豊島の心臓音のアーカイブを見たという話

この間、心臓音のアーカイブを見る機会があった。

これ↓

心臓音のアーカイブ | アート・建築をみる | ベネッセアートサイト直島

benesse-artsite.jp

クリスチャン・ボルタンスキー、生と死をテーマにした芸術家だ。画像だけでも引き込まれるものがあるのではないかと思う。どうだろう?下の方の写真の方です。

中央に電球、側面には黒い四角のオブジェが無数に張り巡らされている。

これが豊島にある心臓音のアーカイブ。

一見するだけならアーティスティックだなあで終わる気もするが、この心臓の音アーカイブはそれだけではない。

まず建物の構造やらなんやらを記載する。

浜辺の近くにある一軒の黒い小屋、それが心臓音のアーカイブ。中に入ると、白い室内に白衣を着た係の方が色々説明してくれる。

入れる箇所は二か所。お金を追加で払うと三か所。一か所目は世界各地で心臓の音が保存されているものを聞けるアーカイブ室のような場所に入れる。二か所目がメインの心臓音のアーカイブ。

心臓音のアーカイブの詳細な話を書こうと思う。

まず、入るための白い扉があり、それを開けると、微かに聞こえはじめ、やがてある程度の大きさに聞こえる他人の心臓の音が出迎えてくれ、暗い室内へと進むことができる。まだ画像のような場所ではなく、待機場所のような中間の場所だ。

そこで、今流れている心臓の音がどこの国の人なのか、という記載がされているモニターと、心臓の音を記録した人たちの署名が展示されている。

ずっと自分以外の心臓の音を聞きながら、別の奥の部屋に入ることができる。そこで、さっきの写真の部屋が出迎えてくれる。

中央のランプが、心臓の音に合わせて明滅する。暗くなったり、明るくなったり。自分の鼓動と違う鼓動が目の前で繰り広げられている空間は、体感すると分かるのだが、非常に落ち着かない気持ちになる。

安心できる人物の心臓音を聞くならば、安心という感情も湧くかもしれない。しかし、目の前で拍動しているのは世界中の、見知らぬ人で、そのうえ定期的に心臓音が別の人物のものに変わっていく。自分の鼓動と全く違う、見知らぬ他人の様々な拍動。それを音で、目で体感させられると、焦燥感に似た何かを感じさせられる。生々しさに囲まれた空間というのはこういうことをいうと思う。他者をこんなにも強く実感させるという点は、彼の生と死をテーマにしている生の部分が非常に押し出されているのかなと素人ながら思ったりする。

あとで知ったが、側面に貼っている黒いものは鏡らしい。暗すぎて反射がうまく見られなかったのが残念。他人の鼓動を聞かされながら、鏡には自分が写るらしい。この食い違い、非常に良い。

この心臓音のアーカイブ、あとは自分の心臓の音を記録できる部屋しか見るものがない。これだけである。しかしながら、正直言い方は悪いかもしれないが、この居心地の悪さを体感できる経験はあんまりないのではないかと思う。もちろん、他の県で見られるボルタンスキーの展示以外の話。

白い扉を開けた時に聞こえ始める自分以外の心臓の音を聞いた時の生々しさは本当に良かった。

ボルタンスキーの展示は正直写真だけじゃ良さ全然分からないと思う。体感し、目の前にある物質と対面した時にこそ真価が出る展示だと勝手に思っている。あの等身大の生と死を感じるためには、対面しなければ実感はできないだろう。そして、こんな気持ちにさせてくれる芸術家は他にいるんだろうか?私はそう思うくらい作品に惹かれてしまった。

ボルタンスキーの展示は結構色々な場所であるみたい。

豊島以外だと新潟県で森の精と最後の教室というのがあるらしい。正直どっちもアクセスが良いとは思わないけど見る機会があれば見て欲しい。


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