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京アニ放火事件→取材する報道関係者の皆さんにご留意いただきたいことがら

 京アニ放火事件は、容疑者サイドに限っても、不十分な教育・不安定就労・精神疾患(もしかすると精神障害)・刑事司法・いわゆる触法精神障害者処遇・刑余者(刑務所出所者)に対する支援・地域生活・地域生活における医療など、考えるべき要因が非常に多く、取材や報道に関わる方々には困難の数々があると拝察します。ついでに、容疑者と呼んでよいのかどうかも、現時点では微妙なんですよね。逮捕状は出てますが、逮捕されてませんから。負傷していなければ現行犯逮捕されているはずであり、回復すれば間違いなく逮捕されるであろうということから、私も自分の記事で「容疑者」としています。モヤッとしながら。

 私は自分自身が障害者なので、障害者自身の状況、障害者に関する法や制度やそれらの歴史と現状と問題点には、自動的に、素人ではなくなっています。しかも現在、大学院で研究しているテーマと著述業の柱の一つは、日本の社会保障政策に関する行政・財政の意思決定です。したがって、基礎知識と背景については、最初から有利な立場にあります。それでも、この事件を自分ひとりでカバーするのは無理でしょう。しかも、日本の社会保障界隈には、報道しなくてはならないテーマが数多くひしめいており、京アニ放火事件に専念するわけにはいきません。

 メディア企業に勤務、あるいはメディア企業と契約を結んでいるお立場で、あらゆるテーマに1日2日3日で詳しくなりつつ取材と報道を行わなくてはならない方々は、組織力のもとで動くことができます。ニーズがある限り、取材は続けられるでしょう。しかし、今回の容疑者に関連した課題の全部を短期間で「ざっくり」でも理解するのは、そんなに容易ではないだろうと拝察します。

 というわけで、主にメディアの方々に向けて、考慮していただきたいことがらを列挙します。

生育環境

父親が既に他界していること、家庭環境に問題なしとは言えなかった可能性などが、既に報道されています。いずれにしても生育過程において、容疑者は、適切な環境のもとで愛情と関心を注がれて育つべき子どもでした。その機会を失っていたとしても、断じて、本人に責任はありません。不用意に、生育環境や家族の状況を今回の事件と結びつけると、現在、被虐待・不適切な養育・社会的養護などの環境にある子どもたち、および、そういう育ち方をせざるを得なかった大人たちが、深く傷つくことになります。

不十分な教育

 中学までの義務教育で影が薄かったようす、高校は夜間部に進学していたこと、高校以後の教育は受けていない可能性が、既に報道されています。当時の高校進学率や高校夜間部の状況は、考慮する必要があります。
 容疑者は1978年生まれと報道されていますから、18歳の時が1996年、19歳の時が1997年になります。高校夜間部は通常は4年制、3年で卒業できる場合もある単位制定時制は、当時はなかったのでは。
 学力その他の困難を抱えた生徒さんが集まりやすい高校のサポート体制は、時期によっても自治体によっても学校によっても異なります。保健室を充実させて卒業までの歩みを支える高校もあれば、「もう義務教育じゃないから」と冷たく突き放す高校もあります。
 容疑者の通った高校が実際にどうだったのかは、注意すべき点の一つです。「教育から社会への接続がどうだったのか」という、重要な、人生を変える可能性の高い部分です。

不安定な就労状況

 容疑者は1978年生まれと報道されていますから、19歳(高校夜間部は通常は4年制。3年で卒業できる単位制定時制高校は、当時存在したかどうか)のときに1997年、就職氷河期の真っ只中です。不況期の就職の難しさは「大卒<高卒<中卒」です。高卒の求人は激減、中卒はほぼ皆無になっていたのではないでしょうか。しかも、就職できてもブラック労働がまかり通りはじめていた時期です。「ふつうに、正社員になりにくかった」「ふつうに、就労継続が難しかった」という可能性は、大いに考えられます。

精神疾患と治療

 容疑者の過去のエピソードは、数多く報道されています。私は、「若年で何らかの精神疾患を抱えていた可能性は伺われるかも」という印象は受けています。しかし、そうであるとして、治療を受けることは可能だったのでしょうか? 
 就労が不安定で低収入だと、受診や通院継続のハードルは高かったはずです。健保の自費負担分は支払う必要がありますから。もし、社会保険完備ではない職場にいるのなら、国民健康保険料を支払わなくてはなりません。支払えないと資格証や無保険状態になり、ますます受診は難しくなります。「無料低額医療を利用できるように助けてもらう」という選択肢はありましたが、知らなかった、あるいは知っていたけれども使えなかったのなら、存在しなかったのと同じです。
 また、「医療にはつながれたけれども、適切な治療が受けられなかった」という可能性もあります。「医者がヤ○だったので、せっかく本人が治療を受ける気になってたのに……」という成り行きだった可能性も、大いに考えられるところです。

もしかすると精神障害?

