大英帝国のHer majestyとlight weight・sportscar

イギリスのエリザベス女王の元にチャールズ皇太子らが急遽駆け付けた
という速報ニュースを見たのも束の間、明け方にはとうとうその日がやってきたニュースが伝わる。
本当に誰からも愛された君主だった。完璧というほかない人生、王室の代表・・
で、愛され続ける英国車の話。


戦後、英国の象徴といえばミニクーパーにビートルズ、それとミニスカートで異論はないだろう?初代オースチン・ミニ、開発№=ADO15はその最晩年でも、日本市場に毎月1,000台以上がコンスタントに輸入される人気商品だった。ビートルズ人気は言うに及ばず、ミニスカだって東洋の彼の国では私設の女性ポリスの制服としても制式採用されている、こちらも世界の定番商品だ。

もう2つ、忘れてならない定番はやはり女王戴冠式の数年後に登場したロータス・セブン。今ではケータハムに生産移管して、なおも販売が続いている。こちらはプラチナ・ジュビリーを迎えられるかどうか?・・・・・そして大英帝国を強大なパワーで牽引するロールス・ロイスのエンジン。旧くは大戦中の航空機エンジンとして、さらにはエアバスはじめ、ボーイングの主力機でも何割かのターボファン・エンジンは現にRR製である。乗用車部門は経営が切り離されて久しいものの、60年代を彩ったシルバー・シャドーはビートルズ同様に超高級車の大衆化に大きな貢献を果たしたはずだった。

英国代表の車はまだまだある。女王ご自身もハンドルを握り、夫君のフィリップ公も晩年まで運転していたレンジローバーなどは文字通り王室御用達の栄誉を担う。

60年近い歴史を誇るボンドカーもその大半の作品においてアストンマーチンDB5が準主役級の扱いを受けてきたことは他に例を見ない。

女王が辿ってきたカーライフ、とりわけ英国の自動車産業は、しかし決して女王のように順風満帆だったのかといえば・・・・・・

1960年代までに限ればそうとも言えるかもしれない・・・

英国車、とりわけ小さなライトウェイト・スポーツカーのカテゴリーにおいては世界に君臨するスポーツカー大国だった。背景にはもちろん国民の車好き度と庶民の購買力にも依存するだろう。だがバックヤードビルダーのような作る側の立ち位置も優遇されていた事が大きい。完成車にかけられる物品税が組み立て部品の状態では免除され、自宅のガレージで車を「生産」すれば最大4割近い節税にもなる。

そんな土壌からかMGーTシリーズをはじめ、女王の戴冠式以降トライアンフ、ヒーレー、ロータスのような個性溢れるメーカーから魅力ある安価なスポーツカーが世界中にデリバリーされ、外貨を稼ぐ。

スポーツカーのみならず、日本という極東の島国の自動車産業にも少なからず影響を与え続けた。この国の自動車産業は当時まだまだヨチヨチ歩きで自前の自動車を設計する前に、ヒルマン・ミンクスやオースチン・ケンブリッジなどの正統派セダンが現地生産され、いすゞべレルや初代日産セドリック開発に大きく寄与している。

そんな中にあってスポーツカー並みの人気を博したのがあのミニだった。当初はオースチン、モーリスの他にウーズレー、ライレーなど英国伝統のブランドにもoem供給され兄弟車が林立していたものだった。

外貨の稼ぎ頭、対米輸出では直6エンジンをロングノーズに収め、コストパフォーマンスに優れたジャガーEタイプが一世を風靡する。DB5が存在していなければ、ボンドカーの白羽の矢は案外こちらだったのかもしれない。幾多のスポーツカーデザインにも多大な影響力を与えたEtypeもその歴史の終わり頃にはイギリス自動車産業も斜陽の道を辿り始めるのだった。

1980年代、サッチャーせいけんを迎える頃ともなると英国の産業力は著しい質の低下が顕著となり、あまた存在したメーカー群もブリティッシュレイランドに一本化されてしまう。オープンボディを得意としていたスポーツカーの殆どは、厳しさを増す安全基準や強化される一方の排気ガス規制を前に風前の灯火となって、80年代を生き延びることができなかった。

デローリアンが全く新しいスポーツカーを引っ提げて英国に新工場を興したものの、たった1年足らずで閉鎖に追い込まれたのもこの時代を象徴するような出来事だった。

90年代の英国車、とりわけスポーツカーだけ見れば東洋の島国が放ったロードスターの影響は大きく、MGブランド久々のオープンスポーツ、それもミドエンジン車のMGーFや前輪駆動のロータス2代目エランが注目を集めた。他方で、海外資本の流入、ないしは協業が一段と進みホンダがローバーと、トヨタはロータスと蜜月期間を共にした。

海外資本の大波はやがてGMやフォードの洗礼を受ける事となり、ジャガーもローバーも、モーターショーの華々しい舞台ではフォードコーナーの一画に。

さらに2000年代になるとドイツ資本の嵐が英国を巻き込んで、あのミニもロールスロイスもベントレーもドイツ車が売れた利潤でその資本をシェアされる結果となる。エンジンから足回りまで21世紀仕様に生まれ変わった新生ミニはモーターショーではBMWコーナーの一画を占めるようになり、ベントレーは永年連れ添ったロールスロイスと袂を分ち、VWグループの一員としてランボルギーニ等と共にショーに華を添えている・・・・・・

女王が見つめてきた英国車の20世紀、そして今世紀の初めは英国統治衰退の歴史と言ったら言い過ぎだろうか?大手に限れば民族資本の英国メーカーは既になく、海外資本の傘下に渡って久しい。

日本車を生産していた英国工場も撤退が発表され、日英のつながりが今後どう進展してゆくのかは神にさえ予測できない。

もしも女王がスポーツカーの熱狂的なファンであったとするならば、その後半生は悲しみに満ちていたのかも・・・・・

余談になるが車名にマジェスタ(造語)を冠したクラウンのV8搭載車は消えて久しくクラウンそのものが存続の危機に晒されたり・・・・

SNSにも頻繁に登場するようになった女王陛下の笑顔の足元には多くの場合ランドローバーがお供していることも見逃せない。名門・ローバーの現在の領主様はインドのメーカー「タタ」であるが・・・・・・ 


9月19日、女王の葬列に加わっていたリムジンはRRならぬベントレーのスペシャルリムジンで在位50年を機に2台だけが製作されたもの。ベースはアルナージュRで全高を大幅にストレッチしツインターボ400ps超、最大トルク80kgmのパワーで引っ張ることが出きる。けれど最高速の208kmhを発揮することはなく、歩く速さで女王の棺に従っていた。

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