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私は、差別されるのがイヤ。だから、差別反対。

私は中途障害者になって、障害者運動にコミットせざるを得なくなった。それまでは、学業と職業でバリバリの競争社会の中を生きてきた健常者で、むしろ「女の子だから」「女だから」競争への参加や努力を妨げられることが苦痛だった。それ以後は、「障害者だから」を理由としてなにか言われることが、実は苦痛だ。「前向き」と評されることや、「前向き」が好ましい評価として使われることだって。それらは障害者を称賛するのに使われる決まり文句で、使われた瞬間に、「前向き」ではない障害者を排除する言葉になるからだ。使う側は、そこまで考えないから使える。

競争に参加して、結果を出そうと必死になったことがある人は、一度は「健全な競争とは」「ここで自分が勝つことは正義なのか」と考えたことがあるだろう。中学入試や高校入試や大学入試の段階で、「参加できる」という特権に気づく可能性もある。学ぶことができる環境、努力すれば学力を高められる身体と心は、少しくらいは自分の努力で獲得したものかもしれない。でも、それだけで獲得できたわけがない。そもそも「今、自分が試験会場にいる」ということだって、奇跡のようなものではないか。「親の反対で受験できない」「出願したが、親の反対で試験会場に行けない」という事態は、私が高校生だった1980年前後には、特に珍しいものではなかった。私自身も経験している。

たとえば大学入試で、自分が合格したら、受験したことや合格したこと、その後の大学生活があることそのものが(内容がどのようなものであっても)、獲得できるかもしれないのに獲得できなかった人を傷つける。いかに競争自体がフェアであろうが、いかに自分が努力したのであろうが、だ。結果がノーベル賞やオリンピック出場ほど飛び抜けていたら、その人々は「傷つけられた」とは思わないのかもしれないが。

まずは、多くの人々に思い当たるフシがあるジェンダー問題から、どういうことなのかをご理解いただければと思う。

私自身は未だに、1982年の元旦、伯父に「女の子は短大でよかろうもん(いいだろう)」と言われたことを忘れられない。私は元旦から模試を受け、その後母親の実家に立ち寄ったのだった。一日、模試を受けて疲れて(ちなみに翌日も模試)、母親の実家で催されている新年祝いに参加したら、伯父にそう言われた。そこにいた大人たちのほとんどが笑った。自分の両親も頷いて笑った。その時の、全身の血が逆流する思いは、今でも思い出せる。

私は結局、そういう周囲の大人たちの「かくあるべき」を振り切って進学できた。スムーズに振り切れたわけではないし、今でもその悪影響を引きずっているけれども、とにもかくにも「親の喜ばない大学進学」という意味では振り切れた。でも、そのこと自体が、本人の学力と家庭の経済力がありながら、「女の子だから短大」を強制された同世代の人々の「自分が不十分だったのかも」という思いを刺激する。

高校の同級生から、「東京の大学で遊べていいねえ」と悪意をぶつけられることが何回かあった。私は昼間は研究所で働き、夜間は大学で学んでいた。理学部物理学科だから、もちろん、ガッツリと演習・実験・レポートなどがある。ろくに寝ず、夜中にバンド活動をやったりはしていたのだが、これが「遊べる学生生活」「東京の楽しいキャンパスライフ」であるわけがない。そのことは、高校の同級生らに何回も話した。私がどんな必死の抵抗で進学を獲得したのかも話した。しかし、「いいねえ」はエスカレートするばかりだった。それが一つの原因で、私は出身地の福岡に近寄らなくなっていった。

今になってみれば、私に「いいねえ」をぶつけた元同級生たちは、自分が理不尽な羨望を抱いている自覚があったのかもしれない。でも、「いいねえ」という羨望の対象にされるようなものでもない私の学生生活とは、言い換えれば、さらなる努力と向上、もしかすると上昇の機会に恵まれているということだ。私が必死に親を振り切ったという事実は、その同級生が「自分はそこまでやらなかった」ということだ。「いいねえ」が止まるわけはない。言われれば言われるほど、私の中には理不尽感が鬱積していく。でも、それを訴えても、「恵まれてるんだから」と理由になっていないことを言われるだけだった。まあ、いいや。もう二度と会わないだろうから。

