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疾れシーラカンスたち

最近はプラモデルにもなったサニトラこと日産サニー・ピックアップB120系(トラック)。1970の誕生から30年近くも国内生産された上、南アフリカでは21世紀も生産が続き、つい十数年前に40年近くに及ぶ歴史を終えた、類まれなる日本車です。探してみると商用車にはこのようなご長寿モデルがいくつかあるもので、ライバルのパブリカ・ピックアップ(1969)だって、平成のはじめころまでは生産され20年近いモデルライフを全うしました。サニトラと違って後継モデルはありません。

マツダでは古くからワンボックスの商用車、ボンゴが有名でしたが、2020年で二十年続いた最終型も終焉し、トヨタからOEM供給を受ける名ばかりのボンゴになってしまいました。実はボンゴは韓国でも起亜自動車が古くからノックダウン生産しており、マイナーチェンジを重ねた最新型を韓国で目にすることができます。マツダ・ファミリアの名前はマツダの大衆車ブランドとしてはアクセラ/マツダ3にとって代わられましたが、ファミリア・バンだけは二代目FFファミリアの姿のまま、しばらくはカタログにファミリアの名前をとどめていたものです。

4ナンバー登録のライト・バンも同様でセドリック/グロリア・バンやクラウン・エステートなどはちょうど消費税の導入と物品税の廃止が重なって旧型モデルがセダン・タイプから取り残されたように長生きしていました。クラウンのエステート,MS128系は昭和の末期に誕生し、3ナンバーのクラウン(170系)・エステートが生まれるまでの3世代分をカバーしています。カロゴンことカローラワゴン(AE100系)も同様。セド/グロ・バンはひと世代古いWY30系が20世紀を生き抜いて息絶えています。直接の後継モデルは無く、ローレル・クラスのワゴンタイプ=ステージアもそう長続きはしませんでした。

実はこの5ナンバークラスワゴン,地味ながらもある業界ではとても黒塗りタイプが重宝していました。120系までのクラウンにはしっかりしたぺリメーター・フレームという骨格があるので、ボディの改造申請が容易にできます。昭和のうちは後ろのドア以降を大改造した祭礼用のクラウンをたまに見かけたものでした。が、クラウンのエステートが消えた折にはさすがに後継車が無く難儀した様です。仕方なく同じ販売系列の黒いエスティマがリリーフ役を担いましたが、これも生産終了。さる業界では今、何をお使いでしょうか?

街中で今も時折見つけることが出来る昭和の生き残りがセドリック・タクシーY31系です。6年ほど前に生産終了し、もうすぐ見つけるのも難しくなりそうですが、後継は似ても似つかぬミニバンNV200系でニューヨークではイエローキャブの公認車両として登録され、街の景色の一部となりました。

乗用車ではトヨタのセンチュリー(初代)が横綱級の長寿者で二十年以上たってから12気筒の2代目に生まれ変わりました。車両形式のVG、初代は幅広3ナンバーのクラウン・エイトです。同格の日産プレジデントも大規模な小変更を挟んで20数年後にインフィニティQ50の兄弟車として名跡を保ちました。三菱デボネア初代も長寿の部類で東京オリンピックからソウルオリンピックまでの間、ほぼ大きなモデルチェンジなしに生き抜いた仙人でした。今販売中のセンチュリーは実はクラウン、レクサスとも足回りを共有するもので初代(VG10)の時代に先祖がえりした、とも言えなくもありません。

商用車にしても超高級車にしても,数が出ないことには開発コストを回収できず軒並み長寿車になりがちですが、最近は厳しさを増す環境性能や衝突安全性に対応するため、矢継ぎ早の改良を余儀なくされこうした御長寿車にも逢いづらい世の中になっているようです。

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