見出し画像

12名のクルーたち、冷静な判断が367名の命を救った夜

新千歳を出発したエアバスJA13XJ機は羽田最終アプローチのコース上にいた。
管制塔から羽田ランウェイ34Rへの着陸許可を受けこれを復唱する。正月2日の羽田ターミナル2は帰省から戻る利用客でごった返している頃だ。

ランディングギアを下ろしてthree green(ロック)を確認。遠くからでも目立つランディングライトは視程30kmの夜空で遠くからもよく見えるハズだった。東京の日没時刻は1時間以上も前、西の空の青みもとっくに消えている。目指すC滑走路はコクピットの真正面に進入灯を輝かせている。

手動操縦で徐々に高度を落とし、滑走路端をおよそ100フィートで通過する。ファーストオフィサーが50、40とカウントする音声。もう数秒でタッチダウンの瞬間、機長はすでに機種上げの姿勢をとっている。

だが、いつも通りだったのはここまで。
目の前の滑走路にはボンバルディア製JA722Aの尾灯と航行灯が明滅している!

クラッシュする!


・・・・・・もっと手前だったらゴーアラウンドも決断できよう。しかし今からスロットルをフルパワーにして増速し、機首を上げて機体が上昇に転じるまでには全然時間と距離が足りない。

大きな衝撃音と共に機首のレーダードームが何かを押し倒した。
激しいマイナスGがかかる。、と同時に前輪が脱落し機首が地面を擦るように前のめりにつんのめりながら滑走路上を文字通り滑走する。側方で大きなオレンジ色の閃光が光った。火災だ。逆噴射のフルパワーはかけられない。

ブレーキシューの代わりに胴体下面が滑走路に擦り付けられブレーキの役割を果たす。5000フィートも滑走しただろうか?機体は前のめりで静止した。すぐさまエンジンの消火レバーに手を伸ばし、CAに緊急脱出前の安全確認を指示する。

主翼周辺ではオレンジの炎が上がっている。脱出には左右8個あるドアのうち主翼に近いL2、L3、R2、R3の使用は危険を感じる旨を機長に報告。火元から遠い機首寄りのL1、R1、それに尾翼にちかいL、R各4が候補だ。
しかし前のめりで主脚が出た状態で後方L4の脱出シュートを展開させても地上高が高すぎて適正な角度が得られない。乗客を誘導するには危険すぎる。

機長は前方のL、R1のみを使って脱出を決断。ここまでに緊急事態発生から1分30秒が経過。レギュレーションでは8つのドアで定員を90秒以内に全員避難させられる設計だ。
しかし使える脱出口は二つだけ。整然と行列しても370名近い人員を全て下ろすには計算上360秒がかかってしまう。それは訓練時の混乱がない状態での話だ。

機内では煙が立ち込め始め、乗客がパニックに陥りそうだった。CAたちが、座ってください、落ち着いて。荷物は出さないでと繰り返す。乗客からは早く出しての叫び声も。

煙と異臭が充満する機内を最後尾まで機長が確認して最後にシューターを滑り終えたのが18:05のこと、すでに火災をとらえたテレビ局のお天気カメラが望遠で機体後部の炎を生中継で映し出していた。

一つ間違えば、テネリフェ島での747同士の航空史上最悪の事故を想起させる映像だった。機内に広がった炎は胴体後部からエアバス機の広い室内を焼き尽くし、その炎が窓を突き破って外側にも噴き出すようになる。

無事避難を終えた乗客たちは寒空の下で燃え落ちる機体をどのように見つめていたのだろうか?手荷物もお土産も全ては機内に残されたままだった。
代わりに彼らの脳裏にはトラウマとして今回の記憶が刻まれるのだろうか?命拾いした幸運をクルーたちに感謝するのだろうか?

この時点で相手機の乗員の生死は不明だった。
羽田沖合展開後初めて経験する死亡事故と分かったのはそれから1時間の後だった。

(この文章はフィクションであり、著さの推測をもとに構築したもので、一部事実と符合するところがありますのでそのおつもりで・・・・・・)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?