ジェンダーが問題でなくなるということ、あるいはフェミニズムの到達目標を、私は「自分の性によって損する人がいない」ということだと理解している。その時、「女になんて生まれたくなかった」も「男はつらいよ」も「男だって辛いんだよ」もなくなっている。女と男に区分されないLGBTQの人々(自分自身がそうではないので、実感を伴った理解は難しいけれど)の同様の、あるいはさらに激しい、あるいはさらに複雑な鬱積もなくなっている。その状況を実現させることは、「自分の性によって損する人がいない」という最終的な目標が実現する途中のどこかにあるマイルストーンだろう。

すべての性の平等を実現することは社会正義だが、「実現されなくては」という思いや望みは、個人レベルの経験、しばしば、極めて下らないとされる経験の数々によって抱かれるのではないだろうか。

私は、「女だからといって損したくない」という認識を、極めて重要だと思っている。自分に与えられない機会への悔しさ、自分から奪われてゆく可能性に対する怒りがあるからこそ、「他の人が同じ目に遭うのはイヤだ」と思えるのではないだろうか。自分が同じ目に遭う可能性がなくなるとき、少なくとも、自分に似た人が同じ目に遭う可能性も減るはずだ。それだけなら「”名誉白人”ならぬ”名誉男性”化に成功するグループがいる」ということにしかならないかもしれない。しかし、「自分はそうなれましたけど、何か?」とニッコリしていられる”名誉男性”の女性は、いても極めて少数ではないだろうか。

いずれにしても、数が増えればバリエーションも生まれる。たとえば女性政治家は、国政から地方議会まであらゆるところに40%いるのが当然になれば、極右から極左までどこにも女性がいることになるだろう。だから、まずは数を増やし、バリエーションを生み出すことが課題ということになる。そこでモノを言うのは、「未だ、女だからという理由でいろいろあるけど、そこに出ていけないほどの大損はしてない」という状況、そのために必要なのは、やはり「女だからといって損したくない」「わが娘には、女だからといって損させたくない」などなど、理屈も正義も無関係で、脊椎反射に近く直感的で感情的かもしれないが、その人自身の「生き物」としての正しい思いであるはずだ。

学力での競争や学問は、女性であることが、比較的、ハンデになりにくいのではないだろうか(これでも)。舞台に乗ってしまえば、一定のフェアネスが担保される。通常の義務教育での学びとの連続性があるから、参入もしやすい。

もともと、女だからといって諦めなくてはならないものは、何もないはずだ。たとえば男らしい格闘技も、男がするものと思われてきたスポーツも。男のように暴力をふるうことも、男よりも口汚く誰かを罵ることも。あるいは仕事で男以上の実績を挙げることも、男社会の権力抗争に勝利して企業のトップに上り詰めることも。もちろん性差別に屈しないことも、社会正義を求めることも。ここでは、通常は同列に並べるべきではないとされるものを、敢えて同列に並べた。暴力や罵倒は、女性が行えば「女なのに」「女のくせに」となりがちだが、でも、女だから悪いのではなく、暴力や罵倒が悪なのだ。女性が仕事で実績を挙げたり出世したりすることが悪なのなら、男性にも止めてもらいましょう。「女性だから悪」といえる合理的な理由はないし。このようなことを言うと、「女のくせに」と言われるから、さらにきつい声と口調で「女だから悪いんじゃないんでしょうが!」と言い返せばいいんです。おとなしくなったら終わり。「女のくせに」の目的は、黙らせることだから。

もっとも、このような認識は、今は性別と無関係に、少なからぬ人々に共有されているだろう。

それでは、ここまでの話を、ジェンダー問題やフェミニズムと比べれば知られていない障害者運動に当てはめてみよう。

障害者の世界と障害者運動は、実はジェンダー問題やフェミニズムと比べ物にならない複雑さを持っている。「教育を受ける」「働く」といったこと一つとっても、時期による差や経緯や個々人の状況による影響が大きく、単純に語れない。

