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理想の人生は忘れた頃にやって来る

人の判断基準について

仕事での成功法。私が再現性高く伝えられるのは人生の目的論。努力じゃ夢中には勝てないからね。仕事がうまく行けばプライベートもうまくいくというか、変化していく。相互依存の関係じゃないかな。「仕事とプライベートを分ける」という考え方は、「仕事とプライベートにメリハリをつける」と考えたほうが良いと思う。働く時は働く。遊ぶ時は遊ぶ。そして片方の変化をもう片方に持ち込む。

一方で、最近考えていること。それは人生のテーマというか、判断基準のこと。私の場合は自由だ。できるだけ自由でいたい。人生のいろいろなフェーズで、「これだ!」と判断するとき。それは「より、自由だ」を選んでいた気がする。

会社に行くのは嫌だった。だから数字をあげていれば良い営業担当は天職だった。昼休みにみんなでパチンコに行って夕方まで帰ってこなかった。平日ゴルフは毎週だった。有給休暇の申請なんて出すわけがない。オレは個人予算の10倍やれる男だ。

管理職になると座っている事が仕事だし、部下や周りにドンドン予定を入れられるのが窮屈だった。私は自由でいたかった。でも俺しかいないと思って管理職になった。社会人4年目だ。

そう、25歳で管理職になるとその印象は違った。もちろん拘束される時間はある。一方で、会社を自由に使えるようになった。新聞の全面広告に1億円をつかう事もあった。営業、プリセールス(技術寄りの営業)、ビジネス・コンサルの部門を統括した。売り方からコンサルの方法論まで自分で変える自由を手に入れた。

結婚もした。しかしこれは自由とは程遠いものだった。2度目は子供ができたから結婚をした。自由を捨ててでも子供は持つべきだと思う。それくらい子供はいい。2度目の離婚もしたので結婚はダメだ。

サラリーマンを辞める40歳のタイミングでは、いろいろなお話を頂いていた。ある日本の子会社の代表取締役社長。日本の会社の米国支社長など。もちろん先方からの声がけレベル。なぜその声がけをされたかというと、「辞めて自由に生きる」と私から言ったから。相手はサラリーマン経営者だから、「そんなのもったいない!是非ウチの会社で!」となる。しかし、そもそも私はサラリーマンとして、自分が行きたかった高みに到達できなかった人間だ。お前らの下では働きたくない。しかし同時に失敗者とは思わない。なぜならオレは挑戦したから。そのへんはこのNoteに書いた↓

自由以外の価値観ってあるんだろうな

つまり、私は常に自由でいられる事を選んできた。今でも予定を入れることを嫌う。人とも約束したくない。でも人とバカ話するのは大好き。「今から飲みいかない?」って相手に困らなかった六本木時代が懐かしい。

世の中の人は可能であれば自由でいたいのか?

それとも縛られていた方が良いのか?

自由を捨ててでも、他者から褒められて生きていきたいのか?

かれこれ2年くらい…これについて考えている。まだシックリくるものがない。マズローの欲求5段解説とはまた別の考え方。Maturity(成熟度?)のステージ論ではなく、「違い」について。

ガイドだけでも提示をしたい。自由と不自由では違う。金か名誉でも違う。4象限で考えると簡単だ。でも4象限は詭弁きべん。3つが良い。そのためにはどんな自由か?とくくるべき。私は自由を広めていきたいからだ。自由であることに取り憑かれた人生だからこそ出てくるものがあるんじゃないか?そこまでは来ている。

まだ考えたい

終わりは決めずに自由に

最後に…

大学時代に理想の人生を思い描いた。
この前亡くなった立花隆さん。私は彼に憧れていた。絶対権力の田中角栄をペンの力で葬った男。彼は文京区の猫ビルだった。そこで本に埋もれて執筆活動をされていた。好きなことで世の中にインパクトを与えていた。カッコよかった。

私は湖のほとりで作家として生きていく。そうしたらどんなに幸せだろうと思っていた。国語の偏差値が28だった私が考えて良い事ではなかった。だからすぐに忘れていた。

25年後…湖が海になったが、自分が忘れていた理想の人生が手に入っていた。家が建ったら、ここで農協解体論の本でも書こうかと思っている。立花隆に憧れた大学生の頃に気持ちが戻ればできそうだ。

※その場所がこのNoteのカバー写真(撮影は今日2022年7月6日)

※今日その場所でBBQをやりました。その模様がこちら(2023年9月27日)↓

愛媛県愛南町 室手海岸

おわり

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