 喋らなくなっちゃった(笑)それがもう5年前とかですよね?

福原 そう。

佐久間 その間に、私は、三土さんの命を救ったりもして。

映像の練習を始めた頃の3人。@三土家


ーー佐久間さんが、三土さんの命を救ったんですか?


佐久間 2020年の夏頃に、三土さんと2人で、『トビウオ人間vs形の無い何か』(初演は’06年 ニッポンの河川。作・演出は福原充則)を上演したんですけど、そのお稽古中に、三土さんがずーっと咳をしていて、様子を見てお稽古お休みにしたりしていたんですけど、何度頼んでも病院に行ってくれなくて…。コロナが少し落ち着いてた時期ではあったけど、とにかく心配だったので、最終的に泣きながら、「コロナじゃなかったとしても、他の病気だったら困るので私のためだと思って病院に行ってください」と頼んで。それで行ったら、肺気胸で、もう少し遅かったら、結構大変な事態に、命に別条があったという…。

福原 それ、稽古中でしたっけ?

三土 稽古始まって、1週間くらいの時。で、病院行って、入院もして、手術して…、稽古場戻って、

福原 で、俺が稽古場に見学行ったら、こっそりタバコ吸ってた。

佐久間 えー!?

三土 いやいやいやいや。それはもう完全にガセネタ。

福原 あれ、吸ってませんでしたっけ?

三土 吸ってないよ。

佐久間 でも、本番が終わった後にすぐ吸って、また入院して…

三土 それで懲りて、ついに禁煙しました(ドヤ顔)。


ーーそんな3人の芝居ですが、今回は野外劇ですよね?

佐久間 三土さんは、野外劇やったことあるんですか?

三土 えーと、大学の時に一度。

佐久間 へぇー、さっき言ってたサークルで?

三土 そう、野外は、それだけです。でも、福ちゃんの野外劇、2回手伝わされた。

佐久間  『南の島に雪が降る』(’14年 ベッド&メイキングス お台場潮風公園)、と?

三土  『南の島〜』と、『大地をつかむ両足と物語』(’17年 ニッポンの河川 葛西臨海公園)。

福原 野外やると、テントに見張りとか必要になるんで(笑)信頼している先輩がいいな、と。

三土 一人で見張りやらされた。

佐久間 (笑)

三土  「見張りなんて簡単だ」って佐久間さん言うけどさ…

佐久間 言ってないです(笑)

三土 雨が降って、テントに雨水貯まって、ほんとにつぶれるんじゃないかっていう。でも役者さんもスタッフさんもヘトヘトだから、手伝いに来てる僕しかやる人いなくて。一睡もしないで、つっかえ棒で、こう下からテント幕を突いて水を押し出すっていうのを延々…。

佐久間 (笑)

三土 途中、いい加減嫌気がさして、勝手に差し入れのビール開けて飲んでた。

佐久間 それは、いいんじゃないですか?それくらいは、勝手に(笑)

福原 佐久間さんの野外公演の経験は?

佐久間 私は、真夏の小豆島で。

三土 小豆島ってあの小豆島?

佐久間 はい。瀬戸内海の。

福原 三土さんの実家の方の。

佐久間 小豆島の大部にある、海沿いの造船所跡地でやったんですけど、お稽古もその場所でやって、

三土 へぇー。

佐久間 ひたすら、炎天下との戦いで、

三土 ほぉー。

佐久間 1日にお稽古出来るのが、3時間とかしかないんです。意識が朦朧としてくる。なるべく気温の低い午前中にお稽古していたけど、それでも、32、3度はあって…。しかも、2人芝居だったんですけど、相手役の江本(純子)さんは演出もしていたから、実際に動いてるのは私だけだったりして。炎天下の中でお芝居するのって、相当おかしくなりますね…。ゲネプロ中に意識を失ったのは、初めてでした。

福原 それは、なんで野外でやろうと思ったの?

佐久間 野外でやろうと思ったというよりは、そこの景色が素晴らしかったから、ここで演劇をやりたいって思いました。

福原 景色がいいからって演劇やりたいって思わないよ。景色を楽しみたい。

佐久間 そっかー。でも、本当に素敵で。海に続く、船を引き上げるための大きなレールとか、鉄塔とかトタンとか山とか、夜になると星も素晴らしくて。それだけで、もうたくさんの物語や生きた証を感じられる場所なんですけど、そこでしか創れない演劇を創りたかったんです。

三土 福ちゃんは、色々やってるんであれですけど。今回、野外でも、なんかまた違った感じなの?