たとえば昨年、官公庁による障害者雇用のごまかしが明らかになったが、「ごまかし」になったのは、障害者雇用率が定められて割当率が定められているからだ。現在の焦点は、昨年のスキャンダルを受けて是正されるであろう障害者枠での採用が本当に「フェア」と呼べるものになるかどうか(おそらくならない)。とにかく障害者雇用率が設定されており、採用に障害者枠があるから、「障害者枠では、ごまかさずに障害者を採用せよ」という話になる。

でも1950年代や60年代、わずかに存在した障害ある大学生たちは、就職にあたって健常者と同じ条件で選考された。国連障害者権利条約を日本が批准した2014年以後、このような選考は「合理的差別を欠く」ということになっているのだが、当時の障害学生たちにとっては、「健常者と同じ条件で選考されて採用された」ということが、その後の職業継続の大きなよりどころとなったようである。本人も引け目を感じなくてよいし、周囲もまあまあ納得するし、ということだったようだ。

昨年の官公庁のゴマカシ以来、障害者の就労がちょっと気になり、たまに調べている。すると、半世紀以上前の「本来なら必要なはずの配慮を含めて、採用の選考で健常者と違う扱いをしてもらいたくなかった」という当事者の話が出てきたりする。採用にあたって望ましいとされる採用の在り方は、マイノリティの場合、半世紀といった時間で激変するのだ。もちろん変わる必要があって変わったのだが、健常者サイドは変わっていない。マジョリティであることは変わっていないから、「マジョリティ枠」をわざわざ作る必要がなく、マジョリティの採用に関する何かを新規に作る必要がないだけだ。しかし、障害者の世界と健常者の世界には、就労に関する前提が「変わった」「変わらなかった」という違いがある。障害者の世界では、好ましい方向に変わった。すると、障害者の間で話が通じにくくなった。就労に限らず、こんなことは日常茶飯事だ。

障害者たちは、経験や、経験にまつわる思いを共有しにくい。そもそも、身体や精神や知的能力だけでも、幅広く個別性が高い。共有できる最大公約数は、「障害者の人権を侵害するな」「障害者福祉や社会保障の縮小には反対」程度。その一点だけで合意できるのなら、ネオリベと社会主義者だって協力できる、はず。

ここで「はず」としたのは、そうも言っていられない事態が、ここ5~10年で急激に進行しているからだ。

良し悪しは別として、大義のもとに共闘した経験を持っていたり、あるいは綱領からブレイクダウンして今日明日の振る舞いを決めるような方法に馴染んできた世代が、1960年代後半以後、日本の障害者運動を牽引してきた。いわゆる団塊世代だ。高齢化に伴って、一線を退く人々や、亡くなる人々も増えてきた。

団塊世代以前の障害者たちは、事実として、障害ゆえに諦めさせられることが多すぎた。世間的な欲望は、抱きたくても抱けないことが多かった。彼ら彼女らは、その前提のもとに、障害者運動を担ってきた。

その成果として、「障害児・障害者だから諦める」という場面は減少してきた。1979年には養護教育が義務化され、障害児を含むすべての児童に義務教育の権利が保障された。障害児が通常の小学校に入れるようになったわけではなく、養護学校に隔離されたわけで、そのことがもたらした問題も多大なのだが、とにかく1973年以後に生まれた障害者には義務教育の機会もあった。言い換えれば、現在47歳以上の障害者で、生まれながら、あるいは幼少時に障害児になった人々は、義務教育も受けていない可能性があり、かなり、そのとおりだ。

ともあれ現在、障害児は「ふつう」に義務教育が受けられる。高校や大学に進学する可能性も開けている。現在も、障害のある大学等の学生比率は1%に達しないが、就労の可能性は全体として高まっており、職業人としての発展も望みやすくなっている。もちろん、これは「障害者の昔」と比べての話で、健常者と比較すれば、まだ、まだまだ、まだまだまだ、問題だらけだ。

障害者は名目上、障害者らしさに閉じ込められている必要がなくなった。名目上、健常者同等に競争に参加できるようになりつつあり、それが望まれてもいる。このことは、手放しで喜べない。「だったら社会保障も福祉も不要なはず」とされがちだ。また2000年以後、制度は「稼げない障害者は自己責任だから、知ーらないっ」という方向にシフトしつつある。とにもかくにも、健常者並みに汚れちまった大人になる権利は、障害者にもともとあったはずだ。その権利が、おおっぴらに開かれようとしている。

