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戦火を拡大しないように

https://www.youtube.com/watch?v=ee4AHLK6AzY

『上海事件』1932年|国立映画アーカイブ、国立情報学研究所「フィルムは記録する」より

関東軍の暴走、満州国建国など陸軍の一部勢力に不信感を募らせ心を痛めてておられた昭和天皇は陸軍の暴走を止めたかったようです。
反天左翼や自虐史観教育を受けた者は昭和天皇も軍部も全部一括りで批判するが、それぞれの動きを全く見ようとしない。
テロリストに殺されなければ事態を好転できた軍人もいた。

満洲事変後に激化した抗日運動を背景に、1932年1月28日に起きた武力衝突より勃発した第一次上海事変について、閘北方面における海軍陸戦隊の活動、陸軍第九師団の上陸、重砲兵隊による呉淞攻撃から、歩兵第22連隊による嘉定入城までが、淡々と描かれている。

白川大将は着任する前に昭和天皇より戦火を拡大しないように命じられて出征した。

白川義則

上海天長節爆弾事件
第一次上海事変終結後の1932年4月29日、日本人居留地の虹口公園で催された天長節祝賀式(現在の魯迅公園)で発生した韓国人による爆弾テロ事件

欧米4ヶ国による停戦交渉中であった4月29日は天長節であり、日本の上海派遣軍と在上海日本人居留民は上海の虹口公園(現在の魯迅公園)において大観兵式と天長節祝賀会を執り行うことになった。

植田謙吉、白川義則の両司令官の殺害を目的に韓国人テロリストが潜入
天長節の祝賀会場への入場を中国人は一切禁止されていたため、日本語が上手で日本人に見える実行犯
韓国人の尹奉吉が水筒型と弁当型の爆弾各1個を持って潜入していた。

月29日午前10時に始まった式典は、午前11時40分ごろ天長節を祝賀するため、21発の礼砲が発射され、海軍軍楽隊の演奏で君が代が斉唱された。
式台の右後ろのラウドスピーカーの音がしなくなり、私服で警戒していた5~6人の軍人が修理しようと動いた。

この瞬間にテロリストの尹は群衆を抜け出し、水筒型の爆弾を式台に投げつけた。

爆発で多くの死傷者を出した
上海居留民団行政委員会会長の医師河端貞次が即死
第9師団長植田謙吉中将、第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将、在上海公使重光葵、在上海総領事村井倉松、上海日本人居留民団書記長の友野盛が、それぞれ重傷を負った。
重光公使は右脚を失い、植田中将は左脚を失い、野村中将は隻眼となった。
重体で運ばれた白川大将は緊急手術を受けて一旦回復したが、5月26日に死亡した。

テロリスト尹は、上海海軍特別陸戦隊の後本兵曹により取り押さえられた。
日本領事館警察は上海フランス租界にいた安昌浩ら大韓民国臨時政府のメンバー17名を逮捕した。

12月19日午前7時に金沢刑務所で銃殺刑。
こんなゴミ1匹の命にはかえがたい尊い命を失った。

昭和天皇
昭和天皇は一時回復した白川に対して、慰労の勅語を与えた
「卿上海派遣軍司令官トシテ異域ニ在リ精勵克ク任務ヲ達成シテ威武ヲ宣揚シ國際ノ信義ヲ敦クセリ
朕深ク其ノ勞ヲ嘉ス」

3日後の5月26日、死去。享年65(満63歳没)。

第一次上海事変の功により勲一等旭日桐花大綬章並びに功二級金鵄勲章に叙され、男爵を追贈された。

事変を収拾した名将・白川大将の功績をおもい(偲び)
昭和天皇より遺族に御製が下賜された。
「をとめらの雛まつる日に戦をばとゞめしいさを思ひてにけり」

https://www.youtube.com/watch?v=96Hz0DRJCog

悼ましき凱旋
上海派遣軍司令官・白川義則陸軍大将の棺が、上海から軍艦龍田で横須賀軍港・逸見埠頭まで運ばれ、東京に戻るまでを描いた掌篇。 国立映画アーカイブ、国立情報学研究所


1932年(昭和7年)1月18日に第一次上海事変が起こると、上海派遣軍司令官に親補されて出征する。
同年2月25日の親補式において、白川は昭和天皇より「条約尊重、列国協調、速かに事件解決等」の付託を頂戴し、
「上海から十九路軍を撃退したら、決して長追いしてはならない。3月3日の国際連盟総会までに何とか停戦してほしい。私はこれまで幾度か裏切られた。お前なら守ってくれるであろうと思っている。」
との御言葉を賜った。

白川陸軍大将の三男の元春は陸軍航空士官学校51期、南方軍参謀・陸軍少佐で終戦を迎える。
戦後は航空自衛隊に入って空将となり、第11代航空幕僚長、第8代統合幕僚会議議長を歴任。

後年昭和天皇は、靖国神社に参拝した折に、白川の上海事変での功績を思ったと述懐している。

主犯や共犯者
事件の首謀者であった金九は金澈、安恭根、厳恒燮とともにアメリカ人フィッチ邸に匿われていた。

自称韓国臨時政府(国際的には認められていない)は独立運動の拠点であった上海を失い、
以降日中戦争勃発まで杭州を拠点とすることになる。
与党であった韓国独立党も、党員の分散により党勢を失った。

テロリストを称賛する中韓の阿呆共
伊藤博文閣下を暗殺したテロリスト安重根も韓国の英雄。
テロリスト尹も英雄扱い
中韓国交正常化以後に事件現場を示す石碑と尹を記念する梅亭が建立された。
現在では韓国人観光客の主要な上海観光スポットとなっている。

韓国人テロリストは、韓国を良くしようと動いていた伊藤博文や、戦争を収束させようと動いていた日本の重鎮・軍人を何人も殺しています。

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