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10月の紅葉狩りデートは120%イタリアンな軽乗用車でね

イタリアに初めての女性首相が誕生しそうだという。すでにライバルが敗北宣言しており、極右の政権に代わるらしい
所でイタリアにもその昔、速度無制限の高速道路が存在した。半世紀以上もカーマニアを続けている御仁ならば、この道を日本の軽乗用車が元F1王者、スターリングモスのドライブで、高速巡行したエピソードを鮮明に覚えておられることだろう。

クルマの名前はスズキ・フロンテSS、360ccの牛乳二本分の排気量からツインキャブレターで36馬力を絞り出す、軽スポーツの最右翼だった。ちょうど同時期にはホンダから四輪車の大ヒット、N360がデビューしており販売競争でも決して負けるわけにはいかなかった。
販売促進のためのキャンペーンに選ばれたのがF1王者による連続高速巡航の実績作りだったのだが、そのペースがすさまじい!!

ミラノ→ナポリ間=746.9kmというから、東京から津軽半島の三厩駅あたりまで(すぐ先には青函トンネルが口を開ける)あるいは東海道を西へ向かい尾道、三原を過ぎてもっと先。その距離を平均122.44kmというスピードで走破したのだから、ざっと6時間強で走ってしまった計算になる。タンクが30リッターに満たないと考えればどうしても最低1回の給油ストップは必要だし、無給油だとしたらそれはまた驚異の燃費性能だったことになる。

あの頃は日本の高速道は軽乗用車などは80km制限が敷かれており、スピードメーターの数字は120km迄。カタログ表記の上限でも事実上最高速は120kmだった。スターリングモスの駆るフロンテは常時メーターを振り切る最高速で飛ばし続けていたに違いない。2ストロークとはいえ、3気筒の奏でるエンジン音は高回転でフェラーリにも似た3の倍数独特のハーモニーを轟かせていたことだろう・・・・

長らく上限を100kmに抑えられてきた日本の高速道路でも東北自動車道では盛岡南インターと花巻南インター間の30km弱の区間のみ最高速度が120kmに引き上げられていたのが、もっと都心に近い栃木県内でも、佐野藤岡(IC)から岩槻IC付近間(約41キロ)で10月12日午前10時から、最高速が120キロに引き上げられます!

120キロの本格運用は新東名につづき、これが全国3番目で、栃木県内では初めて。先行する岩手県では2車線区間の運用なので、新東名同様に3車線で20分近く120kmクルーズが楽しめることに。しかも東京から500km離れた岩手まで出掛けなくても岩槻までならホンの一走り!

100km巡航との時間差は僅かなものですが、紅葉シーズンも控えて120km運転を体感できる場所としては貴重です。この速度規制では軽乗用車についても同様の規制が施行されており、あのフロンテSSでも国内で堂々120kmクルーズの実力を見せつけることができるのです。


今どきの軽はターボブーストでいとも簡単に高速巡航を可能にしますが、昔の軽はリッター百馬力が精一杯。軽の馬力競争にはダイハツが怒涛の40馬力でピリオドを打ち、以降の軽乗用はといえば度重なる排気ガス規制の前に牙を抜かれ、さらにはオイルショック後のインフレも手伝って価格は毎年のごとく上昇の一途。
30万円台でイタリアを走っても恥ずかしくない高性能が手に入ったのに、車検制度が義務付けられ、排気量や全長も増えるごとに価格も50万円台、60万円台と高騰を続けた軽乗用車。

そこに再び楔を打ち込んだのがご存知47万円のアルトだったという訳。商用車登録には当時15%の物品税が課せられなかったこともあり、いわばスズキが裏をかいてみせた企画には各社もこぞって追随しました。
フロンテSSの血統は、やがてアルトワークスという名のフルタイム4wdターボによって立派に受け継がれたものだった。

最新型アルトのカタログには、まだワークスの名前はないものの、アルトラパンに加わった新顔LCのフロントフェイスはその名の通り、あのフロンテSSを模したものだとお気づきの御仁には懐かしくもあり、ついついリッター百馬力の強力版を期待してしまうのです・・・



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