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割り切った究極の選択でいい。とにかく #選挙に行こう 。そして投票しよう。

 2019年7月21日、つまり本日に投開票される参院選だが、私は19日に期日前投票を済ませた。雨の日に、指定の投票所に行きたくないからだ。

 このところ、ぐずついた天気が続いている。梅雨はまだ明けていない。7月21日当日が雨でなくても、前日・前々日が雨なら、その影響が路面に残っているかもしれない。そして指定の投票所は、急坂の下にある。電動車椅子乗り15年目の私にとって、自分が加害者になる対人事故は、もっとも警戒すべきことの一つだ。落ち葉やゴミが雨に濡れているだけで、下り坂での車椅子のコントロールは難しくなる。そして選挙当日は、高齢者や乳幼児連れの親たちなど、ふだん、その界隈を出歩いているわけではない人々が多数訪れる。だから、なるべく避けたい。

 私自身の投票での選択については、それほど悩まない。選挙区の候補者は、「女性・概ね50歳前後以下」という単純な基準で絞り込み、数少ない選択肢の中から、「この人なら、半分くらいは過去や現在の自分を代表してくれると言える」という人を選んでいる。比例区の政党も同様に「半分くらいは自分を代表してくれると言えそうな人を国政の場に送り込んでくれそう」という基準で選んでいるのだが……名簿の上位にはオッサンが並んでいる政党が多くて……悩ましいけど……なんとか選ぶ。「比例区の投票用紙に個人名を書く」という選択肢はあるけれど、私自身は、あまり意味を感じていない。それよりも、各政党の「日頃の行い」、つまりオッサン優位を変えることの方が先だと思う。オッサン優位が変わったら、名簿上位のオッサン優位も変わる。「ここならいっか」と思える政党に投票すれば、「オッサン」ではない候補者が当選する確率が高まる。

 政治性の高いテーマを複数抱えているモノカキの私は、選挙での選択については、ぜんぜん意識高くない。
 まず、かつての自分のどこかを、国政の場で代表してくれる人に絞り込む。乳幼児や小学生やティーンやユースや、30代や40代や50代前半だった自分のどこかを、国政で代表してくれる人といえば、今回の参院選なら、まず「30~50歳前後の女性」となる。ここ数年の選挙では、年齢と性別で絞り込んだとき、1人や2人ではなく、3人や5人、都議選や区議選ではそれ以上が残ったりする。嬉しいことだ。
 次に、政策とそれまでの歩みを拝見。国会議員や地方議員としての前職がある場合には、その仕事ぶりも拝見。「この人はやめとく」という方は除外する。それでも、選挙区の候補者には迷うほどの選択肢が残る。
 そして、実はかなり「えい、やっ」で、「この人ならいっか」と思える候補者、あるいは「この人ならいっか」と思える人を当選させてくれそうな政党を選ぶ。

 熟慮して選択したって、熟慮エネルギーが国政に反映されるとは限らない。そこにエネルギーを注ぐのは、ほどほどにしたい。

 なんといっても、投票しないと投票率が下がる。私一人だけが投票したって、投票率はほぼ変わらない。でも、投票しないという行動は、「私、もうどうでもいい。煮るなり焼くなり勝手にして」という宣言をしているのと同じだ。わざわざ、そんな宣言をしたい人はいないだろう。しかし選挙の場合、わざわざ「投票する」という行動をして、「私のことを政治がどうしてもかまわない」というデフォルト宣言を打ち消さなくてはならない。面倒くさいけど、参加しない民主主義には意味がないので、そういう仕組みが作られている。

 そんなわけで、まだ投票してない有権者の皆さん。
 今日は投票に行きましょう。
 顔で選んでも名前で選んでも、選挙公報の上で鉛筆を転がして選んでもいい。投票しないより、誰かに投票することのほうが、間違いなくマシなんだから。

 さて今回、期日前投票を終えて会場から出たら、NHKの出口調査に協力する巡り合わせとなった。そして「は? なに? これ?」と驚いたのだが、その件は別記事にする。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。