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赤の他人に「このままだと子ども部屋おばさんになりますよ」といわれて泣いた日

子ども部屋おばさんのルートに乗ってますよ、とムーンプランナーさんの手帳カウンセリングでいわれて絶叫してだばだば泣いた日からはや2ヶ月。
人生初のひとり海外旅行に行ってきます。



「このままいったら40代で子ども部屋おばさんですね」

わたしは自分のことをわりと行動力があって、好奇心旺盛な人間だと思ってた。
大学生の頃も周りに驚かれることが多かったし、予想外のことが起こることが当たり前だった。予想外の感情に出会うことも。自分の価値はほぼなかったから、恥ずかしいことや怖いものも、たぶんほとんどなかった。
だけど大人になるにつれて、自分のことを昔より明確に好きになってきて、大切にしてあげたいと思うようになって、その分無鉄砲に生きることも減った。

昔のようなわけのわからない衝動性や感情のジェットコースターがなくなってしまうのは少し悲しくもあったけど、それらは大人としての通過儀礼で、自分を無駄に傷つけないこと、がっかりするようなことはしないこと、自分の好きなものに囲まれ、穏やかに安定した生活を送ることは、大人として妥当で、賢い選択なのだと思ってた。
だから、ムンプラさんのパーソナルサービスである手帳カウンセリングを受けるときもどこかで、今の自分はよくやってるほうだろうと、そういわれると思ってた。いい感じですよ、って。

去年の春に恋人と別れて、その直後に愛犬が亡くなって、わたしは大学生ぶりに屍になっていた。寝ても寝ても眠くて、早く一日が終わってほしい日々が続いた。
そんな時期から少しずつ復活したときに、毎日書く日記と手帳のログに助けられた。マンスリーに貼られた寒色系のシールたちが、少しずつ赤やピンク、オレンジのシールに変わっていった。
睡眠時間、天気、気温、その日の出来事、読んだ本、朝の瞑想とヨガ。自分が日々を大切に、充実しながら生きていると感じた。満足していた。

だからこそ、手帳をもっと上手く使えれば、かつてないほど順調な今から、さらにもっといい感じに生きていけるんじゃね??そうなったら最高じゃね??なんかもっといいものが見れるんじゃね??と思ったのだ。
でも実際もらった言葉は、わたしの人生でこれまで無縁だと思ってた「子ども部屋おばさん」。
ショックすぎて絶叫した、さすがに。いや今年でひとり暮らし3年目なんですけど!?自立してますけど!!??わたしが!!???!子ども部屋おばさん!!!???!?!

そのときすぐにはわからなかったけど、この2ヶ月で自分が子ども部屋おばさんになってしまう状態にある、という言葉の意味がよくわかった。
一人暮らしをしていても、自活していても、わたしの行動の基準は、「母と姉」の存在がベースになっていたから。
ふたりに認めてもらうこと、問題ないと合格判を押してもらうこと。わたしが、かわいい娘とかわいい妹であること。
心は実家の、あの一部屋にベタづきだったわけです。まじで気づいてなかった、怖すぎ。



「籠の鳥としてもっと価値が高くあらねば、ここにはいられなくなるかもしれない」という卑屈な考え

わたしは「愛してる」なんて言葉は好きじゃなく、かつての恋人たちにもそれをいったことがない。紛れもなく大好きだけれど、でもそれはその言葉に匹敵するのか…?とかしちめんどくさいことを考えてしまう性質だからだ。
でもわたしがこの世において「愛してる」と迷いなくいえる相手がひとりだけいる。それが姉だ。
友人や知り合いに姉の話をすると、本当にお姉さんと仲いいね、大好きなんだね、といわれた。
一緒に仕事をするようになって一年弱、プライベートでも接する頻度はより増え、それでも、ほんとわたしらって仲いいよね、これから先なにがあってもわたしらの関係は変わらないよね、とお互いにいい合っていた。

だけど姉は家族のなかで一番弱い立場のわたしを、精神的サンドバッグにしていた時期がある。
それは彼女がわたしを馬鹿なやつ、繊細で面倒なやつ、母にまともに向き合ってもらおうとして厄介ごとを起こすやつ、として下に見ていた時期でもある。
社会人になるまで家族のなかでそういう見方をされていた、その記憶を、本当につい最近まで、というかムンプラさんのカウンセリングを受けるまで忘れていた。
2歳の頃に親が離婚し、姉とも別居になった。
そのあと姉とようやく一緒に住めるようになってから、ずっとずっと姉が好きで、賢くて強くて美しくて稼げる彼女が自慢の姉で、ずっと認められたかった。周りに自慢して紹介される妹になりたかった。

