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自由律 #09

肝心の時に内カメラ

右隣の右端の席が空いたもう一駅

くしゃみをするためにカップを置く

靴を入れてた箱と暮らす

心なしか海老も小さい


先日久しぶりに実家に帰り、両親と一緒に回転寿司に行った。その日は父の誕生日だった。
都合により上の兄弟二人は帰ってこれなかったため、私だけが一緒に行くことになった。両親の誕生日に何か良いものをご馳走する、ということができればいいのだが、まだ父は退職していないし、めちゃくちゃ収入があるし、金のない学生の息子に何ができるというのか、いや何もできまい、ということで、客観的な現象としては、ただタダ飯を食べに行くという形になった。しかし、単純に父に久しぶりに会えたのは嬉しかったし、父もそう思ってくれたら良いと思った。

昔家族でよく行っていた回転寿司店に父が行きたいと言い、母の運転で到着した。久しぶりに来た回転寿司は寿司が回転していなかった。衛生面でのことなのだろう。タブレットで寿司を注文し、注文された寿司がレーンに乗ってすぐにやってくる。効率化された合理的な提供方法だからお客さんの多くも満足しているのだろうが、色々な寿司が常に回転していてテーマパーク的なワクワク感のあった昔の回転寿司の風景がいつの間にか失われてしまっていることにどことなく寂しさを覚えた。

注文した寿司が席にやってきたので取る。すると母が「小さくなったね〜」と冗談混じりに言った。私も同じことを思ったし、父もそうに違いない。明らかにサイズが小さくなっている。刺身もシャリも小さい。

私が好きな海老が来た。心なしか海老も小さい。

どういうことだ。

刺身は人間が調理の段階で調整できるから小さくすることができるのは分かる。しかし、一匹の開きで提供される海老のサイズが小さくなっているのは調理でどうこうできる問題ではない。

回転寿司屋のシャリが小さくなったと聞きつけた海老たちが、気を利かせて自分たちの成長を途中でストップさせるようになったのだろうか。

そんな想像をしてそれを言葉にしてみたら両親が笑った。

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