見出し画像

今日のグラタンコロッケ、7年前の曇り日

今日は雲ひとつないくらいすっきりとした快晴でおさんぽ日和、いやお洗濯日和かな。雪が解けてきて、春の香りがプンプン香る、うきうきしそうな昼下がり。昨日は楽しかったとかアニメ見ようとか呑気に考えてた。

父は出張でいない。母は忙しなく階段を行き来している足音が聞こえる。

今日は日曜。お昼前まで寝ていてスマホを見ると友達のラインやらツイッターの通知が。充電していなかったので19% ロック解除してツイッターのタイムラインを見た。今日という日は「3.11」東日本大震災から7年。

わかっていたけど重く少し痛む足をベッドから引きずり下ろした。

朝ごはん(もうすでに昼)はグラタンコロッケえび風味、とご飯。

その日沿岸の方にいたら、もしかしたら今日のグラタンコロッケを食べられなかったかもしれない、とかもういろいろ考えてしまった。

8年前の朝、小5、11才の私はなにを食べて学校へ向かったのか。

その日は曇っていてまだ肌寒かった。いつものスクールバスへ少し曲がったランドセルを背負って、たぶんギリギリで家の目の前のバス停へダッシュしたと思う。たぶんその日の私は今夜のアニメ楽しみだなとか、友達が「今日、大地震おきたらどうする?」「いやまさか!」って話してた。(これほんと実話)

卒業式練習をしていた。寒い体育館の中、「寒いし、さっさと終わらせようよ、帰ってゲームしてぇ」とか鼻くそほじりながら考えていただろう。

そのときの瞬間を、途切れ途切れのビデオのように記憶が鮮明に残っている。

一瞬、気のせいか音が途切れその場が無音につつまれた気がした。

外は曇り。地面から硬い岩をつきあげるように地鳴りがしたあと、座っているイスが、天井の大きな照明がブラブラ、今にも落ちそうに激しく揺れだした。

そのときの瞬間はなにが起こったかわからず、記憶はコマ切れのようにある。

5分ほど経つと揺れは収まるが、パニックは収まらない。泣き出す子や、慌てる先生たち。私はただいうとおりにその場に座り、人はいざといいうときなにもできないのだと感じた。

そしてさっきまで呑気なことを考えていられず、家族や東京にいる1番目の兄は無事かとかいろいろ忙しく考え出した。校庭に避難し、友達と呑気にふざけていたら父が迎えにきた。忙しなく地震のラジオが聞こえる。

そのご家につくと2番目の兄、母、祖父母と一家集合し、祖父が自家発電を取り出しテレビがついた。すると見たことのないであろう戦慄な映像ともいえる光景が視界に入ってきた。

流れていく家や、騒然と叫ぶ人達、泣き叫ぶ子供たち。

なんにもいえなかった。ただただ終始、心臓を誰かにえぐられ潰されそうなほど痛い。そこでいったん記憶のビデオテープはフェードアウト。

その後もいろんなことがあった。けど話が長くなるのでテープは再生しない。

7年。短いようで長い。あっという間だけどいろんなことがあって、世の中も大きく変わった。

自分の中で変わったことといえば、祖父は今寝たきり、もう少しで18才ということだろうか。なんだか時間だけが食べるように早く、自分自身の心の中は変わってないなとつくづく思う。

私が今なにができるかといえば、被災された方、亡くなった方にむけて哀悼の意とともに祈ること。それしかできない。ボランティアは去年、学校で行った。

2011年3月11日 その日なにも起きず普通の日だったら、今日なにをしてなにを考えていたのか。この差は大きいのかな。神様に人間たちは襟を正すべきだと言われているのかな、なんて思ったりする。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?