 事件の翌日あたりから、生活保護で暮らしていたこと、さらに訪問看護を利用していることが報道されていました。
 生活保護ならケースワーカーがいます。生活保護の原則の一つに、「他法他施策優先(他に使える制度があるなら、そちらを使いましょう)」があります。精神障害者保健福祉手帳の対象となる状態なら、当然、ケースワーカーが介入して手帳を取得させ、生活保護と障害者福祉の両方に存在する制度なら、障害者福祉の方を利用しているでしょう。精神障害なら、障害者総合支援法と精神保健福祉法の両方が使えます。医療については、自立支援医療があります。適用されていた可能性のある制度は、同じ内容のサービスであっても多数ありますので、整理されてから、あるいは信頼できる現役の社会福祉士(変化が速いので)に確認してから取材されることをお勧めします。

刑事司法

 過去の犯罪歴において、容疑者は医療観察法を適用されていません。医療観察制度施行は2005年です。逮捕されてから精神障害の可能性が判明した場合の扱いは、医療観察制度施行前と後で全く異なります
 ともあれ、2012年のコンビニ強盗では実刑判決を受けていますから、責任能力に関する問題はないと判断されたのでしょう。すると、通常の刑事司法手続き一択です。

刑務所での治療

 刑務所の中では、精神科を含めて治療を受けることが可能です。しかし刑務所にはそもそも、充分な数の医師がいない状態が長く続きました。2015年以後、刑務医官になる医師を増やすために大胆な制度改革が行われ、人数は増えていますが、常勤医は増えていないようです。「その刑務所には、常勤の精神科医はいなかった」ということも考えられます。しかも、「いれば何でもよかった」「治療されてればよかった」と言い切れるわけではありません。いずれにしても、医療を受ける機会が充分に保障されていたかどうかは、注意する必要があるポイントの一つです。

刑余者(刑務所出所者)に対する支援

 容疑者はコンビニ強盗での服役後、更生保護施設で生活し、その後でアパートへと転居したと報道されています。出所は2015年か2016年でしょうか。その時期だと、刑務所を出所した後にまた刑務所に戻ってくる人々の課題が認識されており、「いきなりシャバに放り出す」ということはなくなっていました。ただ、「シャバの居場所が、ある程度は確保されている状態で出所」するための試行錯誤には、それほど長い歴史があるわけではありません。万全万能であることは、期待のしようがありません。とりあえず、「それは何なのか」と現状が、世の中に全く知られていません

地域生活

 容疑者は生活保護のもとで暮らしていたということなので、前述のとおり、カネやモノによる支援とケースワーカーによる人的支援がセットです。生活保護法は全国共通の制度ですが、実際の運用のありかたには、福祉事務所ごと(「生活援護課」など別の呼称もありますが、法的には「福祉事務所」のみ)に、大きな違いがあります。埼玉県・さいたま市・さいたま市○区の事情は、それぞれ異なる可能性があります。「さいたま市本庁に聞いたから、いいや」では済まないということです。というわけで、生活保護が関係する取材って、大変なんです。一緒に頑張ってくださいませんか。

地域生活における医療など

 前述しましたが、通常の医療(ただし生活保護の医療扶助に基づく)・障害者を対象とした医療・精神障害者を対象とした医療の全部がセットになりえます。どれに基づいて何が提供されていたのかは、結構重要なポイントです。
 利用していたと伝えられる「訪問看護」については、「もしかしたらACTかな」と思っています。「ACTって何?」という方は、調べてみてくださいね。ネットで、すぐ見つかりますから。
 とりあえず、ACTは「在宅で通院」「入院」のどちらか以外の選択肢を提示し、現実にしました。それ以外の訪問看護でも、そうでしょう。別に悪いことではないのですが、問題は、当事者にとっての使い心地です。自分の住まいに、医療がどやどやと踏み込んでくるわけですから、それだけで「自分の住まいは、自分が安心していられる場所」という感覚が損なわれる可能性は、大いに考えられます。医療者サイドがどれだけ注意しても、これは「医療だから」という宿命的な問題なのです。「精神科の訪問看護や訪問医療のせいで、病状が悪化したり落ち着いていられなくなった」という話は、当事者から数多く語られています。公開の場でも語られていますから、探してみてください。
 容疑者に提供されていた訪問看護が、悪い意味で刺激的な内容でなかったかどうかは、大いに注意する必要があると思います。

法的責任能力→「ない」ことがヘン、だけど?

 逮捕されて取り調べが行われる段階になると、責任能力に関する精神鑑定が行われるでしょう。日本の場合、心神喪失や心神耗弱によって「責任能力がないとされた場合の扱いが、長らく、激しい議論の対象になってきました。
 しかし2014年、日本は国連障害者権利条約の締結国になりました。この条約のもとでは、障害者を責任能力のない状態に置くことが禁止されています(ですので、日本の成年後見制度は条約に違反しています)。条約は、日本の「心神喪失」「心神耗弱」に当たる状態の場合、本人が充分な情報を得て自ら意思決定できるように支援することを求めています。間違っても、本人を監視してコントロールする内容の「支援」ではありません。しかし日本政府には、実際に条約違反にならない支援を整備する意欲は、今のところ全然ないようです。

おまけ:実名か匿名か

「精神疾患の可能性があるから、本人の人権を守るために匿名報道で」という考え方を、私は取りません。「精神疾患をもつ本人の人権を守るための匿名報道」という考え方は、「心神耗弱や心神喪失だったら法的責任能力がないから」ということです。言い換えれば、一定条件のもとで、大人に「あなたは子どもだ」と言っているようなものです。大人を、未成年で法的に責任能力がない子どもと同じ扱いをすることの、どこが「人権を守る」ことになっているのでしょうか。それは人権侵害ではないでしょうか?

 しかしながら、私は自分の記事で、既に実名報道されている容疑者を匿名にしました。その固有名詞には意味がない、と考えたからです。

 以上、何かのお役に立てば幸いです。
 日本の報道に存在価値を認めていただき、この道でゴハンを食べ続けるために、共にふんばりましょう。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。