福原 さんざん野外やってきたんで、野外ってこと自体は実は特別じゃなくて、野外で何やるか、なんですけど。んー。野外の捉え方も大分変わったんじゃないすか、昔と比べて。キャンプブームとか、野外フェスブームとかで、だいぶ身近というか。

三土 そのブームは俺のところに来てない。

福原 お客さんの持ってる装備とか。雨具の性能とか変わったんで、やり易くはなってる気がします。

佐久間 野外劇で使えそうなツールもいっぱいありそうですもんね。

福原 そう。だから、役者で出たのも含めると、まぁまぁの数の野外公演をやってきたけど、その頃に比べて、装備とか機材は、値段が下がって手に入れやすくなったと思う。

佐久間 うん。

福原 やっぱ買う人が多いと値段下がるんで。アウトドアブームがこんだけ定着すると、もうなんか、色んな機材が安いなーっていう。ニッポンの河川の時は、はんだごてとかで、機材を自作してたけど、今回は「自作機材はいいかなー」って思ってます。

佐久間 面白いですけどね。

福原 「機材も全部手作りです」って言いたい気持ちはあるけど。

佐久間 確かに。あの、今回の公演は、リュックサック1個で出来るような演劇…、のイメージを持ってるんですけど、勝手に。

福原 そのイメージで遠くはないと思います。

佐久間 公演場所各地に行くのに、照明や音響、小道具大道具を自分たちで背負って行って、その背負った荷物から物語が出てくる、というような。演劇の幻燈を灯し終えたら、またリュックサックに詰めて、次の土地へっていう。舞台美術をたくさん仕込んで、とかではなく…

三土 思い出した。僕、一番最初に芝居やったのが、小学校ん時の発表会なんすよ。だだっ広い体育館でー、

福原 香川で?

三土 香川で。

福原 金比羅さまで?

三土 いや、だから体育館で。小学校の。で、子供だから、小道具も段ボールの手作りで。みんなで脚本を書きあってーっていう、なんかそういう、ものすごいチープなとこが楽しかったなっていう記憶が、何年かして芝居始めるきっかけには、実はなってるのね。…え、ほんとに?(笑)

福原 知らないですよ(笑)

三土 今、急に思い出しただけだけど(笑)あーでも、その舞台で、全校生徒の笑い声が聞こえた時に、なんか快感が。すごかったな、あれ。

福原 それが三土さんの人生のハイライトですか?

三土 うん。そうかなー。


ーーみなさんの、演劇人生のハイライトを聞きたくなりました。

福原 じゃあ、三土さんのハイライトは小学生の時で。

三土 いや、違うな。一番は、ピチチ5の旗揚げ公演のラストのヤツかもしれないな。

佐久間 『大クラシック』(’03年 作・演出 福原充則)でしたっけ?

『大クラシック』

三土 短編集で、ラストの短編が俺の一人芝居で。

福原 一人芝居じゃないですよ!三土さんの台詞がやたら多かったですけど、役者全員で出てましたよ、あの短編も。

三土 俺の記憶では、俺しか出てない(笑)俺の独壇場。

佐久間 どんな話だったんですか?

三土 どんな話?なんかー、…あれ?

佐久間 (笑)

三土 最後なんか赤羽の駅で、一人になって死ぬの。悲しい話なんすけど、なんか死ぬ時の台詞が良かったんだよね。

福原 19年前とかですよ。そこがピーク?

三土 かもしれない。

福原 そっからずっと、下り坂で。

三土・佐久間 (笑)

福原 佐久間さんは?

佐久間 えーーっ。えーー…、恥ずかしいですけど(照笑)、『墓場、女子高生』(’12年 ベッド&メイキングス 作・演出:福原充則)の最後のシーンかなと思います。あの瞬間を超えたいな、と、いつも自分の中での目印みたいにしています。

『墓場、女子高生』

福原 今、偶然ですけど、2人ともハイライトの作品を書いた人、一緒じゃないすか?

佐久間 (笑)

福原 だとしたら、もうちょっと俺の事、大事にした方が…

三土 (笑)

佐久間 大事にしてますよね?めっちゃ大事にしてる!

福原 すごく冷たいし、2人とも俺のことバカにしてるし、

佐久間 バカにしてないですよ!

三土 全く覚えがない、

佐久間 ちなみに福原さんのハイライトは?

福原 自分としてはハイライトなどなく、ずっと底辺を彷徨っている感じで。そんな中でもお客さんに届く瞬間があったなら幸いというかね。お客さんが、決めてくれることだし、ピークだとかハイライトだとか。

佐久間 (笑)ずっるーっ!めっちゃずるい。

福原 自分で自分のハイライトを主張するっていう図々しさは私にはありません(笑)

佐久間 主張…、図々しさ…、

福原 あとは、『旅と渓谷』をハイライトにするつもりでやっているので。そこが、ピークを越えて下り坂のお二人とはちょっと違うところかな、と(笑)

佐久間 …なんかもう、この瞬間にふさわしい言葉が見当たりません。

三土 甘いよ。こういう福ちゃんと24年、付き合ってるから。

佐久間 私も、『旅と渓谷』をハイライトにします。

三土 ピークにします。

福原 そしてゆっくり下降していきます。

佐久間 ……。

三土 …頑張ろうね、佐久間さん!

佐久間 はい!

<おしまい>



来週の2月15日火曜日には、
対談:永島敬三さん×佐藤貴史さん
「それは俺じゃない」
をお届けします〜。

お暇のお供にまたここで。

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