2つ(3件)の重大事故を書きます。
□■□ 鉄道人身障害事故「JR東海道線救急隊員轢死事故」は、2002年11月6日に大阪市淀川区の東海道線で発生しました。
負傷者の救出作業中の消防局の救急隊員が特急列車にはねられて死傷しました。
http://araic.assistmicro.co.jp/araic/railway/report/03-5-1.pdf
http://www.sydrose.com/case100/329/
駅員や後続の特急「北近畿17号」(3027M)の運転士の連絡ミス、運行を指令する指令員の判断ミスなどで、救助作業中の安全確保が適切でなかったためである。
・運行を指示する指令員が、列車に戻った「新快速」の車掌から「けが人を保護し、駅員に引き継いだ」「運転再開に支障はない」との報告を受け取った際、中学生の保護が終わって安全な状態になったと誤判断、「新快速」については車両の最後尾が事故現場を通過しているため運行再開可能と判断してしまった
・駅員が携帯電話で指令に状況を伝えようとするも、携帯電話の扱いに不慣れ(推定)で、つながらなかった。
・特急「北近畿17号」の運転士と指令員との不正確な連絡で、指令員が「安全な場所で救助作業が行われている」と思い込み、「後続列車の通常運転に支障なし」と判断してしまった。
・駅員から指令員への報告で、けが人がいる場所が線路とフェンスの間であることを含んでいなかった。
・救急隊員は駅員から運転再開の状況を知らされていなかった。駅員は、救急隊員が警察官と話をしているのを見て、救急隊員は警察官から運行再開の状況を知らされたと勝手に思い込んでしまった。
・駅員が警官との会話に鉄道の専門用語を使ったため、正しく情報が伝わらなかった。
有罪
大阪府警察本部は、JR西日本に線路内の救助作業中の安全対策に重要な手落ちがあったものとみて、JR西日本本社を捜索、業務上過失致死傷の疑いで調査を開始した。
大阪府警は03年7月、業務上過失致死傷容疑で当時の新大阪総合指令所長ら7人を書類送検。
大阪地検は同年12月、指令所総括指令長ら5人を在宅起訴し、所長ら2人を不起訴とした。
05年1月の大阪地裁判決は、総括指令長ら2人に無罪を言い渡し、ほかの3人は「安全確認を怠った」と執行猶予付きの有罪(禁固1年6月―1年)とした。
現行法では企業の責任は問われない。
そして、当事者の刑罰がかるすぎるという意見が多い。
11日、JR西日本は、再発防止策で、輸送指令が現場の状況を詳細に把握した上で、現場責任者が警察、消防に運転の再開 を連絡するなど事故時の役割を明確化した。
指令所と現場責任者との連絡のため「連絡専用携帯電話」を各駅に配備
新たに定めた鉄道人身事故対処処理要領および鉄道人身事故対策標準を係員に配布し、教育・訓練を実施した。
定常に戻そうとする意識が、安全確保を疎かにしてしまった事故であった。
国土交通省鉄道局は、消防庁と連携して、全国の鉄軌道事業者に安全管理の徹底を通達した。
航空・鉄道事故調査委員会(鉄道部会)議決
委員長 佐藤淳造
委員 勝野良平
委員 佐藤泰生(部会長)
委員 中川聡子
委員 宮本昌幸
委員 山口浩一
https://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/2003-5-1.pdf
12月13日、全国消防長会近畿支部に所属する大阪、神戸、尼崎、姫路の各市消防局、高槻市消防本部など9消防機関とJR西日本、私鉄、大阪市交通局など9鉄道事業者による「鉄道事故安全対策調整委員会」設置され、初会合。軌道敷内での二次災害防止のための安全管理体制などを協議し、年度内に対策をまとめた。
この事故以降、JR線人身事故時の警察による現場検証などによる運転抑止時間が、安全確保を理由に、それまでの平均20 - 30分から平均1時間以上を要するようになりました。
後にJR福知山線脱線事故が発生した際、同社の運行管理体制のずさんさを指摘する例としてこの事故が報道などで再び取り上げられることにもなった。
■□■JR福知山線脱線事故
2005年4月25日午前9時19分頃、兵庫県尼崎市で西日本旅客鉄道株式会社(以下、JR西日本。事故当時の社長は山崎正夫(68)です)福知山線の快速電車207系7両編成がカーブを曲がりきれずに脱線して線路脇のマンションに衝突
福知山線上り快速列車が塚口駅を通過後、 尼崎駅に向かう途中の右カーブで転覆、脱線、
1両目はカーブの南東部に隣接していたマンションビルの駐車場に突っ込み大破、
外からは見えない状態の1両目は、救助隊にはしばらく気付かれず発見が遅れた。
2両目も同駐車場入り口の柱に叩きつけられて大破、マンションの過度に薄くなって貼り付く様な異様な光景が映し出された。
3、4両目は脱線して軌道から大きく外れ、5両目も脱線、
6、7両目は軌道に乗ったまま停止した。
事故の責任がある運転士は死亡した。極重悪人唯称仏
事故が発生したカーブは半径304m、制限速度70km/hであったところ、
事故列車は116km/hで進入し曲がりきれず転覆脱線した大事故であった。
運転士の高見隆二郎さんは、運転席でブ レーキレバーを握りしめたままお亡くなりになられていたそうです。南無
近畿大法学部1年(当時18歳)Yさんは、大破した先頭車両に乗車していましたが、奇跡的に生存しました。
107人が死亡
562人が重軽傷、心と体に重い後遺症を負う。
ミスを正直に報告できない?
事故後、JR西は乗務上のヒューマンエラーを懲戒対象から除外しました。
事故後、JR西がマンションを含む一帯の約7500平方メートルを買い取り、一部を保存して整備した。
遺族らの心情に配慮し、事故の痕跡が残る柱などがある北側の一角は一般の見学者が立ち入ることはできない。
事故から19年目
マンションの一部を残す形で整備された施設では、午前10時前から追悼慰霊式が行われ、
遺族や事故でけがをした人たち、それに、JR西日本の幹部などが参列しました。
追悼慰霊式が行われた「祈りの杜」では午後3時半から近くに住む人など一般の人たちによる献花が行われています。
南無阿弥陀仏