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爆笑カー?


見ているだけで思わず噴き出してしまいそうになる爆笑カー?
そんなカテゴリーは存在しませんが,あるとしたらその筆頭はユニークなマイクロカー、イセッタかもしれません。
あのBMWも戦後の困窮期にはライセンス生産したほどの人気大衆車ですが、そもそもはイタリアのメーカーの作。軽く小さなボディを実現するためにドアはフロントに一箇所だけ、フロントウィンドウ、計器盤もろとも前方にガバッと開く様子はまるで大型冷蔵庫のよう。そうですイセッタは冷蔵庫も作ったメーカーなのでした。納得!

時のフランスの大統領も見たとたんに失笑したとウワサが残るのは1948年にパリサロンで発表された二馬力ことシトロエン2CV。ブリキ細工のような合理思想の塊みたいなクルマですがキャンバス製のルーフにトランクフード、ハンモック・タイプのキャンバス地シートは見かけに相反して快適だったとか。

爆笑は誘わずとも誰をもニンマリとさせてしまうのが、ご存知VWビートル。試作された当時は世界中の車があんなスタイルだったのが、いつの間にか21世紀のメキシコまで生き延びた上に,FFゴルフの土台を借用した2代目が登場したのには驚きました。残念なことに前輪駆動の新世代ビートルも生産は終了しています。

他方でいまだにお世継ぎが元気なのはBMWに暖簾を譲った英国由来のミニとイタリアの人気ねずみ、トポリーノ・・・・フィアット124スパイダーと共に名前だけはいまだ健在です。


日本にもそんな,ニンマリとさせられるファニーなクルマがありました。

1985年東京モーターショーに参考出品された日産Beー1.リッター・カーのマーチを土台にしたコンパクトカーのデザイン習作でしたが、ABC3案あった中のB案がことのほか好評。発売時期を尋ねる問い合わせが続出したため、急遽、傘下の高田工業で限定台数での生産化が決定。大急ぎで製図化や部品の発注が行われ翌々年の春には発売にこぎつけています。これに先んじて、文具や模型ではいち早く製品化されて青山通りにはアンテナショップの先駆けともいえるブランド・ショップが期間限定で出店していました。

発売とともに予約が殺到、販売店に買いに出かけても契約できないお客も続出。いち早く中古店にはプレミア価格を上乗せした未登録の新車が並ぶと言う、日本車史上始まって以来の現象が起きました。こうした脱力系のほのぼのしたクルマをいつしか、パイクカーと呼ぶようになり、後に続く日産パオ、フィガロ、トヨタ・セラやWill・Vi、いすゞ・ミューなど少数ながらもきらりと光る逸材が数多く見かけられるようになったものでした。

時はまさにバブル景気の真っ只中,豊かな時代にはクルマライフも楽しむ幅が大いに広がった,と言う今更ながらうらやましい時代の話です。

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