母は、まあ俗にいう毒親に分類されるであろう人で、わたしは正直彼女が苦手だ。
かつて受けた数々の言動や暴力を普段は忘れていても、ふとしたときに思い出しては悔しさと悲しさと怒りで泣きそうになったり、まじでこの女のせいでな~~~他人との関係めっちゃ困ってんだよな~~とか、姉の人生いつまで邪魔するつもりなんだ??まじさっさとしんでくれねーかなと思う日もあった。
ただ離婚してから、養育費はあったといえど女手ひとつで育ててくれたし、感謝する気持ちもある。
だからこそ、過去のことをすっかり忘れて「いい母親」でいるつもりの彼女に怒ることにも疲れ果て、ひとり暮らしを始めてからは、適切な距離をとれているつもりだった。物理的距離はつよいね。

結局、書ききれないけれど、わたしはいろんな感情を持ちながらも、彼女たちに嫌われたくないのだ。姉にも母にも。
姉にとって自慢の妹でいたいし、母に見捨てられることも、ないとわかっていても(この考えも傲慢ではあるが)怖い。
ボーはおそれているを観たときに、絶望的なラストに呆けながら、ああ子ども部屋おばさんってこういうことか、と少し腑に落ちた。

離れて暮らしていても、金銭的に自立していても関係ないのだ。
認めてもらいたい、自分の価値をどんな形でもいいから感じてもらいたい、わたしが変わっていく様を彼女たちにもいいと思ってもらいたい。
認めてほしい、わたしのことを、人間として。

そう思いながら、妹として娘として甘やかしてもらうことや、守ってもらえることも気持ちよかった。
わたしの思う「自由なわたし」「理想のわたし」は、あくまで家族という、彼女たちのつくってくれた安全で少し窮屈な鳥籠の中で、最大限伸び伸びできる範囲のものでしかなかった。27歳にもなって。


「効率もコスパも目的がなければなんの意味もない、ただのお遊びです」

「なにが問題かわかりますか?」
ムンプラさんに聞かれたとき、本当にわからなかった。
カウンセリングが始まって一時間近く、学生時代の頃の話や好きなもの、それをしたときどういう気持ちだったか。いろいろ聞かれた。
聞かれて初めて、そんな出来事よく覚えてたな!?と思うものが転がり出てきたりした。

「コスパとがっかりしないようにすることを基準にしている」
それがわたしの問題点だった。

昨今のコスパ、タイパ重視。賢い人は、そうするもんだと思っていた。
もちろん無駄も大切だけれど、自分がお金と時間を使ってわざわざがっかりする必要がわざわざどこにある?
それに、そういう無駄打ちだらけの破れかぶれの経験は、大学生の頃にひとしきりやった。
もうわたしは自分の好きなものも、好ましくないものも大抵わかっている。その上で、本を読み、考えや言動ともに自分をバージョンアップさせているはずだ。
まあ、昔ほどの大型アプデはだいぶ減ったけど、普通じゃないのかそれって。この年齢で、この景気で、無茶しない限り、そんなウオオオオ!!!ってなるようなこと、そんな起こらないでしょ。
でも、全然ウオオオオ!!!!は起こるのだった、行動さえすれば。

わたしが大学生あたりにはわりと確固として持っていた、「時間と金をかける価値があるのか」という価値観。
無駄な飲み会、この人と時間を過ごすこと、これをわざわざ買うこと。
自分では自分の明確な思考と経験ありきで、賢い選択をしているのだと思っていた。

だけれどムンプラさんに根掘り葉掘り聞かれた話のなかで、あ、これは傷ついていたのか、と思うエピソードはあった。
それも話しているときは全然気づかなかったけれど。

わたしは昔から「金の使い方が下手くそだ」と母と姉にいわれていた。
まあ家族、主に親はまたそんな無駄なもん買って!というもんだろう、だから当たり前だろうと思っていた。
(後日、知人に親から無駄なもの買って!とかいわれたことある?と聞いたら、一回もない、といわれた。認知~~~~。でもそうだ、その人が自分のお金でなにを買おうとその人の自由で、他人がその価値を貶めていいものではない。立場や役割にもよるけれど)

