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しゃぼんしゃぼんと、今日も泡沫の悲鳴が耳に聴こえる

黄色いヨーヨーをもらった。
少女の乳房を思わせるやわからさ、
蛍光灯に透かすと
昼の日だまりが
置いてけぼりになったようだ。
手でついてみたら

しゃぼんしゃぼん

と音が鳴った。

しゃぼんしゃぼん

何か聞いたことあるなぁと思った。
無機質で
淡く耳に残る水の温度。

ぱっと思い出したのは、
仲良しの女友達が
クラスメイトの彼氏といちゃついていた事。
小さなおさげと赤いリボンを揺らして、
男の子の眼鏡をひょいっと取り上げた。
彼氏は頬を赤らめ、
返せよーと言いながら追いかける。
チェックのスカートをひるがえし
けらけら笑いながら逃げ回る彼女。
中学生の時の話だ。

まぶしかった。
そして、首を絞めたかった。

これ程清潔で綺麗な光景があろうか。
昔とある学生さんが
暗い小説について
「現実がしんどいのに、本を読むときまで
何でしんどくならなきゃいけないのか」と
呟いていた。
でも、キラキラと陽気な世界に触れた所で
自分の汚さを改めて突きつけられるだけだし、
言葉の穢れなさと自分の醜悪を
比較して落ち込み、余計しんどいと思う。
読んでいる最中は美しい文章に
心も癒されるかもしれないが、
終わらない本はないのだ。
最後のページをめくり終えた途端、
最初に眺めるのは
くすんだゴム色の手足で、
望みもしない実生活へ逆戻りするだけ。
でも彼等の無邪気な戯れあいは
物語のように私を片時も
美しさへ迎え入れてくれることはなく、
ただ、ただ
私を突き放した。
真っ白い泡から
吹きでるどろどろとした油のように
私は彼等から遊離していった。
守られている、と思った。
私には手が届かないきらめきを
守られながら
あの子たちは噛み締めているのだ。
彼等が
いじらしい追いかけっこをする前夜、
わたしは中年の男のちんぽをくわえては
喘いでいた。
男に愛情はある。
でも決して、彼等のような健やかさだけは
私達の間にはない。
それは愛があれば
何てことのない距離のようでいて、
ある絶望に決定的な距離のようだった。
彼等は
人生に裏切られた数だけ
呪いの傷を己に刻み込み数える悪習、
恐ろしい記憶と一つになる為に
覚めぬよう喘ぎ続ける淫湯、
痛みと苦しみの瞳に映した自分を
見つめずには自分を感じられない不感症、
何もかもを知らない。
人間の底辺のその下をいく
泥臭さを嗅いだことなどない。
彼等は
終わらない本なんてないと思っている。
普通は本に終わりがある事なんて
知らない年頃なのに、
でもわたしは知っている。
わたしは自分を人間だとは思っていない。
でも彼等は人間だ。
分かっていた事だけど、
こうもあからさまに
同年代との差を見せつけられると
耳をふさいで叫びたくなる。

しゃぼんしゃぼん

もう一つ思い出した。
小学一年生の頃、
近所の公園で大勢子供が集まったことがある。
私は大きなすべり台にダンボールか何かを敷いて、ひゅーんと滑り落ちた。
すると突然
五歳の男の子が飛び出してくる。
危ない、と思った瞬間はもう遅くて
勢い激しくぶつかった。
わたしは慌ててごめんごめんと謝り、
怪我がないかチェックしてみたが
痣や傷はなかった。
しかし余程痛いのか
男の子は中々泣き止まなかった。
困っていると、その子の兄貴が寄ってきて
「俺の弟を泣かせたな」と言い、
体を押さえつけられた。
すぐに一クラス分はありそうな人数の
子供達が輪になって取り囲む。
そして、大事な弟君を泣かせた私は
罰として
代わる代わる子供達に
蹴られて、殴られた。
初めに兄貴が散々蹴り飛ばしては殴ってきたが、
彼は四年生の背の高い男子で、
しかも空手を習っている。
私を押さえつけていたうちの一人の女の子は、
ついさっきまで
いつも仲良く遊んでいた友達だった。
三歳位の赤ちゃんみたいな子や
同級生の女の子、男の子、
中にはニヤニヤ面白がった奴、
三十の小さな顔が
口々に罵倒しながら拳をふるって
足を蹴り入れてくる。
「親分の弟へ痛い思いさせたんだから
これ位の罰は当然だ」と
信じきった幼い顔がたくさん、たくさん。

繰り返すが
これは私が小学一年生の時の話である。

その日どうやって家まで帰ったのかは
全く覚えていない。
気がついたら、自分の部屋に
うずくまっていた。
足や腕、お腹、体中が痛くていたくて
たまらなかった。
涙がこぼれて止まらなかった。
フローリングが冷たかった。
空気が寒かった。凍りそうだった。
家には誰もいなかった。
誰も
打ちのめされた幼いわたしを
受け止めてくれる存在は
いなかった。

しゃぼんしゃぼん

わたしはここまで思い出して、
この音を聞いた事がないことに気づいた。

この音は
誰にも受け入れられず、
何もかもから拒まれて
突き放されるときの音だ。

自分と
取り囲む世界が決して馴染む訳がないなんて、分かっているつもりだった。
環境や社会は画一的なんだから、と
言い聞かせてきた。
でもふとある瞬間、強烈なフラッシュが目を眩ませて
いとも簡単にわたしを谷底へ突き落とす。
しかし落ちたはいいが、
肝心の
底がどこにも見つからず、
ごつごつとした岩場に体を休められないまま
また大きな手のひらへ打ち返されるのだ。
はたかれては落ちて、落ちてははたかれる。
所詮ゴムまり程度の人生だろうか。
本は終わりがあるのに、
行き場が見つからないバウンドは
リンチのごとく無限ループする。
でも、少しずつしゅうしゅうと
酸素が漏れて
少女の胸もしわくちゃにしぼんでしまう。
幼い残酷さも頭から抜けきってくれたら
いいのに。

こうやってバウンドを繰り返すうち、
いつか
体を横に出来る場所が見つかるといい。
安っぽいゴムまりと言っても、
ライトにかざせば
日だまりの残り火位にはなる。

あなたにも聞こえるだろうか
この音が。

しゃぼんしゃぼん


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