試合に出て勝ちたい、舞台に立って(座ってても寝ててもいいけど)結果を出したい、あるいは、権力抗争に参加して勝ってトップにのぼり詰めたい。これらは、健常者だからといって全員が持つ欲求ではない。しかし「障害者だから持ってはいけない」と言える合理的理由はないはずだ。

障害者にも荒ぶる性(さが)があり、時に暴力的な指向性があり、権力欲も金銭欲も、あの欲もこの欲も、フツーにある。それで当たり前なのだが、これまでの障害者運動は、そういった願望が存在すること、存在する以上は実現を求めてドス黒く動きはじめて当然であるということを、充分に折り込んでこなかった。少なくとも私には、そう見える。

そして現在、必然的な世代交代の中で目立ちはじめているのは、あまりにもアッケラカンとした欲の表明と(少しくらいは美辞麗句で隠される場合もあるが)、「欲のままに独占して何が悪い」と言わんばかりの行動だ。

現在のところ、目立った反対や抑止力はない。まるで大開拓時代の米国だ。丸腰と銃刀の勝負は、最初からついている。そして、ネイティヴ・アメリカンは殺戮され、抵抗しない野生動物は絶滅に追い込まれた。でも、「有力な抵抗がなかったから」という理由で、いつまでも”したい放題”が野放しにされるわけはない。いつかどこかから、その人々の思いもよらない反撃が来るかもしれない。なにしろ、彼ら彼女らは、障害者の世界から出てしまっている。今のところは、境界にいて「良いところ取り」が出来ているのかもしれないが、その状況がいつまでも続くとは思えない。いずれにしても、将来は、障害者の世界の「これまで」から予測できることではない。スケールも構造も変わってしまうから。

障害者運動の「中」を10年以上見ていて痛感するのは、障害者であろうがなんだろうが人間として持っていて当然の、汚らしい志向や感情、言い換えれば生き物の自然を、「ないこと」「あるべきではないもの」としてきたゆえの限界だ。

遅すぎるかも知れないが、価値観と現状、価値観と「生き物の自然」の差を意識することが、必要ではないだろうか。

障害者運動のこれまでの価値観は、決して全面否定されるわけでもなければ、単に「時代遅れ」として捨てられるわけでもない。人が人であるゆえの普遍性のもとに生まれ、普遍性があるから大切にされてきた。そして、一定の成果につながり、現在がある。ただ、今の課題は、「生き物」である以上は持っている直視したくない汚らしさや、汚らしいパワーの取扱いであるように思われる。

障害者でも教育を受けられ、就職でき、社会的上昇の入り口に立てるようになったら、上昇の階段を上り詰めたい人や、「奪えるならば果てしなく奪う、奪う奪う」という方向に走る人々も、当然、現れるだろう。というより現れているのだが、「それ自体は悪ではないのでは?」と思う。私の趣味ではないけれども、一定確率で現れる人々だ。母数が増えれば、出現も増える。

障害者を支配する特権階級障害者、いわば「名誉健常者」のようなものになりたい人々は、時に現れる。範囲と規模を問わなければ、人がいれば必ず起こること。100年前、その時期の小さな「障害者ムラ」の中でボチボチ起こっていたことが、範囲と規模と形態を変えて、現在も起こっているだけだ。もちろん、今後もそうだろう。

少なくとも、このことを前提に物事を組み立て直す必要がある。そうしなければ、「幻想と現実が闘ったら、幻想が必ず負ける」という、そうなるしかない成り行きになるだけだ。現在は、そういう彼ら彼女らを取扱えるようになることや「傾向と対策」のようなものが必要であるはずなのだが、まったく不十分であるように思われる。

とりあえず、私は今日も明日も言い続けるだろう。「私が差別されるのはイヤ。だから、差別反対」と。「私が差別されるのはイヤ」という、私自身にとって間違いようのない事実から、私は毎日一歩を踏み出そうと思う。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。