でもそうやって何度も何度も、些細なことで、おまえは頼りない、わたしたちがいないと駄目だ、と刷り込まれていると、自分の望んだ基準として、家族や他人が入ってくることになる。
知らず知らずに、わたしの当たり前になっていた、コスパをすぐ計算する癖とがっかりしたくないという気持ち。
そりゃ大型アプデも来ないわけである。自分から勝手にゲーム終盤だと思って、省エネで行動してんだから。


余命3年として行動することで「琴線に触れる」を取り戻せた

細切れにだばだば泣いたカウンセリングの最後、ムンプラさんに提案されたわたしのミッションは「残り3年しか生きられないなら、なにをするかを本気で考える」だった。

ちまちました、リアルなことばかりではなく、やってみたいと少しでも思うことを遠慮せずに、実現可能か?なんてことは考えずに、とりあえずウィッシュリストに書き出す。
そしてそれらをやっていく。満月や新月に書き足したり、統合したりしながら。

正直、余命3年といわれたときギョッとした。
手帳の書き方、時間の捉え方とかの話じゃなくて、余命……!??!?
他の人のレポを読んだ感じから、手帳の範囲内の話になるんだろうなとぼんやり思っていたから、まさか最後の最後に余命なんてデカやばワードが出ると思っていなかったのだ。
カウンセリング前半から予想の範囲を大幅に超えてきていたけれど、おおごとになってきたぞ、と思った。
ていうかそんなふうに思えるかな!!?わたしメメント・モリ的思考わりと苦手なんだよね、「DIE WITH ZERO」読んだときに思ってたけど!!!

でも今ならわかる、鳥籠の鳥でいることに慣れきってしまったわたしが、自分に本気に、真剣になるには、それぐらいの真剣さが必要だったということが。

その新しいウィッシュリストに100個書いてみましょうか、といわれたとき、そんなに書けるかなと思った。
余命3年と考えたら、なんだか大層なことを書かないといけないと思ってしまうんじゃないか?とも思った。
それで全然書けなかったらどうしよう、という、空っぽになってしまった自分に出会うんじゃないかという不安もセットで。
というのも、年末年始に書くぞ!と意気込んでいたウィッシュリストは、2月上旬になってもまだ20個しか書けてなかったのだ。
ウィッシュリストを書くようになって数年経つけれど、そんなことは初めてだった。

わたしのやりたいことって、本当にわたしのやりたいことなのかな?
他人が夢として掲げてるものに乗っかってるけど、本当にそれ時間とお金かけてまでやりたいの??
本当にオーロラ見たいって思ってるわけ?ヨガだってべつに極めたいってほどの熱量じゃないよね? それで書いて、達成できなかったらがっかりするくない??叶えられそうにないものなら、書かない方がよくない?
ワクワクするウィッシュリストって、なんなんだ…

そう思うと、手が止まってしまって、「夢を叶える手帖術」系コンテンツあるあるの、これから先の3年後、5年後の想像はおろか、この一年をどう過ごしたいのかすら、わからなくなった。
ただ、まあ今史上最強に順調だから、少しやり方変えればいい感じでこのままいけるでしょ。
そのヒントが、方法が知りたい。
この人なら忖度なしに教えてくれそう、と思ってどきどきしながら申し込んだのがムンプラさんの手帳カウンセリングだった。
まさか自分が「子ども部屋おばさん」になる、なんていわれるとつゆほども思わず。

だけど、ウィッシュリストは、書けた。
不安さとは裏腹に150個くらい一気に書けた。

そこにはあんたそんなこと思ってたの!!!?意外と社会的承認欲求と野心あるね!!?というような、初めて書いた壮大なものもあった。
実現可能か否か、コスパに見合うか、の枠をとっぱらった先に、わたしがやりたいことって、本当はこんなにあったのか。
驚いたし、うれしかった。
もういなくなったと思っていた、大学生の頃の自分の欲しいものを全力で手に入れようとする自分が、ちゃんとまだいた。わたしが気づいてなかっただけで。


週末が、平日の夜が、前より忙しくなった。
これまでは予定のない日が多いほうがよかった。
それは自分の体力や体調に自信がなかったからだったけど、そんな過保護な心配とは裏腹に、わたしはすこぶる元気で、去年一年で始めた新しいことの数なんてこの2ヶ月でとうに越してしまうくらい、新しい場所に行って、新しいことをした。

わたしが学生の頃に好きだった、「琴線に触れる」という言葉。
大人になってから、そう感じる日も減っていたけど、違う、出かけたら、予想もつかないことが起こる。予想もつかない感動や衝撃や、新しい自分に何度でも出会える。
琴線に触れるような出来事は、鳥籠から出たらいくらでも転がっているのだ。わたしがそれを過保護さとコスパを言い訳にして、自分を納得させて見過ごしてきただけ。
琴線に触れる、なんて言葉を今の自分がまた使えるようになったことがうれしい。

その言葉を初めて知ったときに感じた、なんて綺麗な言葉なんだろうという震え。
うつくしい言葉だ、わたしもその感覚を感じたい、と子ども心ながらにつよく思ったこと。

世界を、自分を、侮りすぎていた。
これから先も、うつくしいものを、心が震える瞬間を、わたしは、出かけさえすればわたしに見せてあげることができるのだ。
そんなの…!!!!うれしすぎる…!!!!


「そろそろその勇気の出番が回ってくる頃です」

3月の月報を書きながら、本気で取り組んできた2ヶ月間を振り返ってみて、自分が想像していたより自分はいろんなことができるし、なによりもそうやって未知だったものを体験したり知ることを楽しんでいることがわかった。

そういやGWの予定まだ決めきれてないなあと思って春夏版のムーンプランナーをめくっていると、「韓国旅行」の付箋が目に入った。
少し前の、カウンセリングを受けた直後あたりの自分が貼った付箋。
まあ行くかわかんないけどね、トコジラミも怖いし、どうせ秋に友人と行くんだし、わざわざひとりで行く必要もないし、と心の中で思いながら、でも行きたいなあと思って貼ったもの。
もしかするとわたしって海外とかで暮らしてみたいのかもとここ2年くらいでぼんやり思いながら、でもその前に国内外問わず一人旅すらしたことないし、ってことはまずは海外で一人旅してみないとわかんないよね~でも一人旅かーーくらいの解像度だった年末のウィッシュリスト。

ウィッシュリストの内容を付箋に貼るってことは、確定してない予定ってことだ。
でも、そのときに行きたいなあ、と思って、一応書いておこう、と思った過去の自分からの申し送り。

いややっぱ行きたいんじゃん…!!
今のわたしなら、行ける…!気がする…!!
と思って、GWの4日間の韓国旅行のチケットを急遽とった。

韓国とはいえど、ひとりで海外なんて初だ。正直怖い。
でも絶対その怖さは思い過ごしだともわかっている。
いつも姉や母に任せっきりで、ぼーっとしていても安全に海外を楽しめていた自分。
ひとり旅行なんて危ないよ、やめといたら? ひとりで行ってもつまんないよ、といわれて、それもそうか… と納得して、易々引き下がっていた。

自分でも知らず知らずに、姉と母と同じように自分に過保護だった自分。
どきどきしながらチケットをとったあのときの、えいっという気持ちは、その怖さは、鳥籠から出ていくことを決めたことの怖さだ。
だけど、もう過保護はやめて、自分を他の誰でもなく、自分で信じると決めた勇気でもある。

カウンセリングの後日、ムンプラさんから後日もらったメールに、鍵は体力ではなく勇気、と書かれていた。
読んで、涙がこぼれそうになるような、真摯な言葉がたくさん書かれていた。
これからの人生、わたしが真剣に考えて真剣に行動すれば、きっとなにかが変わる、ということを、わたし以上に真剣に思ってくれた人の言葉だった。


この感じだと40代は2パターンある、といわれていた。

このまま小さくまとまった、自分の快適なもので身を固めた「子ども部屋おばさん」になるか、まだわからないけど、大きく変わった自分になれるか。
ただどう変わるかはわからないけど、でもきっと今よりもっとよくなると思います、というようなことをいってもらえた。

ぬるぬるやさしく、これまで何度か受けたカウンセリングのように予想の範囲内の相槌やアドバイスをもらっただけだったら、はあどうも… でもなーそうじゃないんだよなーきっと… やっぱ客扱いしかされてないなーー… としか思わなかっただろうけど(感じ悪すぎてわらう)、
こんなにも真摯に、耳の痛いことやギェーーーとなるようなことを、赤の他人なのに誠実にちゃんと伝えてくれたムーンプランナーさんからの言葉だったからこそ(本当にダメージがデカかった、自分でも予想をはるかに超えた現状を知らされることの連発だったから)、頑張ろうと思えた。
自分のために、自分に真剣になろうと思えた。

これから先のことはまだまだなにもわからないけれど、この3年間を、余命3年として真剣に生きていきたいという思いは、確固たるものになった。
わたしはどこへだって行けるし、なんだってできる。
うつくしいものに、新しい自分に、何度でも出会える。
わたしが少しの勇気をもって行動さえすれば。





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