最近のSNSのこと

有名人の男性の死について思うことがあり、居ても立っても居られなくなったから勢いで書いている。まとまらないし、上手く言葉にできないし、色々な人に色々なことを言われるとわかっているのでTwitterには書かない。ただ、いつまでも頭の中で悶々と考えていても埒が開かないので、書き起こして整理したい。

こうあるべきだという世間体や一般論が怖い。知らない間に刷り込まれている当たり前が怖い。大体の人が「それ」を疑わずに生きている。こんなことを言っている私だって、当たり前をきっと沢山見過ごしている。

最近、誹謗中傷がよく話題になっている。それに伴い「誹謗中傷と批判は違う」という意見をよく目にする。「悪口や虚偽の発言」が誹謗中傷であるのに対して「異なる意見を主張すること」が批判であり、違いは明確だと思うし、私も違うものだとは思う。ただ、批判であればいくらでも言っていいのだろうか、と思う。個人間での出来事に対して第三者が踏み入って好き放題発言をすることは、悪いことではないのだろうか。

今回の彼の死によって「確かに誹謗中傷も多かったとは思うが、大体の意見は正当な批判だった」「実際に批判されるようなことを彼がしていたのは事実」という意見をTwitterでよく見た。以前から彼の話題が持ち上がるたびに「相手が納得しているのであればどんな形でもいいんじゃないか」という気持ちがずっとあった。私のこの発言も、もしかしたら知識不足や配慮に欠けたものなのかもしれない。それでも、彼のした行動によって、批判をしている人たちに迷惑がかかったことがあったのだろうかとどうしても考えてしまう。「異なる意見の主張」に留まらず、彼の行動や相手の気持ちに言及し「異常だ」と言うことは、正当な批判なのだろうか。

現在問題になっている、トランスジェンダーの男性が女性用トイレを使うという件。今回の件は一職場での話だけれど、これが認められたことにより、その範囲はどんどんと拡大されるのでは、今まで当たり前に女性用トイレを使っていた一般女性が危険に晒されるのでは、という意見が多くあった。この件は、トランスジェンダーの人たちや一般の人たちにも個々の考えがあるように思う。私も一女性として、トランスジェンダーの男性が女性用トイレを使用することは怖い。だからこそ、今回の訴えには反対だし、この判決により迷惑を被る人はとても多いと思う。この一件に対して意見を述べることと、今回の彼と彼女の間に起こったことについて意見を述べること、これは果たして同じことなのだろうか。

確かに「一般的な」「マジョリティーな」ものではない。ただ、彼がジェンダーという分野で悩んでいたのは事実だけれど、人と人との関係性や自分のあり方という悩みは、誰しもが経験するものだと思う。普通なのだ。普通の悩みなのだ。有名人だから今までの発言や行動が全て晒されているだけであって、一般の人たちであっても、私も、これを読んでいる皆さんも、過去の発言と今の行動が矛盾していることなんて、数え切れないほどあるはずなのだ。

それでもやはり、自分がしてきたことや発言してきたことに責任を持たなければいけない、でも自分らしくも生きたい、そういう葛藤の中で悩んでいたのかもしれない。これは全て私の憶測にすぎないので、憶測で今回批判をしていた人たちにどうこう言う資格はないのかもしれないけれど、それでも。

「育児放棄をしていた」なんて、どうしてわかるのか。あなたたちはいつも監視していたのか。SNSに子供との写真を載せれば「子育てしているアピール」と言われ、載せなければ「育児放棄だ」と言われる状況で、彼に何ができたんだろうか。彼女はカミングアウトのときはショックを受けたとは言っていたし、かなりの決意やこれからの人生における覚悟があったと思う。それでも沢山悩んでお互いが出した結論が、つい最近までの状況だったのだ。二人が話して決めたことに対して、第三者が一体何を言う権利が、何を言う必要があるんだろうか。

傷つき悩みながらでも、お互いがそれを受け入れようと努力しながら生きていたのなら、それでよかったはずなのに。辛い気持ちを抱えながらでも、幸せな時間があったのなら、それでよかったはずなのに。

今回の件は、とても悲しかった。ショックを受けた。誹謗中傷が原因ではないとしても、一番悲しい結末だ。無責任だけれど、死んでほしくなかった。ただ、その人がどれだけ辛かったのか、傷ついていたのか、限界だったのかは、誰にもわからない。推し量れない。それでも死んでしまうのはとても悲しいことなのだ。だからこそ、亡くなってもなお、彼を批判する投稿を目にするたびに、どうしてこんな悲しいことが起こってしまうんだろうと思ってしまう。彼が亡くなる前から巻き起こっているインターネットでの論争や嘲笑、多くの人が当たり前だと思い振り翳したお門違いの正論が怖い。こんな現実が怖い。どうか、どうか安